アジア研究領域
アジア研究領域の学び
アジア研究領域では、アジアを対象とする「地域研究」を学びます。「地域研究」は、特定地域への関心から出発し、現代世界の問題について、その地域に密着して研究する学問です。「アジア」の概念はとても広いですが、総合グローバル学部のアジア領域では主に東アジア、東南アジア、南アジアの国や地域を授業内容、研究対象として扱います。アジアの人々や社会への関心、「アジアの隣人についてもっと知りたい」という素朴な気持ちを出発点として、開発、貧困、文化遺産、教育、宗教の変容、環境、紛争と平和、大衆文化・・・といったテーマ、歴史学、考古学、文化人類学、社会学など様々な学問分野を横断しながらアジアへの理解を深め、そこから「グローバル」がどのように見えてくるのかを探求します。
上智大学とアジア研究
総合グローバル学部の領域の一つとして「アジア研究」が設けられた理由は、上智大学がアジアとの関わり合いを重視し、学生の皆さんへ学びや体験を通じてアジアの一員になってもらいたいという強い意志と期待の表れに他なりません。
イエズス会のアジア研究の重要な拠点
上智大学は、イエズス会のアジア研究の重要な拠点の一つです。1970 年代後半の社会変動の時期、東南アジアのベトナム、ラオス、カンボジアから多くの人々が難民として国外へ逃れ出ました。我々の隣人である彼ら難民に寄り添うために「インドシナ難民に愛の手を 上智大学」が1979 年12 月に立ち上がり、上智大学全体の活動が始まりました。このようなイエズス会のミッションと同時に、研究と教育の両面にわたって隣人を深く理解し真にアジアの一員となるべく、研究組織(アジア文化研究所、1982 年創設)と学部教育に力が注がれるようになります。総合グローバル学部の「アジア研究」領域は、ミッション・研究・教育の3 つのいずれも疎かになってはいけないという信念に基づいて作られた一領域なのです。
アジア研究の例
「アジア研究」領域を担当する教員はいずれも、長い間ある特定の地域や国を歩き回り、そこに暮らす人々とこつこつと関係を築いてきました。
学問分野について
考古学、歴史学、人類学、政治学、社会学等、教員が専門とする学問分野(ディシプリン)は多様です。しかしそのまなざしは、地域社会や今を生きる人々に向けられているという点は共通しています。[写真:葬送儀礼のために集まった長老たち(東ティモール・スアイ)]これから専門分野について考えてみよう、という皆さんは、初めから無理にアジアとグローバル・イシューを結びつける必要はありません。先ずは、ハロハロでも、アンコール・ワットでも、あるいはアジアの戦争遺跡でも、もっと知りたいと感じたモノやコトを、実際にアジアへ行って自分で確かめてみませんか。旅立つ前に、気づきのヒントを「アジア研究」領域で学びましょう。
領域での研究の例 権香淑准教授
人の移動から東アジアのグローバル化を探る
人はなぜ移動するのでしょうか。あまりにも単純すぎるこの問いは、いかにも簡単に解答が得られると思われがちですが、いざ答えを探ろうとすると決して容易ではないことに気づきます。人が移動するという現象そのものは、時代や地域の別を問わず有史以来の普遍的な営みですが、そのプロセスには様々な文化が埋め込まれているからにほかなりません 。[写真:中朝国境近くの図們市にある中国朝鮮族百年部落民俗展覧館のパノラマ絵画(1.7m×22m)には、中国朝鮮族の移住過程や文化的な特徴が描かれている(提供:金京南氏)]
私は東アジアのなかでも、とりわけ移動性が高いと言われる中国朝鮮族の過去と現在のありようについて、関心を持ち続けてきました。朝鮮族は、朝鮮半島からの移住民であるということはもちろん、中国の一少数民族として定着した後も独自のコミュニティを築き、「改革開放」以降は農村から都市へ、そして韓国や日本をはじめ海外へと移動を重ねています。
そこで、海外での出稼ぎ労働やビジネス経験を経た中国への帰郷者、および日本で留学を終えた後、当該分野の専門家として日本、韓国、中国、ベトナムなどをはじめ、広くアジアで広く活躍する人々を対象に聞き取りを行いながら研究を進めています。一見、「出稼ぎ」と「留学」という異なる観点からのアプローチにみえますが、一家族のうちの親世代が出稼ぎで韓国へ、子世代が留学で日本へ、といった跨境家族(三世代)をめぐる複合的な流れがあり、その後の再移動、再々移動の局面においては、アジア経済の動態と深い関りが見受けられます。つまり、朝鮮族家族の分散と再結集のダイナミズムが、いわば地域的な動向の試金石であるという側面があります。このような知見を踏まえて、移動する人々の目線から地域や世界を捉えることで、東アジアのグローバル化を展望し、その実態を包括的に解明することを目指しています。
領域での研究の例 久志本裕子准教授
東南アジアから教育を考える
「学校」はいまや、世界のほぼどこでも見ることができる「グローバル」な現象です。けれども、世界に異なる文化があれば、「教育」を通じて身に着けるべき態度、できるようになるべきことなどは違って当然だと思いませんか?日本の教室では「起立・礼」で授業を始めますが、マレーシアのイスラーム学校であればアッラーに祈りの文句を唱えて授業を始めます。[写真:マレーシアの宗教中等学校の教室の様子]
こうした文化の違いがある一方で、「試験に合格しなければ」「良い学校を出て、良い仕事につかなければ」といった意識は驚くほど似通っていたり、日本よりも試験の成績を重視するところもあります。今の私たちがイメージする「学校」は、日本では明治維新以降、他のアジアの多くの国々では植民地化によって初めて導入された「近代的なもの」で、長い歴史の中ではぐくまれてきた文化に比べればごく最近現れたものに過ぎないにもかかわらず、人々の意識や生き方を同じように型にはめてしまう強い力を持っています。そう考えると、「学校」というグローバルな現象がとても不思議に見えてきます。私はマレーシアのイスラーム教育を研究テーマとして、文化人類学と比較教育学という学問分野の知識を手がかりに、イスラームを教える、学ぶという文化についてマレーシアで10年以上滞在して研究してきました。そこからグローバルな現象としての「近代的学校教育」を眺めてみると、今の私たちの考え方、価値観がこれにとても強く影響されていることが見えてきました。ここから、私たちの「教育」は何に縛られているのか、どうしたらもっと自由に、もっと本当にみんなに「力」を与えるような教育を構想できるのか、といったことを考えています。