研究発表
第35回日本中東学会年次大会での研究発表(2019年5月12日(日) 秋田大学)の報告書
2019年度報告
イスラーム研究センターは、秋田大学にて開催される第35回中東学会年次大会において、現代中東地域研究の事業の成果として、以下の企画セッションを組織し、拠点構成員等が研究発表を行いました。
【企画セッションタイトル】 「中東の都市と農村における公共空間の変容」
【日時】2019年5月12日(日)12時40分~14時10分
【場所】秋田大学手形キャンパス
【座長】岩崎えり奈(上智大学)
【研究発表者・発表題目】
- 深見奈緒子(日本学術振興会カイロ研究連絡センター)・吉村武典(大東文化大学)・宍戸克実(鹿児島県立短期大学): 「街路と伝統的公共施設に見る公共空間の歴史的変容:エジプト、カイロ旧市街の事例から」
- 岡戸真幸(人間文化研究機構): 「アホワ(喫茶店)と出稼ぎ労働者の関わり:エジプト、アレクサンドリアの事例から」
- 北澤義之(京都産業大学)・岩崎えり奈(上智大学): 「ヨルダンにおける公共空間としてのディーワーン:ヨルダン北部の事例から」
【コメンテーター】私市正年(順天堂大学)
冒頭、岩崎座長より本企画セッションの趣旨説明があった。従来、「公共圏」や「公共空間」は抽象的なテーマであり、欧米を中心とした先行研究には奥行きと広がりがある一方で、概念に振り回されて実態が見えにくいテーマでもある。本企画セッションでは、中東的な草の根レベルでの公共空間の実態を描くことを主眼とし、建築や歴史、人類学、政治学などのさまざまなディシプリンから多様な都市と農村の具体的な事例研究を行う。
カイロ旧市街を事例とした発表では、冒頭に深見氏より、本発表はトヨタ財団プロジェクト(2016年5月~2018年4月)の研究成果を踏まえたものである旨説明があった。同プロジェクトは、カイロ旧市街のダルブ・アフマル(al-Darb al-Aḥmar)地区スーク・シラーハ(武器市場通り)の周辺住民を対象に「歴史的建造物の保護」と「住民参加型街づくり」を通じ、住民の遺産に対する意識覚醒を目指したものである。本発表では、歴史的地図(ナポレオンのエジプト侵攻時の『エジプト誌』、1936年、1958年、Nicholas Warnerの地図)の分析を通して、当該地区の街路を中心とした公共空間の変遷を明らかにするもので、特に前近代の水施設サビール・クッターブと現代のアフワに注目する。ナポレオンの広域地図には、カイロの主要街路が描かれ、そこから枝分かれした通り抜け街路、さらに袋小路の三段階の街路の階層に分けられる。建物の角を使った「街路の歪み」の存在は特徴的である。なお1930年代の地図には水施設の記載が少ないが、ナポレオンの地図と考古局の地図とでは記載されている等の説明があった。
次に吉村氏より、同地区の公共空間として「サビール(水場)」が紹介された。従来、大都市公共施設としてはモスクやマドラサ、市場が注目されたが、水供給施設も住民生活を支える重要なインフラであり、西アジアのムスリム都市に広がる。原義はアラビア語の「道(Sabīl)」であり、「神に至る道(慈善行為)」や「旅人(道の子)に水や食料を与え保護する義務」をも包含する。マムルーク朝後期からオスマン朝期、多くのサビールが宗教施設の付属施設として建設された。マムルーク前期の記録では、病院の隣にあったハウド(家畜用貯水槽)が不潔であるとして、住民用の貯水槽が作られサビールと呼ばれた。サビール内部は、地下タンクから水を汲み上げ、鉄格子越しに外の人に水を供給する構造となっており、2階はクッターブとして利用された。スルターン・カーイトバーイのサビール・クッターブが初の単独施設として建設され、オスマン朝時代から一般化した。ナポレオン地図のサビールの位置をグーグルマップに重ねると沢山のサビールが存在し、Y字路や十字路に多いことがわかる。水車で水を揚げていた場所もあったという。
カイロ旧市街の発表の第三部として、宍戸氏より、ダルブ・アフマル地区の伝統的喫茶店(アフワ)を中心とした公共空間の形態とその変遷の分析が紹介された。伝統的なアフワは16世紀頃から普及し、現在のカイロにも多く存在する(主に男性たちが利用)。ナポレオン地図に現代地図を重ね、ダルブ・アフマル地区のアフワ分布を確認すると79件あった。公共性の高い主要街路沿いが一番多く(46件)、次に通り抜け街路(27件)が続く。アフワ建築は、屋外客席の有無に加え、業態別や建築形態別により類型化される。一般店舗型(全体の78%)が多い場合、公共空間が多いといえる。片付けることを前提としており、フレキシブルな営業形態であることがわかる。「中東(の旧市街)には広場がない」と言われてきたが、建物の配置などで「街路の歪み」を設け公共空間として利用していたといえるのではないか(「歪みの広場」)。以前はゴミ捨て場だった場所にアフワを開いた事例(住民が公共性を認めて誘致した)等も紹介され、広場空間としてのアフワの役割が指摘された。
企画セッション二番目の発表として、岡戸氏より、公共空間としてのアフワとその利用者の関わりをめぐるアレクサンドリアの事例が紹介された。本発表は2005年~2010年にかけてのアレクサンドリア建設分野(特に生コンクリートの流し込み作業)でのソハーグ県出身の出稼ぎ労働者・現場監督ら約70名を対象とした調査に基づく。調査から明らかになったのは、アフワI(調査対象地)を基点とした人間関係であった。アフワIでは、建設現場従業者たちと現場監督らの間の打ち合わせやリクルートに加え、金銭的支援や死亡時の遺体返送の費用徴収、出稼ぎ先や国外出稼ぎ地に関するビザ等の情報交換、道具の貸し借りも行われた。空間は彼らの移動とともに作られた。アフワの店主の多くは地元住民であり、労働者との関係はない。アフワは、同郷の者たちの社交の場として利用されてきただけでなく、教育現場としても機能した。注文すれば誰でも入ることができるアフワは、出稼ぎ労働者にとって都市労働市場への窓口として機能していたことがわかる。またアフワIの場合、一般の地元住民と出稼ぎ労働者の両方がアフワを利用し、一種の棲み分けが形成されていたことが指摘された。
企画セッション最後の発表として、ヨルダン北部カフル・マー村の公共空間の事例としてディーワーンが紹介された。前半、北澤氏より、ヨルダン社会の「部族」をめぐる政治状況の分析がなされた。ヨルダンはパレスチナ人が多いが、「部族(=地元性)」が強調されることが多い(住民区分は、定住民アシーラ、半定住民アシャーイル・アル=バディーヤ、非定住民バダウィー〔遊牧民〕)。確かに部族集団は保守的でハーシム家の支持基盤であり、部族意識も強いが、彼らが即国家権力ではない。部族集団と王政や国家との関係、対パレスチナ関係の実態と言説、部族法廃止や部族的慣習に対する政府の対応を見ていくと、ハーシム家が目指す近代国家においての部族の位置付けには変化が認められる。新たな可能性を示す社会運動として2011年以降の「ヒラーク運動」の特徴(「トランスヨルダン性」の強調やパレスチナ人に対する開放性)が指摘された。
後半では、岩崎氏より、ヨルダン北西部カフル・マー村のディーワーンが紹介された。本発表は、同村落社会の変容をめぐる過去の調査(2015~2016年世帯調査、2015~2017年聞き取り調査)の成果による。文化人類学者Antoun(1972)は1960年当時の村の親族関係を網羅する著書を残しており、当時と現在のデータを比較し地図上に可視化した。1960年代~2010年代、居住空間の面積は約3倍に拡大、人口増加も進んだ。就業状況は大きく変化し、60年代に4割だった農業従事者は激変し(政府部門や教育、軍関係が多い)、離農が進む。村の公共空間は、1960年代、店、モスク、学校、村議会、マダーファ(村有力者ムクタール所有のゲストハウス)であった。村の三大アシーラは村人口の8割を占め、近年、他村移住者やシリア難民も増えたが、住民のアシーラ帰属意識は強い。アシーラの9割がディーワーンを持ち、結婚披露宴や家族行事、アシーラの風習、仲介、経済支援、福祉に利用される。1995年の最初のディーワーン建設以前はマダーファが同じ役割を担った。人口増加でモスク隣にディーワーンが建設され、私的空間から公共空間へと変容した。ディーワーンは国家-部族関係が見える空間でもあり、アシーラを中心によりオープンな空間へと変容していることが指摘された。今後の展開として、ディーワーンの女性の排除の側面、福祉的機能の分析が挙げられた。
最後に、企画セッション全体に対して、私市氏より、公共空間と排除をめぐるコメントがなされた。公共空間は「公」と「私」の関係が交差する空間である。私人が各自の目的のために設けた空間であっても、そこには公共性が生まれてくる。そうした公共空間において、「誰が排除されているのか」「なぜ排除されるのか」という点が重要である、との指摘がなされた。各発表者からは、各自の事例において排除される対象として、女性や異教徒、アシーラ以外の部族(パレスチナ人、ユダヤ人等)が挙げられたが、スークに向かう大通りは異教徒を排除しない点も指摘された(⇔人々の居住空間であるハーラは外部者を排除する)。
フロアからは様々な質問がなされた。「街路の窪み(歪み)の順番(偶然か意図的か)」についての質問に対しては、発表者から、「ワクフ施設として水場を作った結果、窪みができたのではないか」(吉村氏)と「建築計画の中での突出性として、角を利用したいという意図性あったのではなないか」(深見氏)という多様な解釈が提示された。また、「『公共空間』に必要な人口規模はどの程度か」との質問には、「人口規模は重要な要素である」(岩崎氏)、「人口だけではなく、サビールとサビールの間の道路がどれくらい離れているか、という点も大切」(深見氏)、「ひとつの喫茶店のなかでは30名程度か」(岡戸氏)との多様な回答がなされた。この他、「マダーファからディーワーンになるとオープンになるということだが、ディーワーンを所有するアシーラ以外の極小アシーラの人たちも使えるのか?」との質問には、「アシーラ関係者の紹介があれば使える」との回答がなされたが、シリア難民のようにディーワーンを持たない人々の排除の問題も指摘された。
時間的な制約はあったものの、全体として、非常に活発な議論が行われた。
(文責:井堂 有子 上智大学イスラーム研究センター)