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    Date
    • 2020年5月4日(月)16:00-17:00
  • Venue
    • Zoom会議(参加が確定した方にURLを前日までにお送りします。)
  • Subjects
    • 上智大学の学生限定。先着30名。
  • Sponsor
    • 上智大学グローバル・コンサーン研究所
  • Application
    • 定員に達したため、受付を終了しました。
  • Contact
    • グローバル・コンサーン研究所 i-glocon@sophia.ac.jp
第1回 澤田稔先生からのメッセージとトーク・セッション
COVID-19拡大状況から考える公教育の諸課題

澤田稔(教職課程担当)

 私は普段教職課程のみを担当する教員です。そこで、今回の状況が日本の公教育にもたらしている諸問題の中で、私が特に重要ではないかと思われる論点のごく一部を整理して、みなさんにお伝えしたいと思います。教育に関心をお持ちの方なら、必ずしも教育学専攻であるとか、教職課程履修者である必要は全くありません。以下に簡単なレジュメ形式の資料を準備しました。当日は、一部(場合によっては大きく)改訂するかもしれませんが、ここに整理した論点について口頭で補足を加えながら解説を進め、質問を受け付けたいと思います。

1. 基本的視座:平時と例外状態
(1) 公教育機関の社会的機能(役割):
学校は勉強を教える場所だという感覚を普段はあまり疑わないかもしれませんが、今回の状況で学校が担っている役割として改めて認識されたことには、少なくとも以下の諸点が含まれるのではないでしょうか。すなわち、学校は、家庭が子どもを預け、その生活を相当程度委ねられる場でもあるという点(だから多くの親が外に安心して働きに出かけられる)、子どもたちがケアを受けられる場でもあるという点、また、様々な子どもたちが‘日常的に一緒に集うことができる比較的安定的な場であるという点などです。つまり、学校が「学習の場」であるのと同等に、またそれ以上に「生活の場」、さらに「社交の場」であるという点を、あるいは、こう言ってよければ、学校の「福祉的機能」(学校給食もその一部)や「社会参加的機能」を再認識させられたと言えるのではないかということです。その意味では、平時に戻っても、教科・領域ごとの学習の成果だけにとらわれず、学校における「生活の質」(QOL)を意識する必要性が投げかけられていると言えるのかもしれません。
他方、学校行事やその内容の精選を余儀なくされることにより、公教育に真に必要なものとそうではないかもしれないものとの区別に関する意識が高まりつつあるように思われます。たとえば、卒業式に一部の来賓挨拶などが割愛されて、卒業する児童・生徒に儀式としてあってよいものに絞られたことで、式の実質化・充実化につながったという声も耳にしました。この辺り、まだ小中高校での記憶に新しい若いみなさんはどう思われるでしょうか。
(2) 公教育をめぐる不平等問題の顕在化・深刻化
 公教育をめぐる不平等に関する問題は、教育社会学の分野ですでに様々な角度から議論され、明らかにされてきました。日本における最近刊行された好著としては、教育関係者必読と言っていい松岡亮二著『教育格差』(ちくま新書)があります。しかし、平時でも厳然と存在するこうした不平等問題は、今般のような例外状態では、さらに顕著になるように思われます。「ウイルスは人を選ばない」という言説は、ドイツの社会学者ベックによる「貧困は階級的で、スモッグは民主的である」という言葉とともに注意が必要とは言えないでしょうか。たとえば、現在のCOVID-19拡大状況に対応してオンライン授業を実施するというだけで、デバイスや回線の所有・利用状況には無視できない階級・階層間格差が存在することはまぎれもない事実だからです。それだけではありません。特に公立学校には、多くの外国籍児童・生徒が在籍しますが、役所や学校から発信される情報が多言語でない限り、そうした人々にとって必要不可欠な情報にすらアクセスできないという情報格差が生じることになります。学習権を基本的人権の一種としてみなせるとすれば、これらを運・不運の問題で終わらせることは明らかに不当と言うしかないのではないでしょうか。
(3) 新型コロナウイルスをめぐる差別の問題
文科省の通知(「令和2年度における小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校等における教育活動の再開等について(通知)」 https://www.mext.go.jp/content/20200324-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf )でも、医療従事者や感染者への差別を防ぐよう注意して指導すべきことが明記されています。この点は高く評価されていいと思われます。ぜひその部分だけでも読んでみてください。この問題はかつてのハンセン病患者へ差別・排除に通底する点があるだけに、その歴史やこうした病に関わる差別の問題に関して、改めて私たちが学び直す必要に迫られていると言えるかもしれません。みなさんも「新型コロナ ハンセン病」でキーワード検索をかけると、関連情報を手に入られると思います。ぜひ、試みてください。
また、この感染症が中国の武漢から発生したことから、中国やアジア諸国とこのウイルスを結びつけた差別やヘイトクライムが世界各国で起きているという現状に鑑みると、レイシズムやこれと関連する人権教育の重点化について改めて議論すべきなのではないでしょうか。このレイシズムという視点は、上記文科省の通知ではやや弱いように思われますが、どうでしょうか。
2. 具体的な諸課題
 以下は、各学校や各クラスで、毎日の学習に関して特に不利な条件を抱える児童・生徒のことに十分な配慮をしようとする際に、学校や教師が不可避的に直面する課題を念頭に置いています。しかも、きわめて実践的な諸問題に関わるので、教育職員(教職)の現状についての関心や知識があまりない場合には、具体的なイメージが持ちにくいかもしれません。ですが、日々の教育現場では重視すべき点ばかりだと思われます。すべて問いの形式で提示しておきましょう。
これらに関しては、オンライン・セッション当日に時間の許す限りで口頭により補足する予定ですが、時間的に余裕がない場合には、特に事前の要望がない限り、すべて割愛する可能性もあります。
(1) この状況で新学期を迎える学校現場(特にクラス担任)の先生たちは、どのような困難を抱えているでしょうか。
(2) 毎日の学習に困難を抱える子どもたちに、各担当教員が、この状況下で家庭学習のサポートをする上で、最も重点的に配慮すべき点はどこにあると言えるでしょうか。
(3) 文科省による「新型コロナウイルス感染症対策のために小学校、中学校、高等学校等において臨時休業を行う場合の学習の保障等について(通知)」( https://www.mext.go.jp/content/20200421-mxt_kouhou01-000004520_6.pdf )で「各教科等において、主たる教材である教科書及 びそれと併用できる教材等に基づく家庭学習を課すこと」と記されていますが、上記のような(2)で想定しているような児童・生徒を念頭に置いた時に、この通知内容を各学校現場はどう捉えるべきでしょうか。
(4) 初等中等教育の新年度最初の学期において標準授業時数を予定通り確保できないということは、標準時数を制度的に定める政策に、どのような問題を投げかけることになるのでしょうか。この点は、履修主義と修得主義との関係をどう捉えるかということとも関連するでしょう。
cf. 標準時数に関しては、たとえば、以下のpp.12-3を参照。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/044/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2018/07/09/1405957_003.pdf
(5) 今般の学校休業時における「主体的・対話的で深い学び」(いわゆるアクティブ・ラーニング)はいかにして可能でしょうか。至近距離の対面での会話を控えるべきであるとすれば、どのような代替的方法が考えられるでしょうか。そのメリット、デメリットはどう予測できるでしょうか。
(6) 子どもたちの間で、差別的意図の有無にかかわらず、COVID-19に関わる差別的言動が不意に生じた時に、そこに居合わせた教員はどう対応すべきでしょうか。あるいは、そうした差別的言動が生じないようにする上で、教師はどのようなことに注意すべきでしょうか。