環太平洋班第一回研究会
「環太平洋をつなぐエージェンシー―人、物、知の循環―」
第一日目参加記
神戸学院大学 李洪章
2014年12月20、21日、上智大学に於いて、環太平洋班第1回研究会「環太平洋をつなぐエージェンシー―人、物、知の循環―」が開催された。第1日目には、佐原彩子(大月市立大月短期大学)「ベトナム・ロビーの人道主義:合衆国の対アジア政策と慈善活動の境界」、佐藤けあき(上智大学大学院博士課程)「日系アメリカ人二世の日本進駐経験―ハワイにおける元語学兵への聞き取り調査から」、蘭信三(上智大学)「帝国の狭間を生きる―「在満台湾人」と在満沖縄出身者を手がかりに―」がそれぞれ報告された。
佐原報告は、大きな政治的文脈から安易に新植民地主義と結びつけられて語られがちであった「ベトナム・ロビー」の人道主義の内実を、実際に活動に携わった人々の行為主体性に着目することで明らかにした。合衆国による対アジア政策と人道主義的な慈善活動の境界は非常に曖昧であり、両者のあいだに存在したポリティクスの複雑性が丁寧に示されていた。
佐藤報告は、第二次世界大戦中およびGHQ占領下の日本で通訳・翻訳の任務を負った日系二世語学兵の語りがもつ、日系アメリカ人のモデルストーリーに対するオルタナティブな意味について論じた。それは、たとえば強制収容やヨーロッパ戦線での従軍経験に彩られた日系アメリカ人史からは零れ落ちがちな、生活者としてのリアリティを浮き彫りにするものであった。
蘭報告は、一国史的な帝国研究から抜け落ちた、在満台湾人と在満沖縄出身者の満洲経験の複雑性を解き明かすことで、重層的帝国の支配の狭間での人々の生のあり方を描き出した。かれらの経験と「生活戦略」の複雑さは、それが複数の帝国圏を跨るものであるからだけではなく、従属性と主体性を同時に内包しているという点にも起因することが示されていた。
この研究会は、環太平洋班による本格的な調査・研究の出発点として位置づけられていたこともあり、「環太平洋」という枠組みから、帝国をめぐる人・モノ・知の移動を捉え直していくための新たな視点やアイデアが多数提示されたが、1日目の各報告もやはり、従来の帝国史の間隙を突き、新たな潮流を生み出そうとするチャレンジングな報告の連続であった。これらの報告に共通するテーマは、研究会のタイトルにもなっている「エージェンシー」である。すなわち、帝国的な構造的権力が国際社会の秩序を決定づけているとするような視点に陥るのではなく、その構造からこぼれ落ちるような行為主体を通して、帝国をめぐる複雑なリアリティを描き出そうとする試みであった。
筆者は歴史研究・帝国研究に明るいわけではないので、各報告の内容に関してコメントをすることは難しいが、私なりに気づいた課題について述べておきたい。まず、蘭報告においても慎重に議論されていたが、過度な「エージェンシー」の強調は、対象の非歴史化、非政治化に繋がりかねないという問題をはらんでいる。ただし、逆に慎重になりすぎると、「境界」「狭間」などの中身についての突っ込んだ議論をおこなうことができず、それらはマジックワード化してしまう。このあたりのバランスをどのようにとっていくのかが、研究班全体の課題となるだろう。つまり、アンソニー・ギデンズのいう「構造の二重性」、すなわち構造とエージェンシーの相互規定性を明らかにするうえでの理論的なバックグラウンドについての議論が今後必要になってくると思う。
次に、本研究会では2日目の報告も含め、オーラルヒストリーに重きを置いたものが多かったが、その取扱いも含め、方法論に関する議論が必要になってくるだろうと感じた。たとえば、オーラルヒストリーの「構築性」をめぐっていかなる立場をとるのか、という問題がある。佐藤報告は、語学兵を日米の架け橋として捉えるような語りが「モデルストーリー」に類するものとして捉えられていた。しかし、見方によっては、たとえモデルストーリーにいっけん従属的にみえるような語りであっても、その語りが他者によって強制されたものであるとは限らないし、異なる使用法に基づいた、異なる性質を持つ言葉であるかもしれない。だとすれば、佐藤氏のいう、「モデルストーリーに回収しきれない複雑な側面」は、こうした語りのなかにもみてとることができることになる。ここにはまさにオーラルヒストリー研究の困難さがあらわれている。リアリストとアンチリアリストのあいだで展開されてきたオーラルヒストリーをめぐる論争を総括し、<個人/社会>、<構造/エージェンシー>といった二分法の超克を目指す研究においてオーラルヒストリーをどのように位置付けていくのか。厳密な方法論を提示することが今後求められるだろう。
これらの課題は、環太平洋班のみならず、様々なディシプリンの研究者が集う本科研全体が直面する課題のひとつであると言えよう。科研メンバーの一員として、積極的に議論にかかわっていきたい。
(文責・李洪章)