2022年07月08日 10:40:13
[重要なお知らせとお詫び]本講演会へお申し込みくださった皆様へ 申込フォームにて皆様のメールアドレス記入欄が設定されておりませんでした。 たいへん申し訳ございませんが、7/20以前にご登録いただいた方につきましては、再度ご登録いただければ幸いです。 お手数をおかけしますが何卒よろしくお願い申し上げます。 https://forms.gle/o1ZRPDfsZiMmAiEz9 【ミーティング(Zoom)情報】 7/6-7/19に登録してくださった一部の方のメールアドレスを収集しておりませんでした。申し訳ございません。次のURLもしくはMeeting IDからご参加ください。パスコード必要です。 https://sophia-ac-jp.zoom.us/j/98502505645 Meeting ID: 985 0250 5645 Passcode: 798365 島津氏は中世以来、海外貿易に熱心だった。義久・義弘の父・貴久がゴアとの貿易を企図したのをはじめ(1561年)として、16世紀後半〜17世紀初めの朱印船時代、島津義久、義弘、家久は東南アジアとの貿易を積極的に推し進めた。それを物語る資料が、陶磁器やクリスなどの考古資料のほかに、東南アジア諸国との書簡(フィリピン総督、カンボジア王、鄭氏官僚、広南阮氏、シャム官僚)である。書簡の交換を通じて積極的な貿易展開を図った。 薩摩の優良輸出商品は硫黄と樟脳くらいであり、また貿易原資の銀を産出しないため、銀の調達には京大阪商人から借銀せざるをえず、それが藩財政に負の連鎖を招くことになった。島津氏の東南アジア貿易は、山川の大迫氏のような海商や薩摩在住中国商人が請け負って運営されていた。 寛永12年(1635)の朱印船貿易の終焉により、島津氏の海外貿易は琉球経由に限られることになった。