<社会経済学班>第3回「公共圏」研究会(2017年3月22日 上智大学)
2016年度報告
【日時】2017年3月22日(水) 15時30分 ~17時30分
【場所】上智大学四ツ谷キャンパス2号館4階402教室
【報告者】Adam Sabra (University of California, Santa Barba)
【タイトル】”Between the Private and Public Spheres -Charity and State Intervention in Mamluk Egypt (私圏と公共圏の間でーマムルーク朝エジプトにおける慈善と国家介入)”
概要:
イスラーム中世の貧困や慈善活動に関する先駆的研究をされたAdam Sabra教授は、自書Poverty and Charity in Medieval Islam: Mamluk Egypt, 1250-1517.(Cambridge, 2000)を振り返りつつ、マムルーク朝期の慈善から論を始めた。
一般に慈善とは貧困削減への私的アプローチである。なぜ人は慈善を施すのか?「主に死後の運命への関心」とみる宗教的解釈は、マムルーク朝エジプトにも適用可能であるが、当時「私権」と「公権」は明確に区分されず、統治者スルタンによる国家資源へのアクセスを通じた慈善的行為は「公共の利益」と「私的利害」の両方を意味した。中世イスラーム法学者たちはこの「統治者による慈善の二面性」を認識し、統治者の私的利害と公的権威を区別せんと試みていた。
一方、イスラーム思想における貧困にも様々な解釈がある。初期信徒たちの多くは、ヒジュラの際、資産を残してきたため困窮し、モスク廊下に住んだ者もいる。これが禁欲・修行者を意味する「スーフィー」の起源と考えられる(神秘主義の意味合いは後世)。貧困者は義務的寄付(ザカート)と自発的寄付(サダカ)の正当な受理者と認知される。新プラトン主義と同様、神秘主義では下位魂(ナフス)を鍛え、上位魂(ルーフ)の精神性が高められなければならない。ガザ―リーによれば、自発的貧困は精神的状態であり実践者は寄付を受ける価値がある。自発的貧困を通じた精神修養はハンバリー派等から批判されたが、背景にはマムルーク朝初期ダマスカスを中心により包摂的で諸社会層を惹きつけた新スーフィズムの発展があった。
同教授は豊富な事例を挙げつつ、マムルーク朝後期の宗教的寄付や寄進(ワクフ)拡大を通じた資源私有化の社会政治的プロセス・制度、そこに貢献した有力な都市富裕スーフィーの存在、私有資産や穀物価格の高騰といった様々な点に関するイスラーム諸学派の解釈と議論、「中世の世論」たる民衆のモラル・エコノミー等に言及し、マムルーク朝期の慈善と公的介入の諸相について論じた。参加者からは、親族・公的寄進の違い、「私有」と「公的」資産の区分、中世と近代の連続性、ハーバーマスによる「公共圏」の議論との接合の可能性、マムルーク朝期の農民に対する認識、危機時の統治者による具体的な食品価格統制、マムルーク朝期の新スーフィーで国家に依存せずむしろ国家に脅威となった者たちはいたのか等、活発な質疑応答がなされた。
文責:井堂有子(国際基督教大学アジア文化研究所研究員)