セネガル出張報告(2019年8月31日~2019年9月8日)
2019年度報告
期間:2019年8月31日~2019年9月8日
国名:セネガル
出張者:東長靖(京都大学)、小牧幸代(高崎経済大学)、安田慎(高崎経済大学)、二ツ山達朗(平安女学院大学)、澤井真(天理大学)、池邉智基 (京都大学)、内山智絵(上智大学)
今回の出張は、ダカール、ンジャサン、ティヴァワン、カオラックの各都市で、セネガルで多くの信徒を集めるスーフィー教団の本拠地や教団の指導者らの霊廟、モスク等を訪問することに加え、各地の書店でスーフィズム関連の文献収集を行うことを目的とした。
一行はまず首都ダカールで、19世紀の西アフリカでジハードを指導したアル・ハッジ・ウマル・タルの息子のセイドゥ・ヌール・タルの霊廟(写真1)、ワカム地区にあるMosquée de Divinitéなどを訪問した(写真2)。後者は比較的新しいモスクで、特定のスーフィー教団との関連はないとのことだが、創設者はこの地にモスクを建てるよう夢でお告げを受けた上、建設の妨げとなる岩石が一夜にして消失するという奇跡が起き、モスク建設が実現に至ったという逸話が伝えられているとのことであった。
次に訪れたティヴァワンは、セネガルでは非常に多くの信徒を擁するティジャーニー教団の本拠地であり、一行はこの地に教団の本拠地を築いたマリク・シィの霊廟(写真3)及び、その息子でハリーファ・ジェネラル(セネガルで各教団のトップに与えられる尊称)となったババカル・シィの名を冠したMosquée Serigne Babacarなどを訪問した。西アフリカで影響力の強いマーリク法学派は一般に異教徒のモスクへの立ち入りを良しとしないとされているが、ここでも一行は霊廟やモスクを入り口から覗き込むことを許されたのみで、マリク・シィの霊廟の写真はセネガル人運転手が撮影したものである。
ンジャサンはティヴァワン近郊に位置する小さな村で、セネガルにおける信徒の数ではティジャーニー教団に及ばないものの、古い歴史を持つカーディリー教団が本拠地を構えている。一行はンジャサンに教団の拠点を築いたブ・クンタの霊廟(写真4)を訪問した後、付近に集っていたその子孫であるという人々によって現ハリーファ・ジェネラルの住居に案内され、かなり高齢のハリーファ・ジェネラルご本人にベッドの上からバラカを授けてもらうという栄誉にあずかった。立派に整えられた応接間の様子からは、各地から入れ替わり立ち替わり訪れる信徒たちを日常的に迎え入れていることが伺えた。
次に訪れたカオラックには、ティジャーニー教団の分派である「ニャッセン派」が本拠地を構えている。地区の中心にあるGrande Mosquéeにはきらびやかに装飾された開祖イブライマ・ニャースの霊廟(写真5)とその親族らの霊廟が隣接しており、老若男女問わず多くの人々が「ご利益」を求めて訪れていた。次に訪問したイブライマ・ニャースの父アブドゥライ・ニャースが生前暮らしていた家には現在も子孫が暮らしており、彼が使用していた寝室(写真6)や金曜礼拝の際に用いていた杖、蔵書などが大切に保存されていた。また、この家に隣接する霊廟にもアブドゥライ・ニャースをはじめ親族に当たる人々12人ほどが埋葬されており、セネガルのスーフィズムにおいて血縁が重視されていることを伺わせる。その後、一行はニャッセン派の現代表であるシェーク・ティジャーン・シセ氏を訪問した(写真7)。同氏の住居には一行の他にも面会を求める人々が多数詰めかけていたが、セネガルでは聞きなれない言葉も飛び交っていたことから、訪問客はセネガル人だけではなかったようである(ニャッセン派はナイジェリアをはじめ諸外国でも大きな影響力を有している)。
また、一行がカオラック中央市場を訪問した際には、セネガルの人々の日常生活にもイスラームが溶け込んでいる様子を目にすることができた。写真8は「ターリベ」と呼ばれる、指導者のもとに寝起きしてクルアーンを学習しつつ、学びの一環として街に出て通行人から寄進を募る少年たちで、人々は通りすがりに彼らに小銭などを与える。また、セネガルでは偶像崇拝を禁じるイスラームの教えにも関わらず、著名なスーフィーの肖像を身につけたり家や商店の壁に掲げたりすることが非常に一般的である。例えば写真9の人物は、ムリーディー教団(今回の調査ではゆかりの地を訪問することはできなかったが、セネガルではティジャーニー教団にならび多数の信徒を抱えている)の第2代ハリーファ・ジェネラルであるセリン・ファル・ンバケの顔が一面にプリントされたユニークなTシャツを着ている。また、写真10はある商店の店先に掲げられていたカレンダーであるが、写真の人物がティジャーニー教団ニャッセン派の開祖イブライマ・ニャースである一方、その下にはカレンダーを製作した会社名と一緒に「セリン・ファル・ンバケ一家」と記載されており、ムリーディー教徒の会社であることが分かる。この他にも、セネガルの人々が教団の垣根に囚われず偉大なスーフィーらに等しく敬意を払っている様子は様々な場面で垣間見られた。
最後に一行はダカールに戻り、ライエン教団(ダカール半島に住む漁民レブ族に信徒が多い小規模な教団で、ティジャーニー教団、ムリーディー教団、カーディリー教団と並びセネガル四大教団と称される)の開祖リマーム・ライ(自らは預言者の生まれ変わりを自称し、息子のイサ・ライはキリストの生まれ変わりであると称した)の霊廟と、隣接するGrande Mosquée de Yoffを訪問した(写真11)。これらの施設は海岸に面しており、敷地内及び施設内にも砂が敷き詰められているが、敷地内に立ち入るには靴を脱がなければならない。ある参拝者によると、「砂はすべてを清めてくれるよいものである」ということであった。
このように、一行は各教団のスーフィーらがハリーファ・ジェネラルの一族を中心に信徒たちの強い敬愛の対象となり、彼らの住居や霊廟に多くの信徒が集っているのみならず、人々の日常生活の中にも彼らの写真や肖像が溢れているというセネガル独自のイスラームのあり方を目の当たりにすることができた。(文責 内山智絵・上智大学)