マニュエル・ヤン氏講演会「帝国のはざまからのうなり声:『私』のファミリー・ヒストリーからトランスパシフィック・ヒストリーへ」参加報告記

研究分担者・八尾祥平さんによる講演会参加報告です
2015.04.09

マニュエル・ヤン氏講演会「帝国のはざまからのうなり声:
『私』のファミリー・ヒストリーからトランスパシフィック・ヒストリーへ」
参加報告記

 八尾祥平

 2014年10月11日に上智大学において本科研主催の研究会(報告者:マニュエル・ヤン氏、報告タイトル:帝国のはざまからのうなり声:「私」のファミリー・ヒストリーからトランスパシフィック・ヒストリーへ)が開催された。

 本報告はヤン氏のファミリー・ヒストリーから、戦後の東アジア・東南アジアにおける、それ以前のさまざまな帝国支配が崩壊し、冷戦体制によってアメリカの影響力が深まるというダイナミクスを人の移動を切り口にして捉え直すための議論を起こすための場として設定された。

 まず、ヤン氏の父親からはじまる家族史が語られた。戦前の台湾に生まれ日本教育をうけつつもキリスト教の長老教会を起点とした抗日運動に連なり、投獄された経験を持つ父は、戦後、教会の布教活動の一環で神戸を訪れた際にこの地で生まれ育った母と出会い結婚することになった。戦後の長老教会は台湾独立派のアジールとして機能しており、台湾独立派でもあった父は海外から台湾独立運動を行うために海外布教の拠点形成を口実として当時としては半ば非合法な手段も用いてブラジルへ母を伴って移住し、ヤン氏はブラジルで生をうける。その後、家庭の事情で小学校のうち最初の3年間を日本で過ごし(小学校に通うにあたり母方の祖父がなづけた「和彦」という名前をつかっていた)、その後、ブラジルでの拠点形成が軌道にのったことから父はアメリカでの拠点を新たに拡充するためにアメリカへと連れ立ち、現在に至っている。ヤン氏は家庭では日本語で両親と会話しつつ、家庭の外ではブラジル・ポルトガル語、台湾語、そして英語が話されるという環境で生活を送っていた。

 このようなヤン氏のファミリー・ヒストリーはまさにこれまでの「正史」からこぼれおちてきた、帝国崩壊と冷戦による国際秩序の再編によるグローバルな人の移動の歴史をまさに象徴する事例である。本報告をうけてフロアーからは、さまざまなコメントや質問がなされた。たとえば、なぜ、すぐにアメリカには向かわずにブラジルであったのか、さらにはブラジルでは同じく日本語の話せる日系人や朝鮮人との接触はあったのかといった点についてはヤン氏自身が幼少だったこともあり十分な回答にはいたらなかったものの、ヤン家のブラジル移住当時は中華民国が中華人民共和国と正統性をめぐり国際社会から支持を取りつけるための苛烈な競争を繰り広げていた時期にあたり、ブラジルだけでなく戦後植民地からの独立を果たした地域を中心にさまざまな「技術支援」による人の移動がおこなわれていたこととも深い関係があると考えられる。また、ヤン氏の記憶ではブラジルでは台湾人と他の日系人との接触はなかったとされるものの、この研究会後、12月13日に開催された『テニアンからブラジルへ:二度の戦争を生き残った沖縄の移民』上映会で上江洲清氏からブラジルで生活していた頃に市場で台湾人たちとも日常的に接する機会があり、共通語として日本語が話されていたという証言を得ており、戦後のブラジルで台湾人と日本人は完全に接触がなかったとは言えないようである。戦後、台湾と沖縄から異なる文脈を持ちつつもブラジルへ移住した人びとを地域によって区切らずに捉えることが重要な課題となっていることが示唆された。

 他にもフロアーからは歴史学よりの視点から、こうしたファミリー・ヒストリーをトランスパシフィックな視点から捉え返すことで、従来の歴史像とはどのように異なる歴史像を浮かび上がらせることができるのか、あるいは目指しているのかという歴史観をめぐる議論がおこされた。これは本科研を貫く大きなテーマのひとつといってよい、構造とエージェントをめぐる議論に連なっており、マクロにはアジアにおける諸帝国の撤退と冷戦の展開に伴うアメリカの影響力の増大が、人の移動の面からは戦前からのネットワークと戦後に新たにできたネットワークとが混在する状況を規定しているなかで、「一国史」からは抜け落ちてしまうこうしたファミリー・ヒストリーを拾い上げることには、国家を中心的な主体として描かれてきたこれまでの歴史像とは根底的に異なる哲学に基づいた歴史を描くことにつらなる可能性が指摘された。たとえば、故・村井吉敬氏が生涯を通じて提唱していた「小さな民からの発想」には国家を大前提とはしない庶民の生活を主体とする哲学に根ざしており、本報告におけるヤン氏のファミリー・ヒストリーをトランスパシフィックな視点へと昇華させていくための足がかりとなるのではないかという重要な指摘もなされた。

 本研究会での議論を通じて、人の移動をトランスパシフィックな視点から捉え直すことは、私たちの日常をまだまだ根深く規定している国家の役割を相対化させるような個人の主体性を模索するための足がかりをつかむことにつながっているのではないかと感じた。今後も研究会を通じて、この論点を注意深く検証していきたい。

(文責:八尾祥平)

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