講演
京都大学人文科学研究所共同研究班「ウメサオ・スタディーズの射程」主催 特別セミナー
【日時】2017年11月8日(日) 18時30分 ~20時30分
【場所】京都大学稲盛財団記念館3F 318 号室
【報告者】ロガイア・ムスタファ・アブーシャラフ教授(ジョージタウン大学カタル校)
【タイトル】「アフリカ・サブサハラ地域におけるジェンダー正義と宗教: 女性器切除(FGM)をめぐって」“Gender Justice and Religion in Sub-Saharan Africa: The Case of Female Genital Mutilation”
【コメンテーター】中村香子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
宮脇幸生(大阪府立大学人間社会システム科学研究科)
現在私自身はFGMの研究から少し遠ざかっているが、関心は持ち続けている。このFGMについてギデンズの異化の議論を参照しつつ考えてみたい。ユニバーサルなものと特殊な、ローカルなものとは対立しあう関係にあるのだろうか。現在FGMをやめようローカルな活動がある。また、多くのディアスポラの間ではFGMは重要なイシューである。私たちはローカルな会話の中でいかにグローバルなイシューを語るのだろうか?
特定の宗教とFGMとの関係はない。だが、宗教と関連させた形でそれが語られることはある。セネガルのイスラーム指導者、イマーム・ディワーラーはクルアーンにはFGMの規定はないとし、その廃止のために村々を巡っている。それはグローバルな言説やアフリカの文脈と呼応するものでもある。スーダンのシェイフ・アフマドはFGM廃絶のためのグローバルなネットワークを創り出した。
バンジョーでのワークショップにおいて宗教指導者と医療従事者により出された宣言には、GBVの一つとしてのFGMに対し、子どもや女性の人権というようなグローバルな観点から抗することが明示された。ワークショップの参加者はFGMが罪であることを認識していた。
FGM廃絶運動は、健康と人権を守るシティズンとして多様な宗教コミュニティが協働するユニークな機会を提供する。また、アフリカの女性は抵抗なしに従属的な地位に甘んじることはないだろう。
【コメント、質問】
コメンテーターによりケニア、エチオピアでのFGMの事例の紹介がされ、事例ごとに時代を経るにつれFGMへの認識のあり方やその方法は変容していることが述べられた。そして、だが現在もFGMに意味を見出す人々がいる。そうした現状どのように考えるのか?という質問がなされた。さらにフロアからは男性がFGMについて語ることを喜ばない地域もあるが、セネガルなどではそうした反応はないのか?という疑問や、FGMを論じるうえでの文化相対主義の重要性についての質問などが出され、活発な議論が展開された。
文責:飛内 悠子(中央学院大学 非常勤講師)