調査・研究

イスラエル出張報告(2017年3月7日~3月19日)

2016年度報告

期間:2017年3月7日~3月19日
国名:イスラエル(テルアビブ=ヤッフォ他)
出張者:吉年誠(一橋大学社会学研究科助手)

 イスラエルは、1980年代の経済危機や1990年代の旧ソ連圏からの大量の移民の流入を受けて、土地政策の転換を急速に進めてきた。国土のおよそ93%を占める「公有地(メカルカエイ・イスラエル)」の私有化、その統治機関であるミンハル・メカルカエイ・イスラエル(現レシュット・メカルカエイ・イスラエル)の政策の転換、建設計画法の改正などが改革の主な中身である。
  都市部では、1948年のナクバ時にパレスチナ人が「遺棄した」とされる土地・不動産、いわゆる「不在者財産」、をレシュット・ハピトアフと呼ばれる公的機関が「所有」し、アミダル、ハラミッシュ等の住宅公社がこれらの不動産を管理してきた。その多くには、1948-49年戦争中やその直後に、ミズラヒームと呼ばれる中東諸国出身のユダヤ人もしくはイスラエル国内に留まったパレスチナ人避難民が連行され、半強制的に居住させられた。
  現在のテルアビブ=ヤッフォ市内には、パレスチナ人が集住するヤッフォ以外にも、元パレスチナ人村落が存在した街区(クファルシャレム(元サラマ)、ギブアットアマル(元ジャマシーン)、スマイル、ラマットアビブ(元シェイフムワッニス)などが存在する。1950年代から政府や市、そしてハラミッシュらがこうした地区の再開発計画の実行を試みてきたが、住民の抵抗等により思うように進まなかった。その結果、多くの地区で、長らく土地の権利関係が確定せず、十分な社会インフラサービスも提供されないまま放置された空間が形成されてきた。ごく最近まで、一部では今なお、主に1948‐49年の戦争前後に連れてこられたミズラヒ系ユダヤ人避難民・移民およびその子息が、1940年代当時のパレスチナ人の住居およびそれを住民自ら拡充した(法的には違法とされる)建物群に居住している。土地制度改革のもと、2002年以降、これら「(元)不在者財産」の売却が進んでいる。1990年代以降急速に成長してきた投資家集団やディベロッパーによってもこれらの土地が買い取られ、彼らやハラミッシュ、テルアビブ=ヤッフォ市らによって、近年住民の全面的な強制排除が進められてきた。
  本出張では、こうしたイスラエルにおける歴史的・社会的に重層化された住民の空間的排除や土地所有権問題の内実を明らかにすべく、特にギブアットアマル・ベイト地区にて、土地への権利を求める運動を行っている住民に対する聞き取り調査を行った。今回は、昨年住民によって起こされた裁判の現状等を中心に聞き取った。同地区では、住民と市やディベロッパーの間で合意に至らないまま、住民の強制排除と富裕層向け高層マンションの建設が着々と進んでいる。2017年中には全住民の強制排除の是非について、裁判所の最終判断が下される予定であるという。彼らは、現在「ギブアットアマル・ベイト(ジャマシーン)が確かにここに存在していたことの記憶」のため地区の歴史についての書籍を編集し、出版を目指しているという。

写真1
(ギブアット・アマル・ベイト地区)写真2


 また、同時にパレスチナ人国内避難民(イスラエル国内に留まった「不在者」)のシェッファアムル市にあるNGO組織ADRIDのオフィスを訪問し、国内避難民の歴史的経験や現状についても聞き取りを行った。彼らは、村単位で代表者を立てて組織化し、土地制度改革下での「不在者財産」の売却への反対、故郷の村での土地への権利や「帰還」を求めて活動している。加えて、ヤッフォ在住のパレスチナ人政治活動家に対して、「不在者財産」を管理する住宅公社アミダルの政策やその問題点についての聞き取り、現在はテルアビブ=ヤッフォ市に吸収合併されたパレスチナ人村落の元住民やその子息の現状についての情報収集も行った。
 

調査・研究

  • 上智大学・早稲田大学共同研究 アジア・アフリカにおける諸宗教の関係の歴史と現状
  • 上智大学 イスラーム地域研究(2015)
  • 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
  • 国立民族学博物館現代中東地域研究拠点
  • 東京外国語大学拠点
  • 京都大学拠点
  • 秋田大学拠点
  • 早稲田大学 イスラーム地域研究機構
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