参加報告:シンポジウム「戦争が生み出す社会―関西学院大学先端社会研究所叢書『戦争が生み出す社会』を手がかりとして」(中山 大将)

研究協力者・中山大将さんによるシンポジウム報告です。
2014.10.15

 

参加報告:シンポジウム「戦争が生み出す社会―
関西学院大学先端社会研究所叢書『戦争が生み出す社会』を手がかりとして」

2014年9月23日
中山大将
開催日:2014年9月15日
会場:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1405 号室

 

本シンポジウムは、関西学院大学先端社会研究所叢書『戦争が生み出す社会』全三巻(2013年、新曜社)の合評会であり、主催の戦争社会学研究会関係者だけではなく、本科研からも代表の蘭信三氏、松田ヒロ子氏、松浦雄介氏が評者として参加した(以上、敬称は「氏」で統一。以下も同様とする)。

筆者はシンポジウムの受付係をさせていただいた関係で、参加者名簿に目を通す機会を与えられたが、関西に限らず、関東、九州、北海道、海外からの参加者もおり、参加者数は40名を越え会場も埋まり、配布資料を何度もコピーに走るという盛況ぶりあった。惜しむらくは、執筆者陣が、編者は全員揃っていたものの、それを除けば各巻2、3名程度であったため、各論文に対する個別の議論は深まらず、編者との応答と抽象的議論に始終した点である。もちろん、これには時間的制約も大きく関係している。筆者としては、もし執筆者陣が揃って出席できるならば、2日間時間を用意して各巻半日ずつの時間を用意して、専門分野ごとの知見の深化はもちろんであるが、関連分野全体の研究レベルの底上げを図るべく、具体抽象両面から徹底的に議論を行ってもよかったのではないかと思われた。

なぜならば、本シリーズのコンセプトは現代日本において重要な社会的意義を持つからである。ある執筆者が総合討論において語ったように、現代は戦時と非戦時が政治的関連性を持ちつつも地理的に散在している時代であり、なおかつポスト総力戦の時代である。戦争が善か悪かという二元論的問題ではなく、それが起きれば、あるいはそれ以前にその待機状態(基地)が社会にどのような影響を及ぼすのか/及ぼしているのかということへのミクロレベルでの分析なくして、昨今メディアを賑わせた様々な政治外交問題への冷静な対応は不可能だからである。また学術的に見ても、戦時という非日常の局面までをも視野に入れることにより、我々は「人間」や「社会」というものを総合的に知ることができる。その意味で、本シリーズおよびそれを生みだした共同研究はまさに時機を得たものであったと評価できるし、今後もこのような共同研究が展開されることを望む次第である。

以下、本科研に最も関係する第二巻(島村恭則編『引揚者の戦後』)に関する評者のコメントと編者による回答、およびそれに対する筆者の感想を簡潔に述べておきたい。

まず、松田・松浦両氏から指摘されたのは、同書の各論文がこれまでの引揚研究とは全体的に異なるということである。松浦氏は、同書全体の雰囲気が他の引揚げ研究に比べて「重くない」と評し、それは同書の基調が「被害」よりも「再生」にあることや、民俗学というディシプリンが原因であるのではないかと指摘した。一方、松田氏も、「引揚げ」以前に関する言及や「引揚者」という歴史的概念に対する考察が少ないことを指摘した。松田氏は、オーラル・ヒストリーを重視しインフォーマントに寄り添うことは、同書の長所であるが、同時に上記の問題を生じさせる短所でもあるとも評した。

これに対し、編者の島村氏は、引揚者の日本帝国期の経験や属性を重視するかどうかは、専門分野や論ずべきテーマによって異なるのであり、この問題は学際的共同研究によって解決されるであろうと答えた。また、自身の引揚研究へのアプローチも特定の地域や集団に対する継続的研究から生じたものではなく、民俗学的な螺旋形の研究プロセス(各地を周回的にめぐってフィールド調査を行うこと)の中で生まれた関心に基づくものであるとした。

筆者も同書に対して両評者と同様の感想を持った。以下、筆者の専門である樺太・サハリン地域に関連する同書所収の池田貴夫氏の論文「引き揚げた人、残された人―樺太引揚者とサハリン残留朝鮮人が残してくれたもの」(同書213-235頁)に対し筆者なりの具体的なコメントを寄せておきたい。

池田氏の論文は、1945年8月のソ連軍樺太侵攻以後、本国へと送還された約40万人の日本人「引揚者」と残留を余儀なくされた数万の「残留朝鮮人」の歴史的経験を並べて論じたものである。「引揚者」だけではなく、「残留者」まで視野に入れることで、引揚げという現象の多面性や集団間の相互作用を論じることに成功している。引揚げ後に日本社会に文化的に融け込んでいった引揚者と、残留により周囲のロシア人社会に融け込みつつも、同時にサハリン社会全体に朝鮮文化を融け込ませていった朝鮮人とのコントラストは、民俗学者ならではのものであろうし、樺太植民地史研究においては文化運動などを論じながら、戦後サハリン史においては文化的側面をほとんど捨象して来た筆者としては多いに反省させられると共に、勉強になった次第である。

ただし、池田氏が同論文の「こだわり」を「「悲劇」や「翻弄」などといった表現で語られやすい境遇にあった方々の、むしろアクティブな生きざまに迫ることであったと考えている」(同書232頁)ことに対しては慎重であるべきではないかと思われた。筆者も残留朝鮮人に関するインタビューを通して概ね同様の印象を持つ者であるが、そこにはインタビュー調査に潜む大きな落とし穴があるのではないか。

池田氏の論文の中でも解説している通り、「サハリン朝鮮人」と言っても戦前期に樺太に渡って来た者だけでも、戦時動員で樺太へ来た朝鮮人(以下、「動員朝鮮人」)と、それ以前の朝鮮人移住者(以下、「移住朝鮮人」)とに分けられ、池田氏が冒頭で引用しサハリン残留朝鮮人の例と挙げている金玉順氏は後者にあたる。なお、終戦時のサハリン残留朝鮮人について池田氏は「樺太裁判」で採られた「4万(3千)人説」に沿っているようであるが、現在では日ソ双方の公文書記録に基づき「2万(数千)人説」がサハリン・樺太史研究者の間では定説なっており、そこから考えると、移住韓人は3分の1を占めたこととなる。「サハリン残留朝鮮人」と言えば動員韓人ばかりが注目されて来た、あるいは移住韓人さえも動員韓人であると意識/無意識を問わず誤解されて来た中で、後者を中心に論じた池田氏の論文は意義深いと思われる。

しかし、本シリーズが「戦争が生みだす社会」と銘打つならば、なおかつ同巻における「戦争」が第二次世界大戦を念頭にするのであれば、さらに本論文が「「悲劇」や「翻弄」などといった表現で語られやすい境遇にあった方々の、むしろアクティブな生きざまに迫る」というのであれば、もっと視野に入れておくべき人々がいたのではないだろうか?それはたとえば、前記の動員で来島し残留を強いられた動員朝鮮人である。仮に樺太の朝鮮人全体の戦後における残留が「戦争が生みだす」現象とするならば、動員朝鮮人は、戦争がもたらす日本人男性労働力の不足により動員されただけではなく、契約期間が切れても戦時における非常時性を根拠に日本側によって帰郷の道を閉ざされたのであり、移住朝鮮人に比べてさらに二重に戦争の影響を被っている。動員朝鮮人へのインタビューからは金氏から得られるような日本人への親近感は得られないし、そもそもその多くは朝鮮半島で幼少期を過ごし日本人との交流経験自体がはるかに乏しいとも言える。もっと言えば、戦後にこれら動員朝鮮人らと世帯を形成し残留することになった残留日本人らはさらに多重に「戦争がうみだす」存在ではないか。

筆者自身は、戦争という語は用いず、「境界変動」という観点から、残留日本人を戦後サハリン史における境界変動の及ぼす影響が最も集約された人々ととらえ研究を行ってきた。もっとも抑圧された人々を捜し出す事のみが研究の意義ではないことはもちろんであるが、インフォーマントを歴史的、社会的に位置づける作業は欠くべからざる作業であるはずである。「サハリン残留朝鮮人」を「動員韓人」「移住韓人」の“どちらから”一般化するべきかを論じるのは無意味であるが、サハリン残留朝鮮人にはこのふたつのグループが存在し、「戦争」をめぐる歴史的経験が異なるのだということは、本シリーズの主旨から見てももう少し丁寧に述べておくべきではなかったか。また、インフォーマントが隠したいプライベートな事柄まで暴き立てることは研究者倫理に悖るとしても、インフォーマントの「笑顔の向こう側」への想像力は常に失ってはならないのではないか。

個別の論文としては、筆者の上記の指摘は必ずしも妥当ではないかもしれないが、本シリーズの第二巻の論文としては、上記の点は少なからぬ配慮が要されたのではないかと思われるのである。それは、本シリーズおよび同書が他の学術書に比べれば、一般の人の手にも比較的届きやすいと筆者が考えているからでもある。現実的には紙幅の関係から、なんでもかんでも書き込めるわけではないことは重々承知しているものの、上記が松田・松浦両氏のコメントをふまえた上での筆者の率直な感想である。

繰り返しになるが、筆者は本シリーズが時機を得た社会的意義の高い研究であり、戦争社会学研究会という場を通じてこうして議論されたこともまた日本の人文社会学科学界の前進と言えると考えている。同書に限ってみても、松浦氏がコメントしたように、従来の引揚げ研究とは異なる視点からの研究であり、私を含め本科研メンバーにとっても大いに刺激になったのではないか。とりわけ筆者にとっては、編者の島村泰則氏の「引揚者が生みだした社会空間と文化」(同書11-105頁)で示された内容には、それまで研究にする価値がないと思い込んでいた事柄が見事に論文にされており、大きな衝撃であった。これも、「歩く」ことを重視した宮本常一以来の日本民俗学ならではの成果であろう。また、松田氏の「引揚者への差別は現代ではなくなったのか?」という質問に対して、島村氏は、引揚者差別はそもそも引揚者という集団への本質論的差別ではなく、家格など引揚者が副次的に備えていた属性に対するものに過ぎなかったと回答したが、これも日本社会一般の構造を知悉する民俗学者ならではの指摘と言えるかもしれない。

かく論じてみたものの、筆者自身は引揚げ研究をする者としても、また研究者としても、執筆者陣の後塵を拝し続ける者であるから、今後もこの領域での学際的交流や共同研究間の対話の進展により自身もその薫陶にあずかることを望む次第である。

 

以下、本シンポ関連情報を挙げておく。

 

○登壇者

 司会進行 :蘭信三氏(上智大学)・山本昭宏氏(神戸市外国語大学)
開会の挨拶:野上元氏(戦争社会学研究会代表)
評者(第一巻 荻野昌弘編『戦後社会の変動と記憶』新曜社):
福間良明氏(立命館大学)・蘭信三氏(上智大学)
評者(第二巻 島村恭則編『引揚者の戦後』新曜社):
松田ヒロ子氏(神戸学院大学)・松浦雄介氏(熊本大学)
評者(第三巻 難波功士編『米軍基地文化』新曜社):
野上元氏(筑波大学)・青木深氏(一橋大学)

 

○主催

戦争社会学研究会・関西学院大学先端社会研究所

 

○報告執筆者

中山大将
研究協力者:北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、日本学術振興会特別研究員

 

(以上)

 

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