学科の歴史

1953年 第二外国語としてのイスパニア語科目開講開始
1955年 文学部外国語学科イスパニア語専攻設置。定員30名。一期生入学
学科生によるスペイン語文化研究会が本邦初のスペイン語新聞『コレオ』創刊
1956年 学科生によるイスパニア語劇団創設
1958年 外国語学部イスパニア語学科発足。定員50名。女子学生受け入れ開始
1959年 イスパニアセンター開設
1964年 イベロアメリカ研究所開設
1969年 学科教員のフェリス・ロボがNHKテレビ「スペイン語講座」に出演開始
1970年 新入生向け学科紹介冊子『VÍNCULO』創刊
1976年 学科定員60名に増員
1979年 アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス来校
ペルーの作家マリオ・バルガス・リョサ(2010年ノーベル賞受賞)
来校
ラテンアメリカ地域研究履修証明書」発行開始
1980年 イスパノアメリカの大学として最初となるコルドバ・カトリック大学(アルゼンチン)と交換留学協定締結。(2013年12月現在、イスパノアメリカ全体の協定締結校8校)
スペイン国王夫妻来校
1991年 スペインの大学として最初となるバルセロナ自治大学と交換留学協定締結。(2013年12月現在、スペインの協定締結校6校)
1998年 メキシコの大学として初となるモンテレイ工科大学と交換留学協定締結
2009年 学科生によるイスパニア語劇が復活
2008年 1、2年次生の基礎イスパニア語に新カリキュラム導入
2013年 学科定員70名に増員

Highlights

「鬼のイスパ」?

イスパニア語学科では草創期から、アメリカのジョージ・タウン大学方式として知られた徹底的なパターン練習を語学教育に採用していた。これは読み書きを中心とした従来の日本の語学教育とは根本的に異なり、話せるようになることを目指したメソッドで、徹底的な反復練習を行う授業では、学生は欠席することはおろか、一瞬たりとも気を抜くことも許されず、常に緊張を強いられた。そんな中から生まれた「鬼のイスパ」というあだ名。カリキュラムは当時とは大きく変わったものの、その伝統は今もしっかりと受け継がれている。

日本におけるスペイン研究の拠点

現在のヨーロッパ研究所イベリア地域研究部門の母胎は、1955年にスペイン外務省、在日スペイン大使館、上智大学の三者合意により上智大学内に設置された、スペイン外務省文化部所属のスペイン大使館図書室。これを核として、1959年にスペインの文化、社会、言語、政治等に関する研究、 ならびに日西間の学術交流の促進を目的としたイスパニアセンターが設立された。1994年にはイスパニア研究センターに改称し、より研究主体の活動へ移行。2009年にヨーロッパ研究所と統合したが、その伝統と活動はポルトガルも含めたイベリア半島研究を行う「イベリア地域研究部門」に継承されている。

体系的なラテンアメリカ研究

本学科では学生にラテンアメリカ関係の科目を体系的に学ばせるという目的で、30年以上前からポルトガル語学科およびイベロアメリカ研究所と協力体制を組み、既定のカリキュラムを履修した学生に対して「ラテンアメリカ地域研究履修証明書」を発行してきている。これは2014年度以降のコース制においても「ラテンアメリカ研究コース」に踏襲され、さらなるカリキュラムの充実が図られている。

社会人に対するイスパニア語教育のパイオニア

1959年に設立された上記のイスパニアセンターでは、1960年から1992年までの長きにわたり、中心的活動の一つとして学科教員による社会人向けスペイン語講習会を開催していた。その受講者数は32年間に延べ1万5千人にのぼった。今でこそ社会人も気軽に語学学校でイスパニア語を学べるようになったが、そのパイオニアは本学とイスパニア語学科なのである。

本邦初のスペイン語新聞発行

草創期のイスパニア語学科生が中心となって1956年に発行を開始した日本初のスペイン語新聞『コレオ(Correo)』。その目的はイベロアメリカ諸国との相互理解を深めようというもので、活動は1990年代まで続き、海外でも大きな反響を呼んだ。

伝統のイスパニア語劇

2009年に念願の復活を果たした学科生によるイスパニア語劇。その歴史は半世紀以上前にさかのぼる。学科創設から間もない1957年、学科生による本邦初のスペイン語劇、オペレッタ「ラ・ビエヘシータ(おばあちゃん)」が上演された。しかし当時はまだ女子学生を受け入れていなかったため、女性役は武蔵野音楽大学の女子学生に協力を要請してようやく実現した。苦労の甲斐あって、スペイン人の観客は涙を流して喜んでくれたという。

高度成長期の日本の中南米進出を支えた「つわものたち」

高度成長期にあって、中南米に進出した日本の多くの企業の第一線で活躍した人たちの中には、多くのイスパニア語学科の卒業生がいた。在学中から中南米での活躍を夢見ていた学生も少なくなく、なんと2期生の有志の間ではアマゾンの奥地に「ソフィア・コロニア(コロニー)」を建設しようという構想まで持ち上がった。その実現を目指して猛勉強したり、北海道の農家に研修に出かけたりしたこともあったという。また1961年には本学科の現役生7名とOB2名が「南米事情問題研究隊」としてアルゼンチン、ブラジルなど南米4カ国8万キロを自動車で走破し、日本人移住地の視察を行った。一方、ヨーロッパ各地を放浪して日本におけるヒッチ・ハイクの先駆けになった猛者もいた。こうした本学科の「つわもの」たちが、現在の日本の繁栄の一翼を担ったといっても過言ではない。

学生運動の時代の学科生

1960年代末の日本を揺り動かした学生運動は本学にも大きな混乱を巻き起こし、イスパニア語学科生の中にも大学紛争に巻き込まれる学生が多数いた。イスパニア語と中南米について学んでいた彼らは、キューバ革命やアルゼンチン生まれの革命家エルネスト・チェ・ゲバラの思想に親近感を抱き、フィデル・カストロやゲバラの言葉をイスパニア語で書いた立て看板をキャンパスに立てて活動していた。

本学を訪れたイスパニア語圏の著名人たち

日本におけるイスパニア語教育およびイスパニア語圏研究の重要な拠点であり、スペインおよび中南米諸国の大使館とも密接な結びつきをもつ本学には、これまでにイスパニア語圏の多くの著名人が訪れている。1980年にはスペインの現国王フアン・カルロス1世とソフィア王妃が来校され、国王に対して本学名誉校友の称号を推戴した。その式典にはスペイン大使館員、教職員、本学科生などおよそ200名が参列し、国王からは「上智大学が極東におけるスペイン学、イスパノアメリカ学の最先端にあることを知り誇りに思う」とのお言葉を頂戴した。この他、ボルヘスやバルガス・リョサといったラテンアメリカ文学を代表する作家、元スペイン首相アスナールなども来校し、本学科の教員や学生と交流している。

教員、卒業生、現役生を結ぶ「同学会」

本学科の教員、卒業生、現役生からなる大組織「同学会」。その構想は1期生の卒業前にまでさかのぼり、5期生が4年生の頃に設立されたという長い歴史をもつ。現在も現役生部会と卒業生部会に分かれて活動しており、毎年5月末のオール・ソフィアンズ・デーでは現役生と卒業生がともに参加した親睦会も開かれている。本学科の発展にとって、教員も含めた学生同士のタテのつながりは昔も今も重要である。