満洲班第一回 ワークショップ『20世紀「満洲研究」の到達点と今後の課題~「満洲」の解体と再構築をめざして~』参加報告記(権香淑)

研究協力者・権香淑さんによるワークショップ参加報告です
2015.03.14

満洲班第一回 ワークショップ
20世紀「満洲研究」の到達点と今後の課題
―「満洲」の解体と再構築をめざして― 
参加報告記

2015年3月9日
権香淑

 2015年2月22日、上智大学大阪サテライトにおいて、満洲班第一回ワークショップ「20世紀「満洲研究」の到達点と今後の課題:「満洲」の解体と再構築をめざして」が開催された。
 本ワークショップは、満洲班のキックオフミーティングとして位置づけられており、「満洲研究」における到達点の提示、問題点の洗い出し、今後の可能性を見出すことを目的に、5名の研究分担者による報告(上田貴子「20世紀満洲研究の概要」、猪股祐介「満洲移民研究の死角―戦時性暴力をめぐる沈黙について」、坂部晶子「少数民族―移動する人々の生活史」、永井リサ「環境からみた満洲史」、西澤泰彦「人とモノ・情報の移動―建築分野を事例として」)が行われた。

 以下では、「非満洲プロパー」ではあるが、かつて朝鮮半島から「満洲」地域に移住し、「満洲国臣民」として位置づけられ、その影響が様々な形で内在化している中国朝鮮族の研究に携わっている者として、当日の報告や議論を通して得た感想を記すことにしたい(各報告の概略は2015年3月6日付丁智恵氏の参加報告記を参照されたい)。

 本ワークショップの課題設定および趣旨説明として、まず上田氏から、①安易に「満洲」という語を使うこと、②日本における「満洲」を対象とした研究、③「~族/~人」のいずれの呼称を使用するのかに関する三つの問題提起がなされた。①の用語、②の方法論、③の呼称のいずれも、研究対象をどのような枠組みから捉えるのかを考えるうえで重要な問題提起であり、あらゆる地域研究に敷衍させることが可能な興味深い論点である。
 三つ目の問題提起である「~族/~人」は、漢字語圏内に特有の問題領域のなかに位置づけられる。上田氏のご指摘にあった通り、中国の古代史を踏まえた文脈によっては厄介な問題であるが、少数民族、とりわけ朝鮮族の場合は比較的わかりやすい。基本的には歴史的な時間軸に沿い、朝鮮半島から移住した後に中国へと編入される1949年以前は朝鮮人、以後は朝鮮族とするのが一般的である。もちろん、中国の一少数民族になる一過程として古代からの活動を捉えた場合は、その限りではない。中国における東北工程の分析対象として位置づけられる一方、韓国が主張するルーツや歴史観に抵触するため、歴史をめぐる国家間の争点に繋がる。要するに、どの民族の立ち位置から、どの歴史的地点にたつのかが一つのメルクマールとなっており、突き詰めれば研究者の見識とポジショナリティが問われることになる。

 猪股報告では、日本人農業移民としての「満洲移民」に焦点を当て、戦時性暴力をめぐる沈黙を破るための方向性が論じられた。満洲体験の歴史化が進むなか、被害者女性が自らの体験を「開拓団」史の体系のなかに位置付けて語られるようになった状況とともに、いわゆる「慰安婦」問題と地続きで語られてしまうことの危うさも指摘された。軍の制度下において被植民者側が受けた暴力と、植民者側の引揚げのなかで受けた暴力とが、同じ戦時性暴力として語られてしまうことを懸念する問題意識は、筆者も大いに共有するところである。質疑応答のなかで、引揚げ研究において戦時性暴力を取り上げることの意義が問われたが、それを明確にすることは、決して同列には語れない被植民者側と植民者側の被害者性を、同時代史的に読み直すための枠組み作りに資するという意味でも、欠かせない作業だと思う。ちなみに、朝鮮族女性の被害体験は、卑見の限り、ごく一部において韓国人/中国人被害者として取り上げられる場合があるものの、朝鮮族が生きた村落史や地域史の共同性のなかには全く位置づけられておらず、今後の大きな課題となっている。

 モンゴル自治区フンボイル市における少数民族の生活史に着目した坂部報告では、客体化された少数民族の姿ではなく、周辺社会に内在する自立した生活実態の把握を目指していることが窺えた。ただし朝鮮族と比較すると、万名単位の一桁(約3万名)と三桁(約190万名)とでは、同じ少数民族といっても全く規模が異なってくる。違いを強調すればきりがないが、自民族の文字を持つか持たないか、自治区や自治州があるかないかによっては、それぞれ別の次元で語らざるをえない。とはいえ、近年は、従来の親日、抗日、反日といった側面からではなく、生活史や生活実態から朝鮮族の歴史を捉える斬新な研究(例えば金永哲『「満洲国」期における朝鮮人満洲移民政策』、林梅『中国朝鮮族村落の社会学的研究』、朴敬玉『近代中国東北地域の朝鮮人移民と農業』など)が出始めている。「生活実態」をキーワードとした比較検討を念頭に置くことで、少数民族としての何らかの共通性や「満洲」を逆照射する知見を見出すことができるかも知れない。

 気候区としての「満洲」を想定した永井報告、建築分野を中心に人・モノ・情報の移動を捉えた西澤報告は、ともにこの地域をフィールドとして歩いてきた筆者にとって、まさに目から鱗が落ちる内容であった。「環境」や「建築」という特定のエスニックグループに限定されない人類共通のテーマから、逆説的に「満洲」の輪郭を浮き彫りにしうる試みであろう。筆者の問題関心に引き寄せてみると、過去に「満洲植物区」と呼ばれていた地域が現在の「長白山植物区」に変わったのは、中国現代史のいつの時代のことなのか。その背景や政策的な意図は何なのか。また、瀋陽や大連と同様、延辺朝鮮族自治州の州都―延吉にあるに日本や「満洲国」関連の様々な建築物は、その歴史や現地への文化的影響も含めてどこまで研究されているのか。尽きることのない問いが沸き起こり、いずれも個別に報告者へ質問を投げかけてみたが、これから調べていく必要があるようである。是非ともその詳細を知りたいところである。

 総合討論では、歴史的概念としての「満洲」をあえて取り上げることの意義はどこにあるのかといった問いを中心に、様々な議論が展開された。本科研の全体的なテーマと照らし合わせると、おそらく20世紀の「満洲」を属人的に理解しつつ、属地的な「満洲」のありようを模索する、といった方向性が定められよう。これは上田氏が提起された問題提起の一つ目と二つ目にも関連するが、たとえば、1970年代に考案された「n地域論」(板垣雄三氏)、すなわち地域は一個人から地球にいたる範囲(領域)を設定しうる、といった理論的視角を応用し、その「満洲」バージョンを考究することでもあるように思われる。そのプロセスにおいては、国民国家の支配的言説に回収されない対象や事例を丁寧にすくい上げ、少なくとも日本帝国の「満洲」ではない、東アジアの「満洲」を再帰的に模索することが求められるに違いない。

 以上で記したように、5つの報告内容を通して、新たな観点から実に多くの示唆を得ることができた。この分野の大家である諸先生方からのコメントに接することで啓発された部分も非常に多く、今まで体感してきたフィールド風景を、また別の角度から見直すきっかけとなった。本ワークショップの場を共有させて頂いたことに改めて感謝するとともに、「満洲」をめぐる枠組みの作り直しという研究課題について、これからも筆者なりに考えていければと思う。

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