サンフランシスコを拠点に活躍するメキシコ人パフォーミングアーティストのビオレタ・ルナさんを招き、2014年11月に両国のシアターX(カイ)で2日間の舞台公演を行ないました。短い日本滞在の最終日に私の「総合イスパニア語」の授業に参加してくださり、学生と懇談しました。その様子をここで報告します。
今回の来日作品は『国境の記憶』 (Apuntes de la frontera/ Parting Memories) でした。テーマは、メキシコとアメリカ合衆国の国境をめぐる移民の問題です。日本に紹介するには難しいテーマでしたが、米墨国境は、アメリカ大陸の南北問題をはっきりと見せてくれる象徴的な場所なので是非紹介したいと考えました。貧困や内紛に苦しむメキシコや中米地域から多くの人が、夢の国アメリカを目指して国境を越えますが、その大半が不法入国者です。貧困や、国内およびアメリカの政治事情から彼らは正規のパスポートを取得することができません。全長3000キロ余りの国境の中で警備の薄い場所、すなわち過酷な自然環境の場所を選んで命がけで国境を越えます。なぜ故郷を離れるのか。なぜアメリカを目指すのか。人はどんな思いで不法移住を決行するのか。これを伝えてくれる舞台でした。
ビオレタさんの作品は、「演劇」ではなく「パフォーマンス」なので台詞はほとんどありません。言葉で状況を説明したり、自分の心情を語ったりするのではなく、身体で表現するイメージで物語を綴っていきます。アメリカの国旗がデザインされたバンダナで目隠しをし、頭上にスーツケースを乗せて手探りで進む姿からは、未知の国に向かう越境者の不安が確実に伝わって来ました。言葉で言い表すことができない心情の細かい襞を身体は「語る」ことができるのです。
11月24日にビオレタさんが授業にやってきました。秋学期のこのクラスは初めからビオレタさんの公演にリンクさせる予定で開講したので、米墨国境をテーマにしたメキシコ人作家の戯曲を読んで来ました。受講学生はある程度、テーマについての知識を得たうえでビオレタさんの公演を観ました。この学生たちを教室でビオレタさんに出会わせ、公演の感想を語ったり、質問したり、意見を述べてもらうのが狙いでした。
90分間、学生たちは次々にスペイン語で質問し、それにビオレタさんが丁寧に答えていきました。舞台で使われたモノ(パスポートや家族の写真が隠しこまれたパンなど)の謎解きに始まり、やがて学生の質問は社会問題に移っていきました。その発言内容は私の予想と期待をはるかに超えました。「日本も移民を受け入れる社会になりつつある。何に留意してこの新しい社会をつくるべきかのアドバイスが欲しい」、「オバマ大統領の移民政策は不法入国者たちを救えるのか」、「ラ米麻薬問題にアメリカはどう関与しているのか」。そのひとつひとつにビオレタさんはまっすぐ答えていきました。
ビオレタさんが学生に残した印象的な言葉があります。「私は市民であり、アーティストです。だから、私には社会的な責任があります。恵まれた立場にいる人間は、社会に対して多くを負っています。それをどうにか還元していかなければならない。私はアートを通じてそれを行っています。この教室にいる皆さんは、とても恵まれた環境にいるのだということを忘れないでほしい。卒業後は様々な分野で活躍していくはずですが、自分がそうした使命を負っていることを忘れないでください」。学生にとって心に残る授業であったことを願います。