教員のBLOG

英語学科にはとにかく女子学生が多い。第一回目となるteacher_blogはできれば女性を(もちろん男性も)元気にするお話をしたいと考えました。古居みずえ監督のドキュメンタリー映画『ガーダ―パレスチナの詩』(2007)は逞しい女性たちの物語。生きていく勇気がもらえます。 このドキュメンタリー監督の古居みずえ氏は、37歳の時、原因不明の関節リウマチに襲われ、1ヶ月後には歩行器なしで動けなくなりました。「もうだめだ」、と諦めかけた時、投薬した薬が奇跡的に効いたのだそうです。「一度きりの人生。何かを表現したい。」その時、古居氏は普通のOL生活から女性ジャーナリストとしての再出発を決意します。彼女は心機一転パレスチナの地へ。ハンユニス難民キャンプでガーダという若い女性と出会いますが、彼女はパレスチナの紛争に巻き込まれながらも、力強く生きる道を模索している女性。 古居監督は「パレスチナの人たちの素顔を伝えたい」という思いで、長年にわたり、彼らの生活、戦場、信念を貫く姿をカメラで追い続けました。1988年、イスラエルの占領に反対するパレスチナ人の抵抗運動(インティファーダ)が起こっていたころに、ガーダとその家族の記録を撮り始めた彼女は、2004年までそれを継続しました。その間に、ガーダは結婚し、ガザ地区に引っ越します。長女ガイダに続いて、長男ターレックを出産し、母親となるのです。しかし、2000年には第二次抵抗運動がおこり、わずか13歳であった甥カラムがその犠牲となります。武器のない市民も石を投げることで抵抗に参加していたので、「石の闘い」とも言われていて、カラムが銃で撃たれたのはその最中でした。 ガーダはこの出来事をきっかけにパレスチナ人のアイデンティティや歴史を守っていく必要性を強く感じ、1948年の戦争を生きた女性たちをインタビューし、本に書くことにします。古居氏はガーダのその活動の一部始終をカメラで追います。ガーダはもともと向学心があり、結婚しても大学に通いながらパレスチナの歴史や政治情勢について研究すること続けてきました。彼女が出会った女性たちの声を通して、パレスチナが他国に次々と占領され、土地を略奪されてきた民だということが伝えられます。  80歳にもなるガーダの祖母ハディージャは、その昔、故郷の地ベイトダラスの土地で野菜や果物を作り幸せに暮らしていましたが、戦争がはじまり、そのすべてを置いて逃げだします。ガーダが初めて農民ウンム・バシーム(67歳)から話を聞いたのは2001年ですが、そのころはまだ自給自足生活が送れていました。オレンジの木や花が咲き乱れ、昔の生活様式をそのまま残していました。夫がウンム・バシームへの愛を歌で表現するのが印象的です。 「日が沈み、月がでて、 ずっと口付けしていても思いはつきない たとえなにが起ころうとも あなたから離れたくない ウンム・バシーム 君はとても大切な人 死ぬまでずっとあなたを愛する 私の愛するあなた」 しかし2002年には、イスラエル軍によって土地も畑も奪われてしまい、ウンム・バシームの生活は大きく変わります。 ハリーマの場合は、2台のブルドーザーに家を壊されてしまいます。彼女はこのような占領が自分たち苦しめ、アラブを苦しめるのだ、と訴えます。「最初の占領はトルコ、次はイギリス。いろんな国が来たけど今のイスラエルほどではない」という彼女の表情は悔しそう。近年になってもイスラエル軍はガザ地区南部にある入植地に隣接したパレスチナ人の家を破壊することがあります。これによって多くのアラブ人たちがテント暮らしを強いられました。  2001年の9.11以降、アフガニスタン戦争、イラク戦争などに対して、アメリカがアンチ・テロリズムをスローガンに掲げる時代に突入してから、パレスチナの抵抗運動が「テロ」という範疇に入れられ、日本のマスコミによって伝えられました。この『ガーダ』というドキュメンタリー映画を見た後では、日本のマスコミから流れてくるパレスチナ像はあまりに偏っていると感じます。産み、育む女性たちの力強い生き方がテーマとなっているこの映画は、日本にいる私たちにもいろいろと考えさせてくれます。(小川公代)