多様な街ケルン/Köln ist Vielfalt

阪間葉月

Tach!
ケルン大学に留学中の阪間葉月です。早いもので、ドイツで暮らし始めてからもう半年が過ぎてしまいました。実家で甘やかされて生かされてきたわたしが自分でちゃんと料理して、洗濯して、掃除して、外れたボタンをつけ直して、やっと人間見習いくらいにはなれたかなという感じです。味付けに失敗して小洒落た豚の餌みたいなものを食べる羽目になったときはお゛か゛あ゛さ゛ん゛!!!って泣き出したくもなりましたが元気にやっています。 

ケルンは多様な街です。そこらじゅうにトルコ人経営のケバブ屋があったり、学校のカフェのおばちゃんたちがみんなイタリア人だったり、アジア、アフリカ、ペルシャ系のレストランが流行っていたり。そして彼らは外国人としてドイツにいるというよりは、違うバックグラウンドを持ったドイツ人としてここで暮らしています。そんなのがごく普通な街なので、ヨーロッパに縁がなさそうな平たい顔をしていようが、基本的にどこへ行っても話しかけられるときはドイツ語です。パン屋さんでも、道端で知らないひととちょっとお話しするときも。まるでドイツに自然と迎え入れてくれているようで、ほくほくしてしまいます。それに、ドイツ語を学びに来ている身としてはありがたいことです。まあ実際は単にドイツ語以外は喋るのがめんどくさいからというだけなんでしょうけどね。外国人観光客が大量に訪れる街というのでもないし。

そんなケルンには色んな学生が集っていて、たくさんの出会いがあります。ドイツ人はもちろん留学生や、移住してきてドイツの大学で正規生として学んでいるというひともいます。彼らと過ごす時間はいつも楽しくて、驚きと発見に溢れています。会話の内容も様々で、真剣に政治やら哲学やらについて論じていたかと思えば、昨日行ったクラブの話になったり、それぞれの母国語で汚い言葉を教えあったり。

 彼らとの会話を通して考えるのはやっぱり日本のことです。せっかくドイツにいるのに、と思わなくもありませんが、母国の話題はついてまわるもので、時には日本のことを説明するし、誰かの話を聞いて日本と比べていることもあります。その中で思うのは、日本人はあまりにもたくさんの大事なことから目を逸らして生きてきてしまったのかな、ということです。行間を読む文化を生きながら、都合の悪いことは見て見ぬ振りをしてきすぎたというか。それは単に何も考えないことよりも性質が悪いように思います。そして日本でいま議論が紛糾しているのはそのツケが回ってきた形ではあるけれど、今までの姿勢から脱却するきっかけにもできる気がします。ここにきて論理をぶっ飛ばした上にぼかしまくりの主張になりますが、全部説明すると長くなるし骨が折れるので見逃してください。

 楽しいばかりで過ぎて行った半年でしたが、仲良くなった留学生は悉く帰国してしまい、夏は終わり、日もどんどん短くなってきて気が沈みます。とはいえ、冬は冬で楽しいだろうという希望を胸に前向きに残りの半年もやっていきたいと思います。Tschö!

h-sakama