2022年04月27日 08:54:23
ロシアによるウクライナ軍事侵攻の市民への被害拡大と戦争の拡大が心配されている現在、1975年のインドネシアによる東ティモール軍事侵攻、そして2002年の東ティモールの「独立=主権回復」の世界史的な意味について、改めて考えてみたいと思っています。 2022年は東ティモールの「主権回復」からちょうど20年です。 国連暫定行政を経て正式独立となった2002年を、東ティモールの「主権回復」の年とする認識は、内戦に勝利した政党フレテリンによって1975年、すでに東ティモールの独立が宣言されたことを根拠としています。ですが、戦争という暴力により勝利した一政党の独立宣言を認めることには反対の声も多数ありました。 20世紀は、ナショナリズムが反植民地主義の正当なイデオロギーであり続けた一方、暴力の源泉であることが明らかになった時代でもありました。そのため、2002年の「主権回復」の際、インドネシア支配からの解放を歓迎する一方、21世紀においてもナショナリズムというかたちでしか正義の実現を示すことができなかったことに、居心地の悪さも感じました。 コロナ禍と大国の覇権主義は、新たな冷戦の時代の幕開けとも言われています。他方でトランスナショナルな市民意識はけっして後退しているようには思えません。 このシンポジウムでは、世界史的転換期を迎えた2022年に、東ティモールの「主権回復」は何を意味していたのか、あらためて問い直すことには重要な意義があるのではないかと考えております。「2002年の<主権回復>とは何であったか」という大きな問いの中で、東ティモールの独立にはどのような意味があったのか、「歴史」「国際関係」「言語」「宗教」「民族」などの視点から問い直したいと思います。 20年――いまの大学生の皆さんはちょうど2002年前後に生まれた人たちです。このシンポジウムでは、そうした大学生の皆さんや、東ティモールのことをよく知らない多くの皆さんに、東ティモールの歴史、文化について理解を深めてもらいたいと思っています。当時、アジアの小さな島で起こった戦争は、国際政治においてどのような意味を持っていたのか。四国ほどの小さな島が東西で別々の国になったのはどうしてなのか。インドネシアはどのような意図を持ち東ティモールに軍事侵攻し、24年に及ぶ支配を実行したのか。正式独立から20年たった現在地から、東ティモールという国の成り立ちについて再確認することを通じて、戦争とナショナリズムについて様々な角度から再考してみたいと思います。 上智大学アジア文化研究所 福武慎太郎