講演
上智大学イスラーム研究センター・京都大学イスラーム地域研究センター主催連続講演会
今日のスーフィズム:神秘主義の諸相を知る
(Sophia Open Research Weeks 2021企画)
第0回 11月12日(金)~22日(月) 東長靖(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)「スーフィズムとは何か:神秘主義・道徳・民間信仰」質問と回答
Q01: 興味深く拝見しました。「諸宗教の一致」について、イスラム教は一神教は仲間だと思っているが多神教には厳しい姿勢だと聞いたことがあります。それでも、多神教も仲間と思うということがあるのでしょうか。
A: ご質問ありがとうございます。
おっしゃる通り、一神教は多神教に対して一般的には否定的ですね。
私は、ムスリムが京大を訪ねてくれた場合に、三十三間堂にお連れすることがあるのですが、
まさに「偶像の館」なので、びっくりされます。
私たちにはあたりまえの、あの神さまでもこの仏さまでも、といったことは、一神教の世界では
基本的に通用しません。
しかし、スーフィズムの世界では必ずしもそうではありません。
神さまは一人ですが、神さまと私たちをつないでくれる、数多くの聖者がいると考えます。
今回お目にかけた映像も、聖者に祈る人たちの姿でした。
そこで出会う人たちとお話ししたり、いっしょにお茶を飲んだりすることもあるでしょう。
今一緒にいる人が多神教徒かどうかを気にするかどうかは、文化によるでしょう。
中東はほとんどイスラームがマジョリティなので、そこに多神教徒がいると、相当違和感を感じるのではないかと
思います。
しかし、インドなど、諸宗教が日常的に混ざり合っている社会では、政治的緊張が高まっていない時には、
あまり意識されません。
イスラームは一枚岩ではありません。
いろんなイスラームの考え方、生き方があるとお考えいただいていてはどうでしょうか?
[回答者:講演担当者、東長靖]
Q02: スーフィズムでは神秘主義や倫理や民間信仰が結びついて全体を作っていること はよくわかりましたが、そのなかの神秘主義の部分だけを切り出して名前を与え たり、論じたりということはしないのでしょうか。「神秘主義」に対応するよう なイスラームの用語があったら知りたいです。
A: ご質問ありがとうございます。
イスラームの第一学術語であるアラビア語では、タサウウフtaṣawwufという表現しかありませんが、これはヨーロッパ語のスーフィズムの原語と同じです。したがって、道徳や民間信仰を含んだスーフィズム全体もタサウウフと言いますし、英語のmysticismの訳語もタサウウフになります。キリスト教神秘主義はタサウウフ・マスィーヒー(マスィーヒーはChristianに当たります)、仏教神秘主義はタサウウフ・ブーズィー(ブーズィーはBuddhistに当たります)と訳されます。ただ、タサウウフを英語のmysticismの訳語だと思って使っているのは宗教学を学んだことのある一部の知識人だけで、イスラーム世界でタサウウフといえば、道徳や民間信仰の要素を含んだものと理解されていると思います。
さて、イスラーム世界の第二の学術語であるペルシア語では、この語以外に、エルファーン(元はアラビア語のイルファーンですが、イランでは独特の意味が付与されます)という語が用いられます。これは、スーフィズムの中でも神秘主義哲学的なものを特に指す概念で、宗教学で言う神秘主義、絶対一者との合一を目指す神秘主義に非常に近いものになります。イランではヘクマット(これもアラビア語のヒクマに由来しますが、独特の意味を持っています)という語も、エルファーンと同様の意味で用いられます。ちなみに、エルファーンもヘクマットも、その意味は「叡智」です。 [回答者:講演担当者、東長靖]
Q03: たいへんわかりやすく、興味をもって拝見しました。スーフィズムの民間信仰の側面というのに興味を引かれましたが、イスラームの民間信仰がすべてスーフィズム関連なわけではないとすると、スーフィズム関連の民間信仰に共通の特徴は何になるのでしょうか。
A: ご質問ありがとうございます。
イスラーム世界の民間信仰のすべてがスーフィズムと関係を持っているわけではないのは、おっしゃるとおりです。例えば、邪視よけの信仰がそれにあたります。地中海地域では目玉、アラブ地域では掌を象ったものが、邪視よけのお守りとしてよく用いられますが、このことはとくにスーフィズムと関わりはありません。(もっと言えば、イスラームの教義とも関わりはありません。ただし、ムスリムたちによって広く信じられ、実践されています。)
では、スーフィズムに関わりのある民間信仰の特徴は何かと言えば、それは、その民間信仰を特定の「聖者」に関連づけて説明するということでしょう。講演でお見せした聖者のお墓へのお参りは、実際に特定の聖者への尊崇と関係していますが、聖木信仰などはイスラーム以前からあった信仰の残存の可能性もあります。ただし、長い間、ムスリムたち自身はこの木を、特定の聖者と結びつけて理解し、敬ってきたわけで、彼らにとっては、まさしく民間信仰の形をとって現れたスーフィズムなのです。 [回答者:講演担当者、東長靖]
Q04: イスラーム法とスーフィズムが相互補完的で、私たちがイスラーム法に注目しすぎという点、なるほどと思いました。では、イスラーム教徒の側はこの二つをいつでも意識しているのでしょうか。スーフィズムのないイスラーム法だけの信仰やその逆はないのでしょうか。
A: ご質問ありがとうございます。
イスラーム教徒にとっては、この二つは混ざり合ったものとして理解されていると思います。
例外はサウジアラビアで、近年までスーフィズムは完全に否定されていました。
そこではイスラームはクルアーンとスンナ(ムハンマドの慣例)のみに基づくものとされています。
ただ、サウジアラビアでもつい最近のことですが、スーフィズムやスーフィー教団の活動が
見られるようになってきました。
スーフィズムだけで、イスラーム法は無視してよい、という国家はないと思います。国家レベルで言えば、法の遵守は大事です。そうでなければ、国家は維持できませんので。
形而上学的な神秘主義のレベルで言えば、そういう形而下学的なことはどうでもいいのですが、
実際のスーフィズムではそういう議論にはならないと思います。
これも、スーフィズム=イスラーム神秘主義、という訳語がなりたたない事例のひとつかと思います。
神秘主義だけで、イスラーム法は関係ないという立場は、欧米のスーフィズムには見られます。
この場合は、ヨーガや仏教の瞑想やいろんな手法を用いて、究極的な真理に到達しようとしています。
戒律や形式を気にすることはなく、普遍的な神秘主義が重要という立場も存在しています。
この立場は、戒律を日常的に意識していない日本人には理解しやすいかもしれませんが、実は
イスラーム世界ではなかなか理解されにくいものです。
今後も、スーフィズムに関心をもっていただければありがたく存じます。
もう第1回が公開されております。
私の弟子でもあり、立派なイスラーム学者でもあるイディリス先生の講演です。
どうぞお楽しみください。[回答者:講演担当者、東長靖]