はじめまして、ドイツ語学科2016年度卒業生の新田純奈です。
とても長いので、1番伝えたい事が書いてある最終段落だけでも読んでくださると嬉しいです。
目次
1.執筆依頼が来た時の戸惑い
2.極フツーの学生時代
3.遅い就活のスタート
4.会社員時代①~お給料を頂きながらの学び~
5.会社員時代②~会社の中には留まらない~
6.日本でのグローバルな生活
7.地球一周
8.京都のラーメン屋さんでの修業
9.障害者介助施設でのお仕事を通して
10.私の生涯目標
11.学生さんにメッセージ
1.執筆依頼が来た時の戸惑い
ある日突然、浅見先生から執筆依頼を頂き驚きました。過去の記事を読ませて頂いても、皆さん名の知れた企業に勤めていたり、聞いただけでも「わぁすごい」と思うような肩書きを持った先輩方ばかり。現在、なんの肩書きもない無職の私がここに書くのに適する人物なのか…。戸惑いがありましたが、ご依頼を頂いたのも何かの縁だと思い、引き受けることにいたしました。
2.極フツーの学生時代
さて、私の学生時代から書かせて頂きます。平日は、2時間以上かけて上智に通い、帰宅したらささっと夕食を済ませ、すぐに塾講師のバイトに行く。家への帰りは夜遅く、家に着いたらお風呂に入ってすぐ寝る毎日。土日の午前中はもう一つの別のバイト。長期休暇の半分はバイトに明け暮れ、残り半分は稼いだバイト代でカンボジアのエクスポージャープログラムに参加したり、フィリピンやフィジーの英語語学学校に通ったり、フランスに短期留学したり。バイトを常に最低2つは掛け持ちしていたので、授業の課題は電車の中や土日の午後に済ませる。こんなひたすらバイト先と大学を往復するような、極フツーのどこにでもいるような大学生でした。
3年次にはフライブルクに1年1ヶ月留学しました。私は高校時代から環境問題に関心がありました。そもそも上智を目指したのも、環境先進都市として有名なフライブルクに協定校があるからです。留学先の応募用紙には第1希望欄に「フライブルク大学」としか書かずに、ギリギリまで第2、第3希望は空白でした。(提出直前になって、念のためにどこかの都市を書き足しましたが笑)
フライブルクでは、一般の留学生と同じように授業を受けつつ、タンデムをしたり、現地の方々に混じりボランティア活動に参加しました。授業の中のドイツ語だけではなく、現地の人が日常で使う生きたドイツ語を学ぶことができました。
フライブルク市公認の通訳翻訳家の方のアシスタントとして学ばせて頂いたり、環境教育施設でお手伝いをしたり、他にも様々なことに挑戦しました。
学生時代に書いた拙い文章ですが、留学の振り返りを書いています。良かったら、ご覧下さい↓
https://www.sophia.ac.jp/jpn/global/taikendan/repot_exchange/article_exchange03.html
私の大学時代を振り返ると、とにかく自分がやりたいことに全力で取り組んでいたと思います。優秀学生賞も2回頂いたけど、自分の好きな事が偶然にも評価される対象だったからで、本当に私はラッキーでした。どんなことでも、何かに全力で取り組めば、たとえ直接的な形ではなくても報われる。そう信じて、私は日々を全力で生きる事をモットーにしています。
写真はカンボジアエクスポージャープログラムで、カンボジアの子供たちに日本語を教えた後に撮影。
3.遅い就活のスタート
留学から帰国したのは、大学3年の3月下旬。当時の私は「フライブルクで勉強を続けたい!」と思い、就職など考えていませんでした。しかし、帰国し、両親から説得を受け、私自身も学問の世界に留まるのではなく、一度社会に出て新たな視点を持とうと、就活を始めることにしました。
就活解禁は3月1日。周りの就活生がスーツを着て説明会や面接に向かっている。その一方、私は一人スーツ屋さんに向かっていました。既に出遅れており、焦りを感じていましたが、1751年創業の老舗商社に内定を頂き、就活を終えました。
私は海外と関わりのある仕事、一般消費者から見えない社会や経済が見れる仕事を軸として探していたので、自分の希望に合う企業に就職できました。
就活そのものは、常にプレッシャーと焦りとの戦いでしたが、社会には様々な仕事が存在することを知り、色々な会社を訪問でき、他の就活生や企業の方と話せたので、振り返れば楽しかったという印象です。また、自分自身を振り返り、そして未来を考える良い期間ともなりました。
4.会社員時代~お給料を頂きながらの学び~
就職先の本社がある名古屋に引っ越し、新社会人生活がスタート。私の配属は国際営業部の輸出課の営業。主にヨーロッパを担当し、メイド・イン・ ジャパンやアジアのテキスタイルを著名ブランドに営業していました。
仕事では、今まで知らなかった世界を見て、新しい経験をたくさんさせて頂き、少しずつ出来ることも増え、日々やりがいも感じていました。
その一方で、たくさんの矛盾にも直面し、理不尽なことで叱られたと感じる時も多々ありました。
いずれにせよ、これら全ての経験が学びとなりました。学ばせて頂きながら、お給料も出るのは一石二鳥ですね!
5.会社員時代~会社の中には留まらない~
平日は、仕事でいっぱいいっぱい。
土日は平日の疲れで、ずっと家に閉じこもっていたり、外に行くとしても会社仲間とだったり…
私の周りではそのような人が多く見られました。
海外を相手に仕事はしているけれど、このままだと返って視野が狭まってしまう…。
だから、私は土日には、ボランティアやセミナーや、ワークショップなどに行き、とにかく外に出て、会社以外の人とも関わるようにしていました。
フェアトレードボランティア活動の中で「地球大学」という地球一周しながら世界で起きている社会課題を学ぶプログラムに参加したことがある方に出会いました。
元々2-3年は勤めようと思っていましたが、そのプログラムに参加したく、1年半で会社を退職することにしました。
愛知では、ある程度名の知れた歴史ある企業なので、「辞めるのはもったいない」とも言われたりもしましたし、収入がなくなることへの不安もありました。仕事も慣れてきた頃で、このままの生活を続けていれば、安定した日々を過ごせるはずでした。でも、安定を求めてただ同じ所に居座るよりも、また未知なる新しいことに挑戦した方が自分自身が人間として成長できる。そう思い退職届に「地球一周のため」と記し提出しました。
写真はボランティアとして参加したフェアトレードイベントで撮影。
6.日本でのグローバルな生活
退職してから地球一周出発の間の約3ヶ月間は、名古屋駅付近のゲストハウスに住んでいました。
早朝4:20に起床し、パン屋でバイトし、
10時頃にゲストハウスに帰ったら、即、仕事開始。
15時からはゲストハウスで開かれていた英会話に参加し、夜はボランティアに行く。
ゲストハウスでの仕事はお給料の代わりに寝床を無償で貸して頂き、
パン屋のバイトと週1のフリーランス英語教師で収入源を確保していました。
ゲストハウスでの生活は、世界各国から来る仲間と共に働きながら、一緒に暮らす。毎日が国際交流でした。ゲストも様々な方々が来られ、刺激的な毎日でした。私の今後を左右するとても大切な経験や出会いも、ここで得られました。
7.地球一周
2018年12月26日から2019年4月1日にかけて、船で地球一周してきました。
上記の「地球大学」に参加するためです。
なぜ、「地球大学」に魅力を感じたかというと、教室で講義をただ聞くのではなく、地球一周しながらその土地に実際に足を踏み入れ、自らの五感で感じる事ができるからです。また、『知る、考える、話し合う、発表する』という、インプットからアウトプットまでする機会があり、その社会課題をより自分ごととして感じられるのではないかと思ったのです。
ちなみに、地球一周の基本料金は119万円でしたが、私はボランティア割引制度を活用し、全額免除で参加ました。会社員時代から、地道にポスターを貼り始め、合計4413枚貼り全額クリアに達しました。知らない土地に出向き、100枚以上の重いポスターを担ぎ、時には40度になる真夏日に1日中歩き、ポスターを貼らせてもらえるようにひたすら交渉する。精神力と体力勝負であるため、長く続かない人も多い中、全額免除までやりとげたことが、私の地球一周をさらに充実させる要素となりました。
地球一周では17都市13ヶ国*を訪問しました。寄港地では、カウチサーフィン*で事前に知り合った現地の人に案内してもらったり、スタディーツアーに参加し、植林体験やオーガニック農園やエコビレッジ、フェアトレード商品の生産現場を訪問してきました。
仕事も辞め、3ヶ月もの時間を割いて、地球一周するなら、ただ楽しかったで終わらせるのではなく、何か目的を持って行きたいと、地球一周出発前から考えておりました。そこで、個人的に『“はし”渡しプロジェクト』を企画実行することにしました。訪ねた土地と日本の架け“はし(橋)”になりたいとの思いで、現地で出会った人々に“はし(箸*)”を渡すプロジェクトです。“橋”と“箸”の言葉遊びから思いついた企画です笑。
無事に全寄港地で“はし”を渡す事を成し遂げ、地球一周後は神奈川県、愛知県、京都府で計5回報告会を行い、その土地での経験や感じた事と、“はし”を渡すまでのストーリーを伝えてきました。“はし”を渡す事で、積極的にその現地の方々と関わる事ができ、自分だけの地球一周の思い出作る事ができました。
地球一周に関して、ここには書ききれないのが残念です。後に自身の経験を共有できるようにブログ(http://yunnaslife.boo.jp/)に書きたいと思っております。
多くの人に出会え、様々な生き方や価値観に出会い、素敵な景色も、悲しい景色も見てきました。地球一周後に元勤務先の上司にも「仕事辞めてまでしても、行った価値あったね!」と言ってもらえましたし、ほんとうに心から『地球一周してよかった』と思っています。
地球一周の振り返りの動画も作成したので、よかったらご覧下さい。前半は写真のスライドショーで、3分10秒からはインタヴュー動画です。
https://youtu.be/s0mpiDF5lb0
上半分:アピアにて、NGO Woman in business 訪問後
下半分:リオデジャネイロにて、上智時代の英語チューターと再会
左上:アピアの有機農家にて
右上2枚:マダガスカルのペリタニー村にて、プロジェクト説明後、箸配布
左下:パルパルイソにて
中央下:ブエノスアイレスのエコビレッジガイヤにて
右下:厦門にて
8.京都のラーメン屋さんでの修業
地球一周から帰り、1週間後には京都での修業に向けた資金調達のため、塾講師とホテルスタッフのバイトを掛け持ちし、1ヶ月半ほぼ休みなしで働いていました。
そして、2019年5月19日から、京都の精進料理系豆乳ラーメン専門店『豆禅』で3ヶ月間限定の修業を始めました。
私は将来フライブルクに人々が集えるお店を作りたいと思っており、ベジタリアン、ヴィーガンの人が多く、日本好きのコミュニティがあるフライブルクに豆乳ラーメンはぴったりだと思い修業に行きました。
『豆禅』はオリエンタルヴィーガンに対応した豆乳ベースのラーメンです。肉・魚・卵・五葷を使っていないので、宗教を超えてみんなで食べられます。ベジタリアンやヴィーガンの人が安心して食べられるだけでなく、卵アレルギーの方やグルテンアレルギーの方にも対応でき、さらに一般の方でも美味しく食べられるラーメンです。
また、『豆禅』では、不定期にイベントを開催したり、閉店時間には修業生にお店を使わせてくれる機会も提供してくれます。ラーメンを出すだけでなく、人と人をつなげる、新しいことを知る機会を提供しています。
最初の1ヶ月は店長に教わり、2ヶ月目からは私とバイトさんで店を回し出し、3ヶ月目は新しいバイトさんに教える立場になりました。
飲食業って、総合芸術のようで、料理を出すだけでも、味、盛り付けはもちろんのこと、皿選び、食材調達、保管、価格設定などなど様々なことを考えなければならない。
それから、接客、照明、衛生管理、空調、音楽、掃除、メニューデザインに……
とにかく、いろんなところにアンテナをはり、同時進行しなきゃならない。
バイトさんへの指示出し方も一人一人その人に合わせて伝え方を工夫する必要があるし、
新人さんに成長してもらうには自分が倍以上に成長しなくてはならない、
豆乳スープは生き物のようで美味しい味を保つには常に調整をし続けなければならない。
味や麺の茹で加減もお客様を見て調節する。
ただマニュアルで動くのではなく、その時のあらゆる状況を察知し、自分の感覚で判断することが大切…。
今まで、仕事として調理をほとんどした事がなかった私にとっては、初めての経験だらけでした。その分、得るものが多く濃密な時間過ごせました。
さらに、ラーメン屋がクローズの時間帯には、土日限定で自分のカフェを開き、将来自分のお店を開くための実践練習もしました。見切り発車で始めたため、試行錯誤でやっていく形でしたが、お金よりも貴重な経験を稼ぐことができました。
また、平日のクローズ時間帯は週1程度の周期でフリーランスドイツ語講師をし、常にドイツ語は意識して触れるようにしていました。
9.障害者介助施設でのお仕事を通して
修業は週5日で、週2日は障害者介助施設で派遣として働いていました。
自分が今まで接する機会が少なかった人々と関わりたかったので、この職場を選びました。
ここでのお仕事は考えさせられることが多くありました。
言葉を表現手段として持たない方々と接し、
言葉はとても便利で大切だけど、なにかを伝える手段として完全なものではなく、
コミュニケーションは言葉だけには頼れないということを実感し、
五体不満足だから、かわいそう、不幸せとかの固定観念を持つ人もいるが、
五体満足でも、様々なことが原因で自殺に至る人もいる。
身体に不自由を抱えていても、いつも笑顔の利用者様に出会い、
幸せは主観的なもので、誰にでも幸せは感じることができるということ
そして、笑顔の大切さ。
私は、私で、私以外の誰かにはなり得ない。
だから、本当の意味で他の誰かを理解する・共感することはできないのかもしれない。
でも、理解しようと努めることはできて、
理解するかしないかより、その気持ちが大切だと思う。
ラーメン屋の修業と組み合わせると休みなしでしたが、きっと今後に生きていく糧になるものを得ることができた気がします。
10.私の生涯目標
様々なことをやっていて、フラフラしているように見えるかもしれませんが、私にとって全てが繋がっていて、私の“大切にしたい軸”に沿っています。
私の生涯目標は「“つながり”を生み出す空間や機会を提供できる人になる」です。
この生涯目標を様々な形で実現したく、これを軸として私は日々を生きています。
20代は多くの人に出会い、多様な生き方と価値観を知る事で、自分自身の人間としての器を大きくし、様々な地に足を運び、広い視野を持てるようになりたいと思っています。そして、30代に“つながりを生み出す場”を作り出したいと思っています。
自分の力を最大限に活かすのは、自分が一番好きな土地で、自分のやりたい事をすることだと思っています。今現在、一番好きな土地はフライブルクなので、フライブルクで私の生涯目標を実行に移す予定です。
11.学生さんにメッセージ
私は同い年の人よりも不安定な生活をしているし、持っているものも少ないです。
でも、私は“私”をもっていて、そして何よりもいざという時に支えてくれる素敵な仲間がいます。
だから、毎日充実しているし、私は自分の人生を楽しめています。
日本には『こうあるべき』という社会的に作られた暗黙の型があり、それに捕らわれ、自分が本当にやりたいことを我慢している人が多い気がします。
既に引かれたレールの上を歩むのではなく、自分で人生の道を創り出す人が増えたらいいなと思っています。私は自分の未来を自分で創造していく人を応援したいし、そう願う人が実行できる世の中にしたい。そのために、自分自身がそれを示せるような人間になろうと日々を歩んでいます。
今、忙しいと思っている学生さんもいるとは思いますが、社会人になると、圧倒的に自分ではコントロールできない時間が増えます。
今の学生時代を大切にして、様々な人と出会い、多様な生き方に触れて下さい。
そして、自分がどう生きたいか、何を大切にしたいかを考える肥やしにして下さい。
まとまらない長文でしたが、ここまでお読み頂きありがとうございました。
17都市13ヶ国*
・厦門(中国)・シンガポール・ポートルイス(モーリシャス)・レユニオン島(仏領)・エホアラ(マダガスカル)・ポートエリザベス(南アフリカ)・ケープタウン(南アフリカ)・ヴォルスベイ(ナミビア)・リオデジャネイロ(ブラジル)・モンテビデオ(ウルグアイ)・ブエノスアイレス(アルゼンチン)・ウシュアイア(アルゼンチン)・バルパライソ(チリ)・イースター島・パペーテ(タヒチ)・ボラボラ島(タヒチ)・アピア(サモア)
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