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第26回研究会報告

日時:2005年11月19日(土)9:30-19:00
場所:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所3階セミナー室(301)
出席者:15人

1. アチェの歴史:アチェ王国時代を中心に

12月26日にスマトラ沖大地震津波から1周年を迎えるのに際し、鈴木恒之(東京女子大学)氏に表題の報告をお願いした(報告者による要旨):

アチェ史研究において主たる関心を集めてきたトピックは、アチェ王国史、アチェ戦争、独立・社会革命などである。ただし、最近はこれらにアチェ自由運動が加わる。

今回はアチェ王国史を本題とする。王国の成立は1520年前後、ピディーの支配を脱したことによる。これ以前、この地には港市ランブリが存在したと推測されるが、その位置は特定できていない。近年、バンダ・アチェ西部、ランバロに比定する説もあるが、未だ確実だとは見なされていない。また、王国とランブリとの関係も明白ではない。

アチェ王国は成立後から17世紀末まで、3つの時期に大別される。第1期には胡椒交易の発展と共に、16世紀後半5人の国王を恣意的に登廃位するなど、商業貴族オランカヤによる寡頭支配が進んだ。第2期は16世紀末から17世紀前半、この寡頭支配が倒され、国王イスカンダル・ムダが絶対主義支配を進め、ウレーバランらの領地支配制度の基礎がつくられたと見られる。第3期は17世紀半ば以降、交易の衰退と共にウレーバランとオランカヤが4代連続して女王を据えて権力を分け合い、王権が弱体化した時期である。

18世紀は内乱の時代である。ウレーバラン、特に3つのウレーバラン連合の各首長とオランカヤが王位を左右する構図は変わらず、1699年から1727年まで5代、アラブ系の国王が立てられ、それ以後ブギス系の国王が擁立された。この間、ウレーバランやオランカヤの間の対立・内乱が繰り返され、それは同一人物が国王に何度か登廃位されたことに反映されている。対立の主要因は、国王、オランカヤ、ウレーバランらによる交易への税賦課や収税の利権をめぐる問題であった。こうした対立は19世紀にも国内分裂の主要因であり続けるが、それは主にオランダやイギリスの介入などにより、さらに複雑化した。

2. アチェ調査報告

新井和広氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)により、2005年8月17日~24日におこなわれたアリ・ハシミ教育財団所蔵写本の調査についての報告がおこなわれた。これは21世紀COE史資料ハブ地域文化研究拠点の事業としておこなわれたもので、国立イスラーム大学イスラーム社会研究所(PPIM-UIN)、インドネシア写本学会(MANASSA)、インドネシア写本協会(YANASSA)、アル・ラニーリ国立イスラーム高等学院講師有志の協力を得て、写本のタイトル、ジャンルの確定をおこなうとともに、デジタルカメラを用いて各写本のサンプルを撮影し、目録作成の基礎データとした。本調査の成果は目録として2006年に刊行予定である。

3. マレーシアの定期刊行物におけるジャウィの使用:「聖なる文字」という縛りとそれへの対応

山本博之(国立民族学博物館地域研究企画交流センター)氏により表題の報告があった。

4. マモロ民族革命前夜ミンダナオ島ラナオ地方における急進的イスラーム知識人:1972年マラウィ蜂起をめぐって

川島緑(上智大学)氏により表題の報告があった。

5. テキスト講読

“Pendahuluan” al-Huda, No.1(1930), Batavia, pp. 2-6. (今回の翻字・翻訳はp.6まで)テキスト、翻字・翻訳案提供:新井和広氏。前回に引き続きal-Huda誌の講読を行い、対象とした範囲の講読をすべて終了した。

6. 今後の活動予定

次回の第27回研究会は2月25日(土)に東京外国語大学で開催する予定とし、詳細は後日つめることになった。(注:実際には、2月13-15日にインドネシア文献学セミナーが開催されたので、2月25日の研究会は中止となった。)

(文責:青山 亨)