こんにちは。イスパニア語学科の内村です。このカテゴリーは“教員”日記なのですが、今回は僕の“学生”としての最近の経験をお話ししようと思います。
大学では、学部を卒業すると「学士」のタイトル(学位)を得ることになります。イスパニア語学科を修了すると、「学士(外国研究)」としての卒業証書がもらえます。もうすぐ3月になると、今年度卒業の学生たちがこの証書を手にイスパを巣立っていくことになります。
そこから、さらに学問を深めたい場合には、大学院に進学する道があります。日本の大学院は、「修士課程(博士前期課程)」と「博士課程(博士後期課程)」という2段階に分かれています。それぞれ、規定単位数の授業を履修したうえで、前者では「修士論文(修論)」、後者では「博士論文(博論)」を執筆し、審査に合格した場合に「修士」、「博士」の学位が授与されることになります。
僕が最近経験した学生としての経験というのは、この博士論文を提出し、その審査を受けたことです。実は、博論だけは在学中に提出できなくても、数年以内に提出すれば審査を受けられるという決まりが多くの大学院にあります。これは、博論を執筆するためには、相応の準備に時間をかけることを認められているためです。僕の場合は、博論執筆前にイスパに着任したので、イスパの教員として授業をやりつつ、でも自分がいた大学院に博論を提出するために準備をする(広い意味での)学生の立場にあるという、ちょっと独特な立場が2年ほど続いていました。
さて、僕はイスパの授業ではイスパニア語の文法や講読を教えることが多いですが、学問的な専門は歴史学、より具体的にはスペイン近世史です。どの時代やテーマを扱うにせよ、歴史学の研究プロセスは、①先行研究に学ぶなかで自分の研究テーマを定め、②対象とする時代の人々が遺した史料を読解・分析したうえで、③その成果をみずからの歴史叙述として言語化する(=論文を書く)、という3段階から成り立っています。イスパニア語や英語の読解力は、①で研究文献を読むことや、②で史料を読む際に必須になります。また、③で一定の長さの論文を書ききるためには、日本語を使いこなす力が欠かせません。この言語運用能力に関しては、まだまだ改善しなければならない点は山のようにあります。
ただ、博論を書いている途中で自分でも痛感しつつ、博論を読んでいただいた先生方による口頭審査でも指摘されたのは、①から③にかけてのプロセス全体をつうじて、自分の学術的な立ち位置をどう考えるか、という問題でした。①では日本語・イスパニア語・英語などの先行研究から学び、そのなかで出会ったテーマを研究していくことを決めます。そのテーマを「おもしろい!」と思えばこそ、苦労してもいいから研究を進めていくエネルギーになるのですが、その先行研究から自立していくことは、口で言うほど簡単ではありません。先行研究に賛成するか、反対するか。賛成するとしても、どういう点を深めていけば、自分自身による学問的な貢献になるのか。つまり、「あなたのオリジナリティはどこですか?」と訊かれたときに、どう答えるのか。
これは、先人が始めた研究をどのように「前」に進めていくか、という問題だといえます。研究を「横」に広げていき、厚みをもたせることも大切ですが、少なくとも心構えとしては、前に踏み出すことを怖がっていてはいけない。それを分かってはいても、現実にそれをやり遂げることはなかなか難しく、一人の研究者としてきちんと前に進めているかどうかは、まだ覚束ない所があるかもしれません。
結局、納得のいく答えはまだ出せないまま、博論が終わっても、これまで同様に模索が続いています。ただ、博論は制度上の意味での学生としては最後の論文ですが、研究者としての、あるいは僕の指導教員の先生のゼミ生としての学問はこれからも続きます。これから先もこの問題を抱えながら行くことになりますが、学問の世界で課題があるという状態は、その解決をめざすこと自体を指針として進むことができる、というメリットも意味しているので、この状況を楽しみながら、これからも研究を進めていくことになるのでしょう。
博論で分析した1577年出版『スペイン総合年代記』の冒頭にある「イスパニア」像。古代からイベリア半島が一体であったことを示すために、ひとりの女神によって象徴化されている。
(写真はスペイン教育・文化・スポーツ省のサイトBiblioteca Virtual del Patrimonio Bibliográficoより)