海外でいちばん恥ずかしかったこと

吉川恵美子

あと数日で私はイスパニア語学科を「卒業」します。学科の教員として書く最後のブログです。こういう時には、自慢できる話をしたほうが恰好がつくのかもしれませんが、やはり、最悪の経験の話をすることにします。

2004年10月末、私はスペインのカディスにいました。スペイン南西部に位置する小さな港湾都市です。コロンブスが出帆したウエルバの港から150キロほど南にあります。ここでイベロアメリカ演劇祭が10日間にわたり開催されていました。「イベロアメリカ」の演劇祭ですから、スペインからもラテンアメリカからも劇団が集うので、いろいろ観られるお得感のある演劇祭でした。連日、昼から夜まで何本も芝居をはしごするという夢のような日々でした。

カディス湾・コロンブスの海

 

 

 

 

 

 

カディス市・街路も演劇祭モード

 

 

 

 

 

 

 

いろいろな国の芝居を観る中で、予想外の事象に遭遇しました。舞台で語られる台詞に “HIROSHIMA”がたびたび出てきたのです。1回目はスペインの劇団だったと思いますが、「HIROSHIMAを思い出せ!」と言う台詞を聞いて、心がざわざわしました。2回目はコスタリカの劇団だったでしょうか。「え?また?」。さすがに3回目になると、不思議な感じがしました。日本から遠いスペインの小さな町の芝居小屋で「広島」が何度も言及されているのです。そこで、演劇祭最後の合評会のときに、私は手を挙げ、勢い込んで訊きました。日本から演劇祭を観に来ていた日本人は私ひとりでしたから、注目が集まりました。「何度もHIROSHIMAが台詞に出てきたけど、なぜ?」。赤っ恥の導火線に火がついた瞬間です。日本人がなぜ、その質問をするかという空気が流れました。それでもどこかの劇団員が「HIROSHIMAは反核・反戦の象徴。平和への願いを託す言葉」と説明してくれました。そして「HIROSHIMAでは何万という人が原爆で死んだんだよね。何万人だっけ?」と聞いてきたのです。私は答えられませんでした。

私たち日本人は毎年8月には広島・長崎の原爆慰霊式典をニュースで目にします。ローマ法王が広島を訪問したことが報じられます。広島や長崎の高校生が「語り部」の記憶を受け継ぐ努力をしていることも知っています。しかし、海外で「HIROSHIMA」について問われた時に何が伝えられるでしょうか。イスパニア語学科で学ぶ学生はやがて多くの外国人と接することになります。そのとき、世界で唯一の被爆国である日本の「語り部」となるのはそうした若者です。日本の未来である若い人たちが真剣な「語り部」になることで、日本の大切な「レガシー」が世界の人たちに伝わっていくはずです。被爆体験は日本のどんな世界遺産よりも大事な「レガシー」だと今、私は思います。

これを書いているのは2022年3月25日です。世界の平和が危機に瀕しています。

これからの皆さんの日々が平和であることを心から祈ります。