ユダヤ・スペイン語―もう一つのスペイン語

アントニオ・ルイズ・ティノコ(Antonio Ruiz Tinoco)

  1492年にスペインではいくつかの歴史的な出来事がありました。コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、レコンキスタ(国土回復運動)が完了しました。当時、スペインにはキリスト教、イスラム教とユダヤ教が共存していましたが、キリスト教の信者に悪い影響を与えるという理由で、カトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世)がユダヤ人をスペインから追放したということは、日本ではあまり知られていないようです。

 追放されたユダヤ人はすべての財産をスペインに残し、安全な居住地を求めて、北アフリカ、ヨーロッパ、トルコまで移動することになりました。現在まで自分たちがsefardíes, またはsefaradíes (ヘブライ語で、スペイン人)であるという認識と誇りをなくさず、いつかはSepharad (スペイン)に帰国することが出来ると思い、自分の家の鍵を代々子孫に渡していた家族も少なくありません。不思議なことに500年以上前にスペインから追放されたユダヤ人の子孫は現在もスペイン語を日常的に使っています。Sefardíesが話しているスペイン語は、当時のスペイン語に非常に似ていて、ladino(ラディノ語)、judezmo(ジュデズモ語)、またはjudeoespañol(ユダヤ・スペイン語)などといろいろと呼ばれていますが、実はユダヤ人同士では単にespañol(スペイン語)と呼ぶことが一般的です。ほとんどのsefardíは三カ国語以上の言語を自由に操り、あらゆる言語の外来語がたくさん混じっています。例えば、500年前にヨーロッパにはフォークという物自体が存在しなかったので、現代スペイン語のtenedorではなく、その後ギリシア語のπιρούνιから借りてpilonと呼ばれるようになりました。Muchas gracias(ありがとう)に当たるmunchas grasyasや、mersi muncho(フランス語の「ありがとう」に当たるmerciから)という人も多く、gracias a Dios(神様に感謝、つまり、お陰様で)というスペイン語はトルコ語で「感謝」を意味するşükürと混ぜて、shukur al Dyoという言い方をします。

 私はスペイン語調査でスペイン語圏の国によく行きますが、その中で特に気に入っているのはトルコです。イスタンブールだけでも20世紀の初めの頃には30万人ものsefardíが暮らしていました。現在でもイスタンブールには2万人以上のsefardíがユダヤ・スペイン語を使って生活しています。もともと教育熱心で、自分たちの文化を必死に守っているコミュニティなので、言葉だけでなく、歴史、系譜学(名字の研究)、歌(canticas)、料理、諺などの日常的な話題を好みます。学者も多く、ノーベル賞を受賞したユダヤ・スペイン人は10人もいます。

 私はイスタンブールに住んでいる新聞記者、詩人、大学教授、ビジネスマンなど多くのユダヤ・スペイン人の友人がいて、機会があると訪れます。ごく最近まで彼らの多くはガラタ塔の周辺に暮らしていましたが、この地区の商店でもユダヤ・スペイン語が使われていたそうです。残念ながら、旧市街の建物が古くなり、ほとんどが引っ越ししてしまったため、昔のようなコミュニティは失われてしまい、自分たちの言語もなくなるかと心配しています。私は現在の使い方に興味があるので、10年以上前にイスタンブールの協力者とスペイン語、ユダヤ・スペイン語、トルコ語、英語、フランス語、ポルトガル語のオンライン辞書を企画しました。まだ編集中ですがPDF版でダウンロードできるようにしましたので、現在は多くの方々が利用しているようです。

 ヨーロッパやアジアの言語、宗教、音楽、料理、文化などが混じり合ったイスタンブールを訪れてはいかがでしょうか。

イスタンブールのガラタ塔〔中央に見える尖った建物〕

イスタンブールのガラタ塔〔中央に見える尖った建物〕