「戦後引揚げ70周年記念シンポジウム 戦後引揚げと性暴力を語る」参加報告記
特別研究員 坪田=中西美貴
2016年12月4日、「戦後引揚げ70周年記念シンポジウム 戦後引揚げと性暴力を語る」が上智大学にて行われた。開催の趣旨は、‘引揚げと性暴力、その経験と記憶’を、「国民の物語」として終わらせることではなく、「戦争と性暴力」という普遍的テーマへつなげていくことである。
4時間足らずの短い時間の中で、第1部では2つの映像作品が上映された。1977年に作られたドキュメンタリー「水子のうた」は、戦時性暴力について取り上げた先駆的な作品で、『水子の譜』として書籍出版もされている。もうひとつの作品である「奥底の悲しみ」は、2015年に登壇者でもある山口放送局の佐々木聡さんが、番組の間に放送していた特別番組をまとめたもので、第11回日本放送文化大賞テレビ・グランプリを受賞している。
第2部のシンポジウムでは3人の登壇者として、山口放送局の佐々木聡さん、東京家政大学の樋口恵子さん、日本学術振興会の山本めゆさんが、「戦時引揚げと性暴力」について、それぞれのかかわりの中から語られた。
そのなかから特に印象に残った箇所だけを示すと、山口放送局の佐々木さんは、ある証言者にもう一度話を聞きたいと打診した際、二度目はない、と電話を切られたことなど、性暴力を直接・間接的に見た引揚げ経験者が、現在にいたるまで抱えてきた経験の重さについて話された。
樋口さんは、戦時性暴力の被害者が、その後周囲からの非難の目を向けられるなど、なぜさらなる被害を受けなければならないのかと、フクシマの経験も例に挙げつつ問いかけられた。
山本さんは日本以外の地域で起きた戦時性暴力を取り上げることによって、確かに戦時性暴力は他の地域、時代にも起きているが、それに対しどのようにコミュニティが対処し、アクションを起こすかは同じではないことを示された。
これに対し、戦時性暴力の発生は、有史以来各地で起きている普遍的なことだという意見や、国が敗けるとはそういうことだという意見あるいは諦念が、フロアそしてドキュメンタリーから聞かれた。それは、一見普遍性を持った「受容」の語りのようである。
それではシンポジウムが目指す普遍と、フロアなどから聞かれた「普遍」とは、どのように接合し、展開していくことができるのだろうか。
問題あるいは課題は、アカデミズムとそうでない場からの発言のベクトルの相違というより、聞き取る私たちも含め、ずっとこらえてきた経験の重さを話したいと思う引揚げ体験者が、閉じた、「国民の物語」へと回収されない、経験と記憶の共有、そして普遍化への道筋を、まだ手にしていないことではないか。「国民の物語」は外に向かっては仮想敵国を作り出し、内に向かっては被害者を沈黙に追いやってきた。ならば「国民の物語」から抜け出た普遍的テーマへの道筋とは、何かへの一方的な抑圧としてはたらいてはならないのではないか。現今の社会状況を見る限りなかなか厳しい道のりであることは事実であるが、困難に向かうことが今ほど求められていることもないのではないかと緊張した思いを持たされた、非常に充実したシンポジウムであった。