上智大学に関する記事がスイスの新聞に

木村護郎クリストフ

世界的に著名な社会言語学者・日本学者で、2018年度秋学期にドイツ語学科で客員招聘教授を務められたフロリアン・クルマス氏による上智大学についての記事が、ドイツ語圏の代表的なメディアの一つ、「新チューリヒ新聞」に掲載されました。

https://www.nzz.ch/feuilleton/die-sophia-universitaet-im-herzen-tokios-war-schon-kosmopolitisch-bevor-dies-trendig-wurde-ld.1453191

<ドイツ語学科卒業生による日本語訳>

東京の中心部に位置する上智大学。国際的志向を持つことが義務となる前から、この大学は既に国際色豊かだった。

1913年にイエズス会によって建てられた上智大学。東京の中心部に位置するこの大学は、国際的な特徴を有している。今日において大学が何を成すことができ、何を成し遂げなければならないか、上智大学は小さいながらも確かな手本を示している。これには、多くのドイツ人とスイス人達が影響を与えていた。カトリック精神の存在は今もなお感じることが出来る。

毎朝キャンパスを歩いていると、いろいろな言語が聞こえてくる。単一言語として知られ、国をリードする政治家が少数民族の存在を否定しても非難されないこの日本という環境において、これは見慣れない風景であり、実に注目するべきことだ。

しかし突然、毎朝気づかされるこの状況、これこそが理想であるとされるようになった。日本はこれまで、単一民族国家であることを最大の強みとみなしてきた。しかし今日では多様性が、特に大学において歓迎されている。上智大学は思いがけず模範になることとなった。なぜかといえば、この大学には様々な学生が在籍しており、その多様性は、百を超えるどの他の日本の大学や専門学校をも上回っているからだ。また、上智大学で教鞭を執る者達も、他の大学と比較して非常に国際色豊かである。「世界に開かれた」、今日の日本の政治家がよく口にするこの言葉は、上智大学では現実のものであり、自然とそうなっている。

 

巧みに運営されている企業

上智大学は、日本の大学の四分の三を占める私立大学の内の一つだ。学生からの学生の授業料によって運営されている。今日において大学が何を成すことができ、また何を成すべきか、上智大学は小さいながらも確かな手本を示している。また注目すべきは、上智大学は20世紀初頭にイエズス会によって建てられたということだ。イエズス会が全ての点で進歩的であるわけでは必ずしもない。しかし、先見性があったことは間違いない。

他の日本の大学は、文科省の働きかけもあり、グローバリゼーションの旗を掲げている。グローバリゼーションを推進している理由は、それが自身の存続に係わるからに他ならない。現在の若年層世代では人口の減少が始まり、日本人学生は年々減少の一途を辿っている。だからこそ、学生を外国から呼び込まなくてはならない。

しかし、上智大学は以前から国際化を見据え続けていた。これは、現在まで上智大学を導いてきたイエズス会とまさに同様である。今や上智大学は、巧みに運営されている企業である。その優れた手腕は、東京の中心にあるキャンパス内に建てられた最も新しい見事な建物には、大手銀行が間貸りしていることからも示されている。

 

カトリック的な国際性

カトリック精神の存在は、今もなお感じることが出来る。すなわち、神学部やイエズス会士の居住棟、大学に隣接する教会、ショーウィンドウに飾られたクリスマスのクリッペ(イエス生誕風景)などである。しかし上智大学の学生の大多数にとっては、この大学が持つ国際色豊かな魅力の方がさらに重要である。上智大学生の10%以上は海外から来ており、海外で育った学生も多い。

長い年月が経ち、イエズス会の影響力は小さくなったが、その影響は多くの者に記憶として残っている。その記憶が興味深いものであるのは間違いない。というのも、上智大学の歴史は、20世紀の歴史を様々な点で映し出しているからだ。

第一次世界大戦の最中、ドイツ語を話すイエズス会士らがインドから日本へ訪れた。インドで彼らは、イギリス人に疑いの目を持たれていた。ヨーゼフ・ダールマンは、日本に来たイエズス会士の一人である。彼はローマ教皇と親密な関係があり、1912年にはバチカンの指示により大学を設立するための土地を陸軍省から買収する手助けをした。初代学長の名はヘルマン・ホフマン。イエズス会士であり、エルベルフェルト出身だった。ドイツ哲学はカリキュラムで中心的な専門分野であり、ドイツ語は日本語と並び最も重要な言語だった。新たに創立されたこの上智大学では、こうした姿勢を数十年間にわたり貫いていた。

今までの歴代15名の学長のほとんどはイエズス会士である。彼らはケルン大司教区に第二次世界大戦の間も財政支援をうけ、終戦後もドイツ語地域から訪れるイエズス会士は重要な役割を果たした。彼らの中には、歴史学者であり、また哲学者でもあるスイス人のハンス・ブライテンシュタインがいる。彼は80年代初期には上智大学学長ではなくとも、大学内イエズス会士の長であった。また、ユング心理学を日本で広めたトーマス・インモース神父もその内の一人だ。

 

アジア大陸への架け橋

もっとも、今述べた往年のイエズス会士の教授達を思い起こすのは、年配層しかいないだろう。ドイツの語学文学の研究は、今や他の語学文学と比べて取り立てて大きな位置を占めている訳ではない。上智大学は時代と共に歩むのではなく、むしろ時代の先を行く存在である。英語で行われる講義は他の大学と比較して非常に多く、そういった講義からなる大学教育課程も存在する。キャンパスで奏でられる多様な言語の中で、ドイツ語はほんの一部である。どの音域を聞いてみても、英語が支配的で、英語と並んでほぼ同じ大きさが中国語である。時折韓国語が耳に入り、節目にポルトガル語やスペイン語が聞こえてくる。

時代の移り代わりを認識して、上智大学はかなり前からアジア大陸への橋渡しを初めていた。中国や台湾、韓国の大学、さらには高等学校レベルの交換留学。ヨーロッパそしてアメリカとの緊密な関係も存在する。しかし欧米にばかり意識が向かっているほとんどの大学とは異なり、「世界に開かれた」上智大学には、この関係の中にはアジアとアフリカも包括しているのである。重要となった世界ランキングの中において、中国の大学が浮上し日本の大学が下降している時代において、これは大きな強みであり、一体何故上智大学の受験生数がこの人口減少の時代でなお増加しているのかを明らかにしている。