戦後引揚げ70周年記念シンポジウム
戦後引揚げと性暴力を語る
『奥底の悲しみ』(2015)・『水子のうた』(1977)上映会 参加報告記
東京大学大学院 丁智恵
2016年12月4日、上智大学四谷キャンパスにて本科研主催の上映会・シンポジウムが開催された。今回のテーマは、アジア・太平洋戦争の敗戦時に外地(植民地など)に住んでいた民間の日本人女性たちが受けた性暴力についてである。集団引揚げが本格化する1946年春には、引揚港の周囲に「堕胎」や性病治療を目的とする施設が開設され、多くの「堕胎」手術が実施された。しかし戦後長い間、このような事実は語られることなく、闇に葬られてきた。
今回のシンポジウムでは、この問題に関する2つのドキュメンタリー作品の上映とコメント、討論が行われた。彼女たちの戦後長きに渡る辛い記憶に照明を当てたのは、今回上映された2つのテレビ・ドキュメンタリーである。一つは、昨年放送された山口放送制作の 『NNNドキュメント’15 奥底の悲しみー戦後70年、引揚げ者の記憶』であり、もう一つは、77年に放送されたRKB毎日制作の『水子のうたードキュメント引揚孤児と女たち』である。
『奥底の悲しみ』は、敗戦直後に多くの人が外地などから引揚げた山口県の仙崎港の風景から始まる。この港は、全国で5番目に多い41万人が引揚げた港だという。「仙崎引揚援護局史」という国が残した記録には、検疫や医療、物資について記されているが、そこに「特殊婦人」という聞き慣れない言葉が見つかる。調べてみると、引揚げた日本人女性が「婦人特殊相談所」を訪れ、500人以上が妊娠または性病を患っていたと記録されていた。引揚経験者や支援者、またその家族がインタビューに応じ、悲惨な引揚時の性暴力の記憶が次々と語られる。
『水子のうた』は、今から40年近くも前の77年に作られた。冒頭に、カメラマンの飯山達雄氏が敗戦直後に撮影した引揚女性たちの堕胎手術の写真などが登場する。続いて当時二日市保養所で女性たちの「堕胎」や性病治療にあたった医師や看護師が登場し、当時の生々しい記憶について語る。番組は長崎県針尾島の引揚者検疫所跡を訪れ、当時の引揚者婦人相談員のもとを訪ね、佐世保友之会に残されていた当時の「問診日誌」を紐解くが、そこには生々しい彼女たちの経験が記されていた。
上記の2つの作品の上映後はシンポジウムに移り、『奥底の悲しみ』の制作を担当した山口放送の佐々木聡氏、女性・福祉の分野をリードしてきた樋口恵子氏、そして性暴力被害と引揚援護について研究してきた山本めゆ氏が登壇した。
佐々木聡氏は、情報番組を担当する傍らドキュメンタリーを制作している。氏はこれまで、「ふたりの桃源郷」などで数多くの賞を受賞し、「ヒューマン・ドキュメンタリー」とよばれるジャンルを中心に制作を続けてきたが、戦争について自身が取り組まなくてはいけないと感じたのは、戦後70年という主題で業界の重鎮の方々と議論しているときであったという。そして、数多くの記録を辿るうちに、この引揚時の性暴力に関する記述がすっぽりと抜け落ちていることに気づき、取り組むことを決心した。2015年に局で担当している地方の情報番組で満洲からの引揚に関する「手記」を募集した際に、想像を上回る数の衝撃的な手紙が寄せられた。戦後70年になって今もなお、これまで誰にも話せなかったようなエピソードが次々と引揚体験者やその家族から寄せられるという状況。その声にならない訴えに耳を傾け、カメラマンと二人で、ときには一人で証言者を訪ねていったこともあるが、ときにはあまりにも凄惨な内容に「受け止めきれない」と感じたこともあったという。
樋口恵子氏は、60年代のアメリカ第二派フェミニズムについて言及し、「中絶の自由」の獲得の経緯や、フランスにおける女性たちのデモ行進について紹介。氏は戦後日本で施行された「優生保護法」は、ナチスドイツが戦時下で行った優生政策を倣ったものであると批判してきた。氏の非常に豊かな知識と経験から、70年代のこの問題をめぐる激しい論争、また当時の家父長的・保守的な日本社会の中で氏が先頭に立って提唱してきたフェミニズムの運動について、非常に生き生きとしたお話を伺うことができた。
山本めゆ氏は、「水子のうた」の制作を担当した当時RKB毎日の上坪隆氏が番組の取材内容をもとに書いたノンフィクションの書籍『水子の譜』について言及した。番組が当時ほとんどマス・メディアで語られることのなかったこの問題を鋭く描いた先駆的なものであると評価する一方で、二日市保養所での医師や看護師が自律的、人道的に描かれていることを問題視し、それ以前に厚生省や引揚援護院による指示があったことを提示した。またヨーコ・カワシマ・ワトキンスの『竹林はるか遠く』における日本人の被害の語りの現れ方にも問題提起した。
全体討論においては、この問題に関心を寄せる非常に多くの方々からのコメントや質問が寄せられた。最後に時間が足らなくなってしまったのが残念である。ここで全てをご紹介することはできないが、ここでは筆者の研究関心に引き寄せながら、これらの映像作品とコメンテーターの方々のお話を通じて考えたことについてお話ししたい。筆者は映像メディアにおける歴史の記憶の現れ方について、特にテレビ・ドキュメンタリーを対象に研究を進めてきたという経緯から、今回上映に選ばれた70年代と2010年代の2作品は、非常に興味深いテーマであった。戦後70年という歳月を経てやっと現れ始める当時の被害の実態があるという事実に驚愕するとともに、戦後の彼女たちの長い歳月に渡る苦しみに思いを馳せると胸が痛んだ。「水子のうた」が放送された70年代頃、戦争の語りはそれまでの男性中心的な見方から変化し、銃後の経験、植民地や引揚げの経験を語るものも見られ始めた。この番組には当事者は登場しておらず、医師や看護師などの証言が中心に語られているが、このような切り口も当時としてはかなり例外的な存在であった。というのも、この時代にはまだ戦後引揚げと性暴力の問題はほとんど関連付けて議論されることがなく、テレビなど当時のマス・メディアにおいては戦時性暴力のみならず、性の問題そのものがタブーであったという歴史的背景もある。彼女たちは、戦後長いあいだナショナリズムや帝国主義、植民地主義、男性中心主義の陰で沈黙を強いられてきたといえる。
全体討論の中で司会の蘭氏があるドキュメンタリー映画(「女を修理する男」(2015))を紹介しながらコンゴなど世界各地で今も続く戦争や紛争と性暴力の問題について問題提起し、はっと気付かされた。コンゴにおける90年代から続く戦争と組織的な性暴力の問題、また90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争における民族浄化という名分のもとに行われた強制妊娠などの性暴力、近年のシリアにおける性暴力の問題など、確かに時代や場所は変わっても、戦争における性暴力の問題はまさに現在進行形で続いている深刻な問題である。女性や子どもなど社会的弱者に犠牲を強いるような事態を生み出す戦争や紛争の構造。このような問題に向き合い、議論する場を持つことの重要性を改めて認識することができた。このような素晴らしい上映会とシンポジウムに参加させて頂いたことに心より感謝申し上げたい。