ここでは、専攻語科目、英語圏基礎科目、英語・英語研究科目群でそれぞれ開講されている講義をいくつか紹介します。英語学科では、英語表記の講義は全て英語で行っています。
専攻語科目
English Skills(1・2年生対象)
英語学科では、英語「で」考え、発信し、議論できるアカデミックな英語の運用能力の向上を目的としています。English Skillsは1年生・2年生対象に週2回行われ、さまざまなアクティビティを通じて、包括的な英語力(主にスピーキング・リスニング)を伸ばすコースです。
飯島真里子先生の「English Skills」の授業では、英語圏の歴史、社会、文化について学びながら、日本社会及び世界との関連性を考えることができるテーマ、例えば「国籍」「エスニシティ」「差別」「多文化社会」「移民」などを取り扱っています。各テーマを網羅するのに最低4講義を費やし、内容に関連する記事のリスニングと読解、さらに内容の理解を深め多角的な視点を養うためのディスカッション(場合によってはディベート、プレゼンテーション)、講義内で学んだことにもとに自分の意見を述べるパラグラフ・ライティングを行います。
このような段階的なアクティビティを通じて、物事を批判的に考える力、意見交換を通じて他者の視点から理解する力、自分と日本社会・世界とのつながりを把握できる力を養っていきます。少し難しい講義に聞こえてしまいますが、少人数のクラスなので教員と学生の距離がとても近く、誰でもが積極的に意見を述べられる雰囲気がある講義です。
Cultures of the English-Speaking World (1年生対象)
英語圏の社会と文化を深く理解するため、基礎となる知識をプレゼンテーションやディスカッションを通して身に付けるコース。
スーザン・エドワード先生の「Cultures of the English-Speaking World」は、イギリスやアメリカの英語圏社会においてアイデンティティーがどのように形成されているかがテーマとなっています。イギリスで話されている英語の種類(さまざまな方言、パブリックスクール英語、河口域英語、マイノリティーの話す英語など)について勉強します。これらの英語の種類は社会階層、地理的要因、ジェンダー、教育などによっても影響を受けており、それらの文化的背景についても説明がなされます。これに対してアメリカや他の英語圏の地域ではどういう英語が話されているか、またそれらの英語がどのような文化・社会を背景にしているかも勉強します。
これらのテーマは、講義、読解、ドキュメンタリー・映画分析、絵画分析、ディスカッションやプレゼンテーションなどの活動の中心としています。映画は、例えばイギリス映画East is East(移民をテーマとしている) やアメリカ映画Little Miss Sunshine(アメリカの伝統的な価値観をテーマにしている)などを取り上げます。絵画は、例えば18世紀の絵画(ターナーが描いた奴隷船)や、現代美術の代表格(アンディーウォーホール)などを分析します。
この授業はすべて英語で行われ、学生は英語圏の文化について英語で学び、英語で読み、英語でディスカッションをするトレーニングを行います。高校では、「スタンダード」な英語を学んできた学生も英語学科に入学すると、その背景知識を習得したり、異なる英語に触れることによって、英語に関するより深い知識を得ることができます。
英語圏基礎科目(2年生対象)
英語圏基礎科目では、英語圏に関する歴史・文化や英語という言語についての研究に関する基礎知識を身に付けることを目的としています。さらに、3・4年生で専門知識を深めるにあたって必要なリサーチスキルズも学びます。内容は、各教員の専門分野によって異なり、「American Studies」「American History」「Asia-Pacific Studies」「Theoretical Perspectives on Literature」「英文学講読」「現代社会」「Word Strategies」「Language Learning and Teaching」「バイリンガリズム」など多岐にわたるテーマの講義が開講されています。学生は基本的に以上の講義群から一つを選びます
小川公代先生の「Theoretical Perspectives on Literature」の授業では、精神分析理論、ジェンダー理論、批判理論を使っておとぎ話を分析していく、ということを行っています。誰もがその内容を知っていて、欧米でもさまざまな研究がなされているおとぎ話は、英語で物語を批評することに慣れたり、その分析手法を身につけたりするのに、とても適した素材です。例えばグリム兄弟の「赤ずきん」。少女が被る「赤い」頭巾は(思春期の)身体的な成熟、「狼」は人間の性的欲動を象徴することは、複数の批評家たちによって分析されてきました。
この背景知識を習得することで、(段階的にですが)「赤ずきん」を下敷きにしたアンジェラ・カーターの短編作品「狼たちの仲間」のフェミニズム的な提言も読みとることに挑戦したり、西欧文化に根付く「超自我(理性)vs. 欲動」について英語で議論したりします。また、物語や文学は「言葉」そのものと向き合う機会も多く与えてくれるので、おとぎ話を対象にさらに精神分析理論の分析を行ったりすることによって、多くの言葉に出会えます。もちろん、西洋文化に浸透している言葉がすべて、すんなりと日本語に変換できるわけではありません。例えば日本語の「成熟」は成熟した“結果”を示すときに使うことが多いように思いますが、英語の「maturity」は成熟する“過程”をそのニュアンスに含んでいます。こうした違いは、機械的に辞書を引いているだけではなかなか理解できません。
言葉というものは、それぞれの文化や歴史のもとで実に多彩な使われ方をしていて、高い柔軟性を持っています。ですから、英語を日本語に置き換えていこうとするのではなく、英語なら英語だけの体系をまず頭の中に構築していくことが大切。小川先生の英文講読では、英語圏のみならず、世界中で読み継がれてきたおとぎ話について英語で議論し、解釈を試みることによって、学生自身が確固たる英語の体系を築いていくことを目的としています。
英語・英語圏研究科目
Japanese-English Translation
日本語を英語に翻訳するプロセスが創作的な(creative)なものである、ということを実践で学んでいくコースです。
ジョン・ウィリアムズ先生の「和文英訳」の授業は、広告のキャッチコピーや詩などをどのように英語に訳せばよいかを学びます。前期は主に実社会で遣われている日本語(広告のキャッチコピー)を英訳する練習をします。英訳する過程において、「直訳」でない(つまり「意訳」)自然な英語を書けることは実践的に仕える大切なスキルです。
例えば、
「春に恋。弘前に来い。」
といったような掛け言葉のあるキャッチコピーは英語に訳したらどうなるでしょうか。
“A spring fling in Hirosaki.”
確かに「恋」という名詞も、「来い」という動詞もこの英訳には見当たりませんが、springとflingは韻を踏んでいて、掛け言葉のようになっています。さらに、flingには「楽しいことをする」と「誰かを短い期間好きになる」という両方の意味があります。
また、後期は、主に日本の詩や歌詞を英語に訳す練習をします。この際、意味だけでなく、「文脈」や「響き」を考えながら英訳します。学生は自分の好きな詩や歌詞を選択し、それぞれ工夫しながら訳をしていきます。この課題で、高村光太郎の「レモン哀歌」を英訳した学生もいます。
この授業では、翻訳するプロセスにおいて「言葉」を選択することの楽しさ、そしてなにより、クリエイティブな作業としての英訳が実感できます。
Intercultural Interaction(2~4年生対象)
自分と違う背景を持つ相手と英語でコミュニケーションをする際、どのような誤解が生じ得るのか、誤解の原因は何なのかというテーマを実際の会話例などから学ぶコースです。
リサ・フェアブラザー先生の「Intercultural Interaction」の授業では、人間のコミュニケーションについて深く学びます。英語を学校で長年勉強しても、国際社会で英語を実際に使おうとすると、誤解、摩擦など様々な問題が生じますが、その問題の原因、あるいは問題が生じたこと自体に気が付かない人も実際には多いでしょう。まず前期では、「誤解」の原因について学びます。「誤解」が生じる主な原因は4つあります。一つ目は発音、語彙、文法などのミスから生じる「言語的誤解」です。たとえば、「right」の代わりに「light」を言って、誤解を招いたような場合を示します。二つ目の原因は「社会言語的誤解」です。この場合、英語の文法や発音などは正しいのに、場面や相手に対して英語を適切に使わなかったことを示します。例えば、無意識に目上の人に失礼に聞こえる表現を使ってしまった場合、相手に不愉快な印象感を与える話題を選択した場合などがあります。3つ目の原因はことばの使い方とは直接に関係せず、相手との異なる価値観、習慣、世界観などから生じる「社会文化的誤解」です。例えば、留学先で異なる教育制度と価値観に気が付かず、誤解してしまう日本人学生は少なくありません。例えば、イギリスの高校では、「卒業」という概念がないので、高校を修了しているのに、「高校を卒業していない」と発言する人さえいます。また、イギリスの大学のほとんどは3年制度なので、イギリス人が日本で「20歳で大学を卒業した」と言ったら、短大にしか行っていないと勘違いされてしまう場合があります。そして4つ目の誤解は、自分の外見、なまり、性別などに対して相手の態度から生じる誤解です。たとえば、「日本人は英語が下手だ」という先入観を持つ人とコミュニケーションを取ろうとする際、流暢な英語を話しても相手に通じない場合があります。
誤解の原因は色々ありますが、そのすべては「文化の違い」から生じるものだとは限りません。むしろ、この授業では、「文化」というラベルについて批判的に考えていきます。同じ日本人でも、年齢、出身地、ジェンダー、職業、場面の種類、パーソナリティなどによってコミュニケーションのとり方が異なるので、一つの「日本文化」を定義するのがほぼ不可能です。あえて「日本文化」というラベルを使うと、ただのステレオタイプの話になってしまいます。そうではなく、どのような人がどのような相手とどのような場面で、何のためにコミュニケーションをしているのかを考えた方が意味があります。
後期では、前期のテーマをもっと深く考えながら、国際的職場、教育場、交友などの特定の場面においてコミュニケーションをとる際に生じる誤解の特徴と問題点について学びます。さらに年齢、ジェンダー、職業などによって背景が違う者同士のコミュニケーション問題についても考えていきます。
講義、タスクやディスカッションを通して、「文化」は何なのか、人間のコミュニケーションはどのように行われるのかについて学んでいきます。
Methods in Teaching English C
「英語科教育法/Methods in Teaching English」は、中学、高校の英語教員免許状の取得を目指す学生が獲得しなければならない英語教育に関する知識と技能を教えるクラスです。特に教員免許の取得は考えていないが、英語教育に関心があるという学生も履修することが可能です。
和泉先生が教える「Methods in Teaching English C」のクラスでは、既に英語科教育法IやIIのクラスを受講してきた学生が履修することを想定して、より実践的な内容に踏み込んだ授業を行っていきます。学期の最初のうちは、従来の日本の英語教育について批判的に振り返り、それをいかに改善していけるのかについて話し合うことから始まります。その上で、具体的な授業のイメージを考えてもらい、それをグループで具現化していって、クラスメートを中学生または高校生と見立てて実際に授業を行なってもらいます。模擬授業後には、その授業について皆でフィードバックを与え合い、何が良かったのか、またどこに改善点があるのか、どのように改善でき得るのかについて話合いをします。これを各グループごとに行ないます。「第1ラウンド」後には、セカンドチャンスとして再度別の授業について考え準備してもらい、これも「第2ラウンド」として皆の前で模擬授業をしてもらいます。多くのグループでは、グループメンバーの興味、趣向に応じて、例えば、1回目を中学生対象、2回目を高校生対象といった形で、レベルの違う生徒を対象として授業案を考えて実践しています。
学期全体としてこのような模擬授業の占める割合は7~8割となります。いかにこの授業が実践面を重視しているのかがお分かりかと思います。究極的に言ってしまうと、良い先生になるための知識や技能は教えることができません。それは自ら体験を重ねて、それを批判的且つ建設的に振り返りながら、再度挑戦していく中でしか身につけることが出来ないのです。その過程の中で、講義を聞いたり、英語教育関係の本を熟読したり、仲間と話し合ったり、生徒の声にじっくりと耳を傾けてみたり、更にその上で準備とリハーサルを繰り返したりするのです。このようにしてこそ、始めて「教える」ということの難しさと素晴らしさを学んでいくことが出来るのだと思います。
Nobody can really teach you how to teach well. You have to do it yourself, reflect on it critically and constructively, and try it again with modifications. In the meantime, you should also read relevant books on language teaching and learning, listen to class lectures, discussing with your classmates or colleagues, and listen to students’ voices sincerely. Lots of preparation and rehearsal are indispensable as well. That is the only way the act, or rather the “art,” of teaching can really be acquired.
しかも、これはあらゆる面で、生涯学習の始まりと言えるかと思います。教師が学ばなくなったら、教師ではいられなくなってしまいますから。それを体験的に始めるのがこのクラスの目的です。