調査・研究

エジプト出張報告(2018年 3月 7日 ~ 2018年 3 月 18 日)

2017年度報告

期間:2018年 3月 7日 ~ 2017年 3 月 18 日
国名:エジプト
出張者:井堂有子(国際基督教大学アジア文化研究所)

 今回の出張では、エジプトにおける食をめぐる公共圏研究の予備調査として、同国での重要な公共的課題であるパンを中心とした食料補助金制度改革の現状、さらにその過程で中間組織が果たす役割等についての調査を行った。具体的には、カイロ市及びカイロ近郊地方都市を中心に、安価な食料の販売にかかわる流通組織(製パン所やガマイーヤ〔配給食品販売所〕、消費者協同組合等)からの情報収集・参与観察を行った。こうした流通組織は、補助金・配給制度の政府省庁と受益者たる国民とをつなぐ中間的存在であるが、流通の上部に位置する製粉・食品産業にかかわる持株会社と比較すると、購入・消費者たる一般国民により近い存在であり、様々な苦情や要望が直接伝えられる空間でもある。今回、補助金付きパン(エイシュ・バラディ)の改革のなかで現在最も注目されている製パン経営団体組織との接触を図ったが、組織代表者の交替時期と重なり、目的を果たすことができなかった。これを補足するため、元配給大臣や大学関係者等からの聞き取りを行った。
 2011年1月25日革命から激動の7年を経たエジプトでは、軍出身のスィ―スィー政権が2014年6月に成立した。国内の治安対策を優先課題として掲げ、同胞団の徹底的抑圧とその他の諸勢力への強権的政策を強める一方、経済的政策はムバーラク政権末期ナズィーフ内閣時代の民間重視・新自由主義的政策を踏襲している。特に、長年の懸案であった食料と燃料への補助金制度改革に本格的に乗り出したことが注目される。より富裕層に裨益すると批判されてきた燃料補助金の大幅な削減よりも(実際は国民生活全体に大きな影響を及ぼす決定であり、エジプト・ポンド自由化と併せて、既に物価全体の大きな上昇として反映している)、中間・貧困層への実質的セーフティネットの機能を果たしてきた補助金付パンをふくむ食料補助金の制度変革の方が大多数の国民にとっては一大優先課題と考えられている。紙の配給券に代わる電子型スマートカードの導入は改革派から当初大きな支持を得て実施されたが、導入から1年あまりでカードの不正利用を含むスキャンダルが明らかになり、当時の配給大臣の引責辞任に繋がる等、制度変革は前途多難の様相を示している。
 今回の調査では、政府管理のより行き届いたカイロ市に加え、近郊の地方都市の村も訪問した。時間の制約や面談相手の都合の変更等のハプニングが発生したが、特に、芸術文化院の元学科長(大衆伝統文化研究)の協力で実現したメヌフィーヤ県カフル・アクラム村の訪問では、村の製パン所の訪問・情報収集、家庭でのパン作りの様子等を観察する機会を得た。この村では、住民8000人のほぼ全てが配給券を保有しており、中央政府による標準化された補助金付きパンの配給が広く普及し、結果として家庭でのパン作りは月に数回の行事用となっているという。昔に比べると減少したといわれるが、今も日常的に家庭でのパン作りが続いている上エジプト地方と比較すると、大きな違いであると感じられた。またカイロ市内と村レベルでの製パン所やガマイーヤ(配給所)の役割は一見同じであるが、村での方が住民との間により親密な空間を築いているように観察された。
 今回の調査の直接の目的ではなかったが、2002年に設立されたエジプト民俗伝統協会(Egyptian Association for Folk Traditions)という研究者による共同研究プロジェクトの団体組織との接触を得た。繊維や伝統工芸に関する研究が多い中、スーク(市場)に関する調査も行っており、2012年には英文・アラビア語の写真集が出版されている。こうした資料は、消えゆく伝統的なスークの風景を記録する貴重な資料であると考えられる。今回の調査では中央政府の公共政策を実施する上での中間組織に着目したが、食の公共圏研究という枠組みでは、やはりこうした伝統的なスークの存在と機能の変容をも射程に入れた考察が必要であるかと思料された。
 なお、3月26日-28日に控えた大統領選挙のためか、至る所で、現大統領の写真と各組織・会社の代表者の写真とのコラージュおよび現政権への支持表明の言葉を掲げたポスターや横断幕を見かけた。大幅な物価上昇や補助金改革に対する不満の声があちこちで聞かれたが、同時に、紛争や治安悪化が続く周辺諸国の情勢を踏まえ、「国家の安定が第一」という強力なスローガンに多くの国民が否応もなく納得せざるを得ない状況が続いている様子が窺われた。

写真1
写真2

メヌフィーヤ県カフル・アクラム村の補助金付き製パン所〔フォルン〕 (深夜12時から製パン開始、7時まで焼き上げ・販売。朝3時から近隣住民が1枚5ピアストルの補助金付きパンを買いに来るが、カイロで管理されるスマートカード読み取り開始は朝5時からなので、人々は自分のカードをフォルンの売り手に預け、出来立てのパンを購入していく。売り手はどこの家の誰がどれだけの量のパンを購入していったかを記憶し、空いた時間帯にカードを一枚一枚読み取り機に挿入、その日の購入量を記録して、その後戻ってきた住民にカードを返却する。大都市カイロではありえない親密な空間が存在する。写真は販売時の混雑が済んだ朝7時頃、フォルンで働く女性の娘と孫娘が遊んでいる様子。フォルンで女性が売り子・作り手として働いているのは稀有と考えられるが、このフォルンは経営者が女性の雇用創出に理解のある人物であったため、女性も働いていたようである。)

写真3
写真4

メヌフィーヤ県カフル・アクラム村の家庭での伝統的パン作り(1) (この地方では小麦とトウモロコシ粉を2:3程度の比率で混ぜ合わせて「バッターティ」という薄いパンを焼く。市販の酵母(ハミーラ)を直接粉に混ぜ入れる。通常は村のフォルンで補助金付きのパンを購入し、家庭で焼く機会は行事的なものになっているという。女性たちは芸術学院教授の親戚の女性たち、このパン作りは筆者のためにわざわざ見せてくれたもの)

写真5

メヌフィーヤ県カフル・アクラム村の家庭での伝統的パン作り(2) (棒で平たく伸ばして焼きあげる。この地域でも昔ながらの煉瓦と粘土の焼き釜ではなく、ガスオーブンが普及しているようだった)

写真6

カイロ市内消費者協同組合スーパー (補助金付き食料品を扱う配給所〔ガマイーヤ〕ではないが、一般の民間のスーパーよりも安価な価格で食料品が販売されており、誰でも購入できる)

写真7

イスラーム地区の大統領選挙の横断幕 (現大統領の出身地域であるためか、特に大統領支持表明の横断幕があちこちに見受けられた)


ページのトップへ戻る