「400周年」の宿題

松原典子

 伊達政宗による支倉常長らの慶長遣欧使節団派遣から400年という節目を記念して昨年6月から続いていた「日本スペイン交流400周年」が、7月末に閉幕しました。この1年余りの間、政治、経済、文化などさまざまな分野における記念行事が、日本とスペインの各地で行われてきました。この日記を読んでくださっている皆さんの中にも、テレビや新聞、インターネットで関連するニュースを見聞きしたり、実際に展覧会や音楽会、講演会などのイベントに参加したりした人がいるのではないでしょうか。

 イスパニア語学科でも、駐日スペイン大使館の後援を得て、今年の5月に「フェリペ3世のスペイン」と題する記念シンポジウムを開催しました。使節団訪問時のスペイン王フェリペ3世(在位1598-1621年)は長い間、歴史的重要性の低い君主として、学術的にも一般的にもあまり注目されてきませんでした。しかしここ2、30年ほどの間に、本国スペインを中心に、歴史学他の学問分野で急速にその再評価が進んできています。その新たな研究動向の最前線にあるスペイン近世史研究の大家、ホセ・マルティネス・ミジャン教授を講演者にお迎えしたシンポジウムは、歴史、文学、美術の各分野からフェリペ3世時代の意義と評価を考える日本初の試みとなりました。これを機に、日本でもフェリペ3世期に関する研究が活発になることを願うとともに、私自身もこの時代の美術についてもっと広く深く勉強していかなければと思っています(このシンポジウムの詳細な記録は、今年度末に本学ヨーロッパ研究所から刊行される予定です)。

 ところで、2014年は「日西交流」だけでなく、スペインに関連するもうひとつの出来事の400周年でもあることをご存じでしょうか。実は、スペイン黄金世紀を代表する画家エル・グレコが亡くなってから、今年でちょうど400年になるのです。1614年10月5日に慶長使節団がスペインに到着する半年ほど前の4月7日、ドメニコス・テオトコプーロス、通称エル・グレコは古都トレドで73年の生涯を閉じました。

 ギリシア人でありながら、他に類を見ない独特な様式でスペインの宗教的魂を描き切ったこの画家の没後400周年に向けて、スペインでは数年前にFundación El Greco 2014という組織が設立され、記念事業の準備が入念に行われてきました。その記念事業の中心は、今年3月から6月にかけてトレドで開かれた大展覧会、El Griego de Toledoです。El Griego(エル・グリエゴ)というのは「ギリシア人」を意味するスペイン語で、英語のThe Greekにあたります。同時代のスペインの記録には、エル・グレコはEl GrecoでなくこのEl Griegoという呼び名で登場します。grecoというのはギリシア人を意味するイタリア語で、スペインに渡る前に住んでいたイタリアでは、彼はIl Greco(ilはスペイン語のelに相当するイタリア語の男性定冠詞)と呼ばれていました。スペイン語とイタリア語が混ざったEl Grecoという通称が定着するのは、後代のことです。

 後半生の40年近くを過ごしたトレドの町全体を会場に、大作を多く含む100点余りで構成された没後400周年記念展覧会が、El Grecoではなく敢えてEl Griego de Toledoと銘打たれたのには、エル・グレコが生き、作品を生み出した場所、そしてその時代の文脈に忠実に、改めてこの画家とその作品の実像を捉えなおそうという主催者の意図が込められていました。この展覧会はもう終ってしまいましたが、現在もマドリードのプラド美術館で開かれている展覧会、El Greco y la Pintura Moderna(エル・グレコと近代絵画)をはじめとして、まだまだ記念事業は続いています。過去の芸術家の生誕や死没を記念する時期には、往々にしてその人物と作品に関する研究が飛躍的に進むものです。このところ相次いで刊行されている新しいエル・グレコ研究書や展覧会カタログの山を前に、新知見との出会いや新たな発見に期待が膨らむ一方で、どこか夏休み最終日の小学生のような心持ちでもある今日この頃です。

エル・グレコ没後400周年記念展覧会のメイン会場、トレドのサンタ・クルス美術館前の行列(2014年3月15日)

エル・グレコ没後400周年記念展覧会のメイン会場、トレドのサンタ・クルス美術館前の行列(2014年3月15日)