参加報告:シンポジウム「戦争が生み出す社会―関西学院大学先端社会研究所叢書『戦争が生み出す社会』を手がかりとして」(崔 徳孝)

海外研究連携者・崔徳孝さんによるシンポジウム報告です。
2014.10.04

参加報告:シンポジウム「戦争が生み出す社会―
関西学院大学先端社会研究所叢書『戦争が生み出す社会』を手がかりとして」

開催日:2014年9月15日
会場:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1405 号室

今回の書評シンポジウム「戦争が生み出す社会―関西学院大学先端社会研究所叢書『戦争が生み出す社会』を手がかりとして」は、三冊の叢書として発表された大学の研究所による野心的な成果を包括的に論じる非常に意欲的な試みであったといえる。評者のコメントも各書の重要な論点を先行研究との関係から的確に浮き彫りにし、そこからさらに議論の新たな地平を切り開いていくような刺激的な問題提起および批判を展開するなど、とても緊張感にあふれたものであった。しかし、中山氏が参加報告のなかで指摘しているように、ほとんどの執筆者が不在のなかで編者との質疑応答と抽象的議論に終始してしまった感があり、評者が展開した具体的な問題提起を今後の研究課題の可能性として争点化させていく方向にまで発展できなかったのは残念であった。とくに引揚研究にかかわっている私としては、『引揚者の戦後』(島村恭則編)をめぐる議論から多くのことを学び自身の今後の研究に取り入れていこうと意気込んでいただけに、松浦・松田両氏の論評が提示した引揚研究をめぐる方法論的な問い(「帰還移民(return migration)」という概念の有用性への問いなど)に対する応答が真正面からなされなかったことには、至極物足りなさを感じた。

同書の議論、および同書をめぐる合評会での議論のなかで私がとりわけ関心をもったのは、松田氏の提起した「『引揚者』は歴史的概念なのか、分析概念になりうるのか?」という問いである。松田氏の指摘のように同書の第8章には、「『引揚者』というラベルは一方的に押しつけられたものではない。歴史体験と記憶の選定、その意味づけに加えて、帰国後に居住、就業、社会保障など制度化された排除と差別が共鳴し合いながら、『人種』としての境界を再生産し続けたのは事実である」という、非常に興味深い議論が提示されている。残念ながらこの議論は問題提起の域を出ておらず、「引揚者」という「人種」としての境界の再生産とそのメカニズムの解明は同書全体のなかでも本格的に論じられてはいないが(第6章のパラオからの引揚者の事例はこうした境界再生産のメカニズムをパラオでの「階級社会」の経験との関係から示唆している)、「引揚げ」「引揚者」の分析概念・方法論としての可能性を模索する際に「人種化 (racialization)」という視座の導入は重要なのではないかと思われる。

「人種化」という議論では、これまで一般に理解されてきた生物学的な範疇の存在(もしくは本質的な差異の存在)を前提とした「人種」としての人種集団化ではなく、文化や宗教そしてその他諸々の差異を本質化して(本質的な差異として)他の社会集団を排除もしくは従属的に包摂する機能として「人種化」を捉えることができる。また、こうした「人種化」は必ずしも、支配集団によるある社会集団の他者化とその差異の本質化(主に「血統」の論理の導入)によって一方的におこなわれるわけではない。同書の第8章では、他者として名指された者たち(引揚者)が構造化された排除や従属を生きながら自ら積極的・消極的な自己定義をおこなっていく過程においても、「人種」としての境界が再生産されるものであると理解されている。すなわち、ある社会集団の他者化が排除や従属的な包摂、そしてそれに対する抵抗の過程でどのように展開されるのかという問題を「人種化」の機能として広く捉えながら、引揚者の戦後日本における体験を「人種」としての境界の再生産として論じているのである。(ある意味ではエスニック・アイデンティティ論に近いものであるといえる。)

私は引揚者の体験を概念化する上でこうした「人種化」の視座の導入は非常に有用であると考えながらも、引揚者の「人種化」をより大きな世界史的な局面の文脈に結びつけて議論することが重要であると考える。つまり、同書第8章の議論のように、引揚者の「人種」としての境界の再生産を「帰還移民」に広くみられる現象として移民研究の方法論や用語で翻訳し一般化するのではなく、引揚げという「できごと」の歴史性のなかからそうした「人種化」の重要性を理論化していく作業が必要であると言いたい。引揚げを「帰還移民」という概念で括ることに対し、松浦氏がコメントのなかで「植民地帝国の崩壊」という歴史的文脈が捨象される危険性に触れながら、「引揚者の生活文化というミクロな現象と植民地帝国の崩壊というマクロな歴史的文脈とをどのようにつなげるか」という問題を指摘したが、私もまったく同感である。私は引揚げを脱植民地化の時代に特有な歴史的「できごと」として捉えることで、引揚げと「人種化」の関係という問題設定が、植民地帝国後におけるナショナルな境界の再定義(もしくはracialization of national boundaries)のメカニズムを解明する一つの方法論となるのではないかと考えている。これは引揚げを「帰還移民」として概念化し通時的な「人種化」の経験と比較可能にするだけでは見えてこない側面であり、引揚者の「人種化」だけでなく引揚げがracialization of national boundariesに及ぼしたインパクトという側面までも射程に入れる方法論である。

すなわち、植民地帝国崩壊の過程とは、ナショナルな境界の根本的な再編(真の「国民」とは誰か、完全なシティズンシップを有するのは誰か)が国家の一大プロジェクトして立ちあらわれてくる歴史局面であり、この過程では、制度や表象によるある社会集団の他者化と排除・従属的包摂が同質的な「国民」の創造/想像と表裏一体の関係で展開される。まさにこうした歴史的局面での再編過程で作動する「人種化」の機能と引揚者の「人種化」の問題を同じ地平で論じてみることで、引揚者の「人種化」の経験の歴史性を捨象せずに(「帰還移民」に共通の経験として一般化しすぎることなく)その重要性を植民地帝国の崩壊という歴史的「できごと」との関係からより深く議論できるのではなかろうか。さらには、「引揚げ」「引揚者」という日本語が「帰還移民」という翻訳語とは異なり不可避的に歴史性を背負った用語となっているのであれば、逆にそのことで、「引揚者の人種化」という問題設定によるミクロな社会現象分析が、植民地帝国崩壊の過程で顕在化するマクロな次元での「人種化」現象(国民再統合のメカニズム)までも逆照射する方法論になりうるのではなかろうか。

日本の文脈でいうならば、次のような問いを立てることができるであろう。すなわち、戦後直後の引揚者の「人種化」は、日本がそれまでの「多民族帝国」(もしくは「混合民族」としての日本人の定義)から「単一民族国家」として自己を再定義しナショナルな境界を再編していく過程とどういう相関関係にあったのか。また、引揚者の「帰還」と「人種化」は、帝国臣民の在日朝鮮人・台湾人が戦後「日本人の境界」から排除され完全に他者化されていく過程にどのような作用を及ぼしたのか。あるいは、戦後直後の引揚者の「人種化」の経験とは、社会問題の在日朝鮮人・台湾人「問題化」(racialization of social problems)、すなわち戦後の混乱のなかで深まる社会問題が在日朝鮮人・台湾人の存在によるものとして(闇市・日本経済を「非日本人」が支配しているとして)社会的に想像されていく過程と、相互にどのような関係にありまた戦後日本の誕生にどのような意味をもったのであろうか。引揚げと「人種化」を方法論として設定することで、植民地帝国後(ポストコロニアル)の社会の再編成において作動する排除と統合、そして周辺化の重層的かつ相互に絡まり合ったメカニズムを浮き彫りにできると思われる。

以上、雑駁ながら今回の書評シンポジウムに参加して考えたことを述べさせていただいた。引揚研究のアプローチに関しては今後とも蘭科研の研究会などに参加してさらに勉強し、プロジェクトの方々との議論を通じて深めていくことができればと思っている。次回の「国際比較班」の研究会は非常に楽しみである

崔徳孝(チェドッキョ)
ケンブリッジ大学 ポストドクター研究員

シンポジウムのプログラムについてはこちらから。

 

HOMEに戻る