「論文のすゝめ」
2月も半ば。立春を過ぎてからの寒さが身に沁みます。すでに春休み真っ只中で、羽を伸ばしている学生も多いことでしょう。ちょうどこれから今学期の成績結果が開示されるときでもあり、新年度に向けて期待と不安の入り混じったような少し落ちつかない気持ちをもつ在校生もいるかもしれません。特に2年次生は、3年次に進むにあたって、研究コースと専攻(第二主専攻・副専攻)の選択に迫られ、思い悩んだ人も少なくなかったのではと思います。
コロナ禍の影響もあってか、最近の学生からは「守りに入った」発言が時々聞かれるようになりました。先輩たちからの情報がコロナ以前より格段に少なくなったことや、オンラインでの活動が多くなったことからくる孤独感、実体験やモビリティの制約による経験値の減少がもたらした影響は計り知れません。昨年まで激減した海外での留学や研修の機会についても、現在再開されつつあるものの、直近の情報が不足していることからくる不安感が払拭されていないようです。
かつては「3年で留学、1年海外で過ごし、単位は十分取れるだろうけれど、しっかり就活と卒論執筆もしたいので5年計画で行きます」というタイプの学生が結構見られたものです。しかし、昨年のゼミガイダンスでは「留学する予定なのですが、副専攻にしておいたほうが安全ですか?」というような質問も出されました。「あなたが本当にやりたいことはなんですか? 決めるのはあなたです」というような返答をしましたが、答えに一瞬窮したのも事実です。
そのような中、1月半ば、私が所属する学科で恒例の卒論発表会が行われました。今年度のゼミ生はコロナ禍で対面授業や留学経験の機会において最も制約を受けた学年でしたが、にもかかわらず、それぞれの分野で深めたい問題に遭遇し、研究のモチベーションを維持しながら、極めて意義深い卒論を完成させました。私がゼミで指導してきた学生も、3年次の春学期はテーマもぼんやりしていたり、1年経ってもどこに焦点を当てて良いのか決めあぐねていたりと、様々な葛藤を経験しましたが、卒論を無事提出したのちのプレゼンテーションでは、実に自信に溢れ、自分の関心事に2年間取り組んだことを堂々と披露してくれました。
外国語学部では、副専攻という選択肢も用意されており、多様な学習計画を支援するものではありますが、これからの下級生には、是非卒論に取組む機会がある第二主専攻でチャレンジしてほしいと思います。
第二主専攻を選択したいのだが、卒論執筆が果たして自分にできるだろうか、という不安から回避する学生もいることでしょう。ですが、果たして論文執筆のハードルはそんなに高いものでしょうか?
いかなる専攻分野にあっても、学術的な批判的思考(critical thinking) を身につけることは大学教育の支柱の一つです。これは、ある特定の事項や現象について、さらに深く知るためにまず自分以外の人々がこれまでどのようにそれを理解してきたかを知り、その上で自分の疑問や考え方をぶつけて、新しい見方や事実を発見し、その意味を分析し、自分の立ち位置を明らかにしつつ理解を組み立て、議論を展開させてゆく、というような一連の知的作業の結果養われてゆくものです。
こうした作業を行うには、単にある事象について調べることを目的とするのではなく、なぜそれが起こるのか、あるいはなぜある人はそれをXXと理解するが自分にはYYととらえられるのだろうか、この違いは何か、どうやって説明できるのか、という問いに基づくリサーチ・クエスチョンがまず前提として必要になってきます。
この一連のプロセスを楽しむことこそが論文を書く醍醐味なのですが、当人はその作業中は悶々とするし、時間との闘いやら、ゼミでの発表のプレッシャーだとか、様々な壁に対峙しなければなりません。ですが、その先にあるものをつかんだとき、どんな景色を見るのか、それは実際にやってみたものでなければ経験できない達成感でしょう。ある学生が「ずっともやもやしていたけれど、ある時一つのピースが『ぱちっ』とはまったとき、なるほど、という爽快感があった」と話していました。おそらくそういった感覚を手にしたとき、人は「手ごたえ」を感じ、そこから自信を得るのではないかと思います。
是非これから研究コースに入る2年次生には、それを目指して欲しいと思います。また上級生には、そうした達成感をつかみとるまで、充実した論文執筆に取り組んで欲しいと心から思うのです。
2023年2月16日