ワークショップ”Japanese Imperialism in and across the Pacific Region”
参加報告記
ロンドン大学研究員 坪田=中西 美貴
秋が始まりだした9月3日から5日までの3日間、スイスのチューリヒ大学で行われたJapanese Imperialism in and across the Pacific regionワークショップに参加した。日・欧・米から集まった発表者はいずれも帝国日本の研究者で、ヨーロッパからのオブザーバーは、日本以外の帝国の研究者であった。
日本での学会やワークショップというと、発表の内容自体について細かに問うことが議論の中心になるが、特に今回はオブザーバーの研究領域がそれぞれ異なる帝国であることもあって、むしろ帝国という一つ政治体の営みのありかたについての、地域と時代を横断した問いが中心となった。統治あるいは政治体のありかたの一つとして帝国というものを議論するという進め方は、細かい差異を超えた上での共通点や差異、同じ分析枠組みや理論の適用可能性などについて議論を深めることができたという点で、刺激的な経験であった。
同じ分析枠組みということで例を挙げると、あるひとつの場所におけるいくつもの帝国の営みを、あたかも地層のように重なってきている(layered)という捉え方や、帝国同士による植民地経営の‘真似’という行為をどのように考える、表現するかなどは、確かに特定の帝国のみに当てはまることではない。むしろ領域横断的かつ深層に潜って研究することで、自分が対象としている帝国が再吟味できるとともに、帝国という政治体たちが持つ特質が、より明らかになるであろう。
この真似という言葉とその訳語については、今回英語を中心としつつも日本語、ドイツ語がまじりあう多言語ワークショップであったこともあって、深く考えさせられた。
日本語で真似という語には、完全なる否定的ニュアンスはなく、文脈が意味を決めている。しかし真似という語を英語で書く際、mimic, imitateなど、正統性と偽物(真似た物)という対立概念や嘲笑という意味を含み持つ語を選ぶならば、それは当初から真似られる者が正統性を持ち、真似る者が亜流だと定義してしまう。日本など後発の帝国が先発の帝国を後追いすることは、まさにこれらの語によって表され得る。しかし、帝国の営みが層状になっていることを思い起こすとき、実はなにも後発の帝国のみならず、帝国同士、相互の真似をしてきたし、植民地化した土地には、以前の帝国統治の跡がそこかしこに残っていて、先の帝国が残した制度を流用してきたのではなかったか。そこで、帝国の植民地の経営を、adapt(という「真似」)として語る方法もあるのではないかというのである。
このことを私の研究領域である台湾での先住民統治について考えてみると、帝国日本による台湾植民地化の過程で、先住民を統治する機関として撫墾署というものが設置された。従来の議論ではそれは、「真似た物である」か、「名称や内容は似ているが実は別物である」といった程度の言及しかされてこなかった。だが、真似(imitate)かどうかといった二項対立で語りを終えてしまうのではなく、日本の植民統治地以前に台湾を支配していた中華帝国や場合によってはオランダ統治という層、そして江戸幕府という層の上に置いてみることで、植民地台湾における帝国日本から先住民への制度やまなざしが、どのような「継承」や「再・構築」を持ったのかという新たな問いをもたらしてくれる。
また、今回の発表課題を、帝国日本という領域内でのみ考えるのではなく、イギリス帝国内のオーストラリアなど、先住民を抱えていた地域との比較を考えてみることを勧められたことは、思いもよらない展開であった。
このように、今後の課題や、これから新たに拓いていく方向性が見えてきたことは、大きな収穫であり、充実という以上の成果を得ることができた。貴重な経験をいただいたことに感謝するとともに、このような機会がますます増えていくことを期待している。