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第22回研究会報告

日時:2005年1月23日(土)14:00-18:30
場所:上智大学四ツ谷キャンパス(10号館3階322号室)
出席者:12名

1. 見市建著『インドネシア:イスラーム主義のゆくえ』合評会

見市氏(京都大学東南アジア研究所)の近著『インドネシア:イスラーム主義のゆくえ』(平凡社、2004年)の合評をおこなった.評者は次の4名である:佐々木拓雄(九州大学大学院),西芳実(東京大学大学院),山本博之(国立民族学博物館地域研究企画交流センター),新井和広(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所).その後,見市氏によるレスポンスを受けて,総合討論をおこなった。

【佐々木氏】:佐々木氏は現在のインドネシア地域研究を考える上での二つの前提条件の提示から批評を始めた.1)第一に,インドネシア研究が1970年代初頭までピークを迎えた後の30年間にインドネシアは大きな変化を経験したが,そのような変化をふまえて現在の社会・政治を理解するための枠組がまだ提示されていない.2)第二に,これまでイスラーム世界の「僻地」とみなされていたインドネシアでイスラームにかかわる活発な現象が出現しており,インドネシア研究とイスラーム研究を結びつける必要が増大している.見市氏の著書はこのような課題に意欲的に取り組んだという点でたいへん大きな意義をもっている.続いて,以下の質問および論点の提示をおこなった:1)まず,昨年の総選挙で躍進したイスラーム主義の福祉正義党(Partai Keadilan Sejahtera)は,民主主義理念とどう取り組みあっているのか?仮に同党が政権を取った場合に民主主義のゆくえはどうなるのか?2)次に,インドネシアの人々にとってシャリーア(イスラーム法)の理解はどうなっているのか?本書では多様と書かれているが,全般にシャリーアには厳格というイメージがあり,その厳格なシャリーアと現実生活との矛盾を人々がどう受けとめ,どのような葛藤が生じているのかを見とおすアプローチが必要ではないのか?3)第三に,総選挙の結果はインドネシア人の多数が依然としてイスラーム主義を支持していないことを示している.この多数派は本書においてどのように掬い取られているのか?

佐々木氏の批評のあと事実関係に関連する質問・コメントがあった.新井氏からのインドネシアはイスラーム世界の「僻地」という言説は誰が言っているのか,という問いに対しては,中東側からだけではなくインドネシア研究者の間からも出ており,ギアツの研究の影響が大きいとの回答があった.山本氏からは,佐々木氏が批評中に触れた「(研究者の)世代間の差」が何かという質問があり,これに対しては,スハルト時代までを中心に見てきた研究者間には,例えば国軍の政治力や,NU(Nahdatul Ulama),ムハマディヤといった組織の大衆動員力を過大視する傾向がある,そうした傾向はスハルト後を中心にインドネシア知る世代では実感として共有されにくい,などの回答があった.

【西氏】:西氏は,本書の意義を整理して,1)第一に,イスラーム世界のグローバルな論理とインドネシアの地域事情との区別,「政治的」イデオロギーとしてのイスラームと個人の規範・アイデンティティとしてのイスラームの区別という二つの枠組みを適用することによって,ムスリムによるイスラームの実践の多様性を明らかにしたこと,2)第二に,インドネシアのイスラーム史において,世俗的ナショナリズムとイスラームに基づく国家あるいはウンマの統合を目指すイスラーム主義が対立した独立時の段階,政治的イスラーム主義は反政府的として弾圧される一方で文化・社会レベルでのイスラームは奨励さらたスハルト体制期の段階,そして民主化の進展によって政治の場にイスラームが再登場しつつも,現行法および議会制民主主義の枠内で活動しており,国民の一体性とウンマの一体性は矛盾しないという前提が維持されているスハルト体制崩壊後の現在の段階という三つの段階の流れが明確に示されていることの二点をあげた.

【西氏】:西氏は続けて,二つの分野にわたる質問をおこなった.第一は,イスラーム主義とインドネシアのナショナリズムとの関係についての質問であった:1)イスラーム主義者がアチェの分離独立運動を否定するのは,そのような運動がインドネシア・ナショナリズムに反すると認識しているからという説明以外に,イスラム共同体の統合を求めるイスラーム主義に反するからという説明はできないか?2)マルク紛争についてイスラーム主義者はキリスト教徒側を分離独立派として非難するが,これも国民統合を乱すと認識しているからではなく,マルク地域をムスリムの領域とみなしているからという説明はできないか?3)国民の一体性とウンマの一体性が両立するようになったのは,インドネシアの多元的統合が実現しつつあるからではなく,ムスリムがインドネシアのマジョリティとなったため,マジョリティによる国家の維持が志向された結果という説明はできないか?第二はアチェに関わる質問であった:1)アチェの独立運動にはオランダ植民地支配から脱してアチェ単独で独立を目指す運動と,インドネシア共和国としての独立を目指す運動があった.本書では「アチェは1940年代から独立運動が存在した」(p.30)と書かれているが,当時の主流は後者であったはずであり,論旨とそぐわない.2)一方,1950-60年代のアチェの独立運動(ダルル・イスラム運動)はウンマとしてのアチェの独立を目指すものであった.これを地域紛争とみなし現在のJI(ジャマーア・イスラミヤ)などの運動と区別する根拠は何であるのか?

【山本氏】:山本氏からはマレーシア研究者の視点からの批評が行われた.まず全体的な論旨にわたる質問として:1)「グローバルなイスラーム主義の論理の中に,きわめてローカルな政治的関係が入り組んでいる」(p.46)と書かれているが,ここの「グローバルなイスラーム主義」とは,欧米人の大量無差別殺人を許容する論理であり,このような論理がイスラームの教理から導き出されると言ってよいのか?2)ポスト・スハルト期になって利権獲得のために政治に参入した人々が暴力に訴えるようになった(pp.27-30)と書かれているが,これだけではなぜ暴力が発生したかの十分な説明になっていない.3)都市部で頻発する盛り場や売春宿などの襲撃や焼き討ちに関して本書では「国家による暴力手段の独占」が徹底していないからとしているが(p.59),上位者の指示・命令に従わずに現場の判断でものごとを処理する「現場主義」がインドネシアにあることに起因するのではないか?

【山本氏】:次に山本氏からスマトラの事例に関連する質問として:1)ジャワ以外の地域では地域固有の問題があるはずで,そこへ地域外のイスラーム組織などが支援に入ることで問題がかえって複雑化しているようだ.たとえば,スマトラのPKS党員には華人やキリスト教徒もいる.彼らがPKSを支持しているのは,イスラーム主義の担い手としてではなく,民衆レベルでの社会改革を実現するための規律正しくクリーンなパートナーとしてではないか?2)これに関連して,イスラーム主義者たちは社会の広範な支持を得るために,社会に受け入れられやすいメッセージを発信しているが,これはイスラームの「世俗化」が進んでいると解釈してよいのか?

【山本氏】:続いて山本氏から「インドネシア」の限定のされ方にかかわる質問があった:1)本書で扱っている「インドネシア」は1945年以降のみのようである.もしそうだとしたら,インドネシアではイスラーム主義とナショナリズムは親和的であるという本書の主張は自明の結論であり,批判的検証は不可能ではないか?2)かつてインドネシア国民(Bangsa Indonesia)の統合の象徴はインドネシア語であったが,インドネシア語の普及により統合の象徴としての機能が低下した.そのため,国民統合の象徴としてイスラームが用いられていると理解してよいのか?もしそうだとして,このような方策は非ムスリムが多い地域では逆効果ではないか?3)ローカルな論理とグローバルな論理の二つからインドネシアのイスラーム主義を読み解く試みであるのに,本書では近隣のマレーシアのイスラームの制度や実践との関係にはほんとんで触れられていない.たとえば,PKSについてはアヌアール・イブラヒム,(マレーシア)正義党,マシャラカット・マダニ概念などとの関連が比較考察の対象に成り得るであろう.

【山本氏】:この他に山本氏からは以下の質問・コメントがあった:1)イスラーム的なアクセサリーを車の中に飾ること(p.143)はマレーシアでも多いが,これは非ムスリムと区別してもらうための実際的手段と思われる.2)インドネシアでは人気があるという「ヤー・スィーン」(クルアーン第36章)のアラビア語テキストのローマ字表記(p.148),はマレーシアでは一般的ではない.3)東南アジアへのイスラームの到達は13世紀ごろだといわれる」(p.16)と書かれているが,個々のムスリム商人の到達(13世紀以前)と在地支配者のイスラーム改宗(13世紀)とは区別すべきである.4)穏健なムスリムであってもある環境のもとでは急進化・過激化することがありうるというのが本書の主張の一つであるとすれば,イスラーム自体に急進化・過激化を促進する要因が内在していることになるが,そう理解してよいのか?5)本書の題名は,インドネシアにおけるイスラーム主義のゆくえなのか,インドネシアを通して見る世界のイスラーム主義のゆくえなのか?6)本書の表紙(ジャケット)の写真の対象は白黒が基調になっているが,インドネシアのムスリムはインドネシア・ナショナリズムを受け入れるという本書の主張を強調するためには,紅白が基調になっているものの方がよいと思われる.

山本氏の批評について,佐々木氏から「現場主義」の具体例を尋ねる質問があった.山本氏は,ある組織が政府開発援助(ODA)を受け入れるときに,上司と相談して決めるマレーシアと違ってインドネシアでは現場がかってに決めており,組織として機能している印象を受けなかった,と説明した.

【新井氏】:最後に新井氏が中東研究者の視点から批評を行った.まず全体的な評価として:1)インドネシア固有の社会状況とグローバルな動きの両者を考慮しつつインドネシアのイスラーム主義を記述しており,中東研究者が知りたがっている情報が十分にまとめられていること,2)世界各地のイスラーム社会を中東からの直接的な影響のみで理解できないことは,イスラーム研究者の間でも共通理解となっている(例:Marshall G. S. Hodgsonの基本的通史Venture of Islam)ことを述べた.続いて個別的な論点について指摘があった:1)アラビア語のカタカナ表記に揺れ(イスラムとイスラームなど)がある.2)モスクの数が30年間で倍増したと書かれているが(p.136-137),その間に人口も増加しているはずだから,その分を見込むと1.2倍くらいとするのが妥当であろう.3)インドネシアの固有性がイスラーム復興に影響したと書かれているが,復興は世界的な流れであり,記述にバランスを取る必要がある.5)一般庶民にとってのイスラームのイメージを知りたい.イスラームを肯定的に見る視点とは別に,現実のシャリーアには女性の相続権が男性の半分であるなど問題点を含んでいる.したがって,インドネシア人はイスラームを十分に理解したうえでイスラームを受け入れているのか,それとも正義のシンボルとしてイスラームを受けているのか見極める必要がある.

以上で評者からの批評が終わった.休憩のあと見市氏による応答があり,討論がおこなわれた.

【見市氏】佐々木氏の批評に応えて:PKSはクルアーンを引用して民主主義を正当化しているが,理想の民主主義の形態について詳しくは述べていない.実現への道のりは遠いにしろ,究極的目標はあくまでシャリーアの適用とイスラーム国家の樹立にあり,民主主義は本質的な目的ではない.

【佐々木氏】質問:スハルト政権崩壊後,民主主義をめぐる言論とイスラームをめぐる言論が同時に活性化してきた.両者はどう関係しているのか,そこにPKSはどうかかわっているのか?

【見市氏】応答:民主主義とイスラームは矛盾しないというのが大勢の意見である。PKSは,ムハンマドによるメディナ社会を例にとって,西洋を起源とする議会制民主主義は正当化されるが,イスラームの方がより民主的であると主張している.

【見市氏】佐々木氏の批評に応えて:マカッサルで住民にシャリーア施行の可否を問うたところ97%が可と答えた.しかし,住民がシャリーアがよいと言うときには身体刑などの否定的なイメージは念頭にない.イスラームの規範の中身は個人によって異なりうる.PKSの場合,例えばジャワのキアイの汚いイメージに対して,清潔さ,規律正しさが支持されている.PKSにとってはそうした清潔さや規律正しさがイスラーム的規範の重要な部分を占めている.

【見市氏】佐々木氏の批評に応えて:イスラーム主義が台頭しても開発と安定というスハルト体制下の公的イデオロギーに取って代わるものではない.政治的な自由が保障されている現状では急進的なイスラーム主義者は社会の多数派とはなりえない.

【佐々木氏】質問:イスラーム左派の活動はどのくらい目的に近づいているのか?イスラーム主義者の発言力の高まりをうまく抑えられていないという見方もあるが,どうか。

【見市氏】応答:左派の大半にとって共産革命という夢は無くなった.イスラーム左派が目指すのはNGOなどとの市民社会の形成である.イスラーム主義にはイスラーム世界の夢はまだ残っている.イスラーム主義者の発言は確かに目立つが,イスラーム左派の社会活動も各地で活発に行われている。

【佐々木氏】質問:マシュミとPKSを比較した場合,マシュミは地域の伝統から切り離されていないが,PKSはジャワの伝統から切り離されており,そこにアラブみたいだという批判がある.その反対の動きはあるのか?

【見市氏】応答:PKSはあからさまに伝統を否定することは避けている.

【見市氏】西氏の批評に応えて:「1940年代」というのはダルル・イスラムのつもりで,「1950年代」の誤りであった.ダルル・イスラムは反中央の要素が強く,現在のイスラーム主義とは同一視できない.ただ,多くのイスラーム主義系組織は思想的に一貫しているわけではない.例えば,ラスカル・ジハードはナショナリズムの論理を用いてアンボンやアチェの分離運動を否定する.

【見市氏】山本氏の批評に応えて:1)まず,欧米人の殺戮はイスラーム主義の最終目的ではありえず、手段の一つである.2)次に,スマトラの事例だが,PKSが支持された理由はクリーンさへの期待である.しかし,PKSはあくまでイデオロギー政党であり幹部はイスラーム主義のイデオロギー教育が必須である.3)巻末の年表が1945年以降に限定されているのは編集の時間の都合であり,意図的なものではない.4)PKSの党員や支持者がポップなイスラームを売ろうとすれば市場の論理にある程度従わざるを得ない.例えば彼らは真っ白なヴェールが理想だと思っていてもよりカラフルでオシャレなものを売らざるを得ない.5)本書ではインドネシアに絞って,マレーシアとの関係については必要最小限に限定した. 6)本書で最も述べたかったことの一つは,イスラームは本質的に過激でも穏健とも言えないということだ.社会・政治的な問題が生じたときにイスラームの論理が出てくる.中東と違ってインドネシアのイスラームは穏健であるという従来のステレオタイプが間違っているのである.中東のイスラームは過激である,およびインドネシアのイスラームは暴力と関係がないという両面の想定そのものが誤り.7)本書のタイトルは,イスラームを通してインドネシアを見ることと,インドネシアからイスラームを見ることの両方を意図している.8)表紙の写真は,たまたま時間内に入手できた写真の中で使えるものを選んだ.

【見市氏】新井氏の批評に応えて:1)図表では出せなかったが,人口増加率と比較した場合,80年代はモスクの増加率の方が大きい.モスクを訪れる礼拝者の数も増えており,おそらく宗教省が把握していない職場やショッピングセンターのなどのモスクや礼拝所も確実に増えている.学校の卒業記念の集合写真を時系列で比べてみればおもしろいだろう.2)たしかにインドネシアに対する影響は中東アラブからだけではない.したがってエジプト発祥のムスリム同胞団と共にイランのシャリアーティーやパキスタンのマウドゥーディーを意識的に併記した.しかし,エジプト,最近ではメッカの中心性は否定できない.PKSのモデルとなったのはムスリム同胞団である.ただし,そこにインドネシア固有の地域性があることは,インドネシアとマレーシアにおける浸透の仕方やタイミングの違いから明らかである.3)カタカナ表記は一貫性を持たせるのは極めて困難だ.中東など広くイスラーム世界の研究者との共通の土台になるよう宗教用語はアラビア語に近い表記を心がけた.人名はアラブ系インドネシア人に限ってアラビア語式にした.

【新井氏】コメント:ダッワ・カンプスの例を見ると個人のカリスマによって動くダイナミズムを感じるが,本書ではカリスマの問題が触れられていない.

【見市氏】応答:一般的にカリスマ的指導者は減少しており,PKSはそうした現象の典型として捉えている.

以上で評者と著者の間での討論が終わり,フロアを含めた総合討論にはいった.

【西尾寛治氏】:インドネシアにおけるイスラーム主義を1945年以降に限定するというが,前近代でも状況に応じて何度もイスラーム主義的運動がおこなったのではないか?たとえば17世紀には弱かった王権を強化するためにイスカンダル・ムダがイスラーム法の徹底的強化を図った.18世紀にはイスラームが広まり正義(adil)の概念を通して王の統治を問う動きがあったし,19世紀には植民地体制への対抗としてイスラームが強まった.

【見市氏】:たしかに前近代においても改革運動の波は繰り返し起こってきたが,イスラーム主義は近代以降の特徴を持つ運動に限定している.近代化が生んだ矛盾や国民国家の存在を前提としている.

【川島緑氏】:この点に関連して,大塚和夫はイスラーム主義を近代に限定している.近代以前のダルル・イスラーム運動などは地域の論理で動いているとみなすべきだ.

【見市氏】:イスラーム主義については大塚和夫の定義をそのまま使っている.ダルル・イスラーム運動にはイスラーム主義の要素もあるのだが地域的論理を強調した.

【西尾氏】:イスラームに限らず宗教の中には暴力性があるのではないか.

【見市氏】:暴力は使われることはあってもあくまでも手段である.手段はなんでもありえる.PKSは手段としての民主主義を正当化している.

【青山亨氏】:解放党は全世界単一のウンマを目指し国民国家の枠組みを認めないとのことだが,実際には国民国家の枠組みで活動していることとの矛盾をどう説明しているのか?

【見市氏】:解放党は国民国家の存在を認めない.インドネシアでの活動は彼らにとってインドネシア支部を作るような感覚であろう.

【山本氏】:「ウンマの一体性こそが民族の一体性のための最も重要な里程標」(p.88)というPKSの主張は,国民国家との共存を前提にしている.

【川島氏】近代化への対応の中から出てきたイスラーム改革運動は,ムハマディヤの場合のように,運動の中にローカルな要素を残している.ローカルなイスラーム主義という視点はフィリピンの例を考える場合にも重要.

【菅原由美氏】:PKSは投票活動で,「左派」はNGO活動を通じて農村に入っている.農村の人々はどちらがいいと思っているのか?

【見市氏】:PKSは大衆活動の中では過激派であるとの警戒心を抱かせないためにイデオロギー教育はしない.礼拝は勧めるが,国家論は語らない

【青山氏】:イスラーム「左派」とは自称なのか?また,どういう人々なのか?

【見市氏】:イスラーム「左派」は私,すなわち外部の研究者による呼称として使っている.彼ら自身がそういうタイトルの本を出版しており左派の自覚もあるのだが,「ポスト・トラディショナリスト」と自称するものもいる.共産主義革命の夢が消えたあとのポスト・マルクス主義の流れを理解している人々である.インドネシア語では「Kiri(左) Islam」ないし「Islam Kiri」である.逆に,「Islam Kanan(右)」と言えばイスラーム主義のことを意味する.

【野中葉氏】:イスラーム復興運動とイスラーム主義は分けられるのか?

【見市氏】:両者は関連するが同じではない.イスラーム復興運動があっても,政治的なイスラーム主義に向かうとは限らない.

【坪井氏】:「ポップなイスラーム」において,非ムスリムとムスリムの共存が説かれているとあった.それでは,華人への見方が変わったということか?

【見市氏】:Aa Gymは華人にも人気がある.華人キリスト教徒の中にもPKSを好意的に見る人々がいる.

【佐々木氏】:Aa Gymがいいという華人キリスト教徒はあまり一般的とはいえないのではないか.インドネシアの異教徒にとってイスラーム復興は基本的に不安を抱かせる現象であり,その点は大きな問題として扱っていく必要がある.

【國谷氏】:前近代ではウラマーが改革の主体だった.ところが,現在ではウラマーでない人たちがウラマーはいらないと批判している.もし伝統的ウラマーを否定したら,クルアーンやハディースの解釈はどう解釈するのか?

【見市氏】:PKSもウラマー評議会をもっている.解釈するための知識をもっている人はどうしても必要である.ただ,PKSのウラマーはNUのウラマーと傾向が異なっており,スハルト体制期から学生運動に近い立場にいたような人たちである.

2. 活動打ち合わせ・情報交換

1)新井氏よりジャウィで書かれた雑誌リストの作成についての中間報告があり,資料が配布された.マレー語の定期刊行物のリストとして有名なWilliam R. Roff. Bibliography of Malay and Arabic Periodicals: Published in the Straits Settlements and Peninsular malay States, 1876-1941. London: Oxford University Press. 1972.には表記法の区分が掲示されていないが,Roff(1972)などに依拠したP. Pui Huen Lim. Singapore, Malaysian and Brunei Newspapers: An International Union List. Singapore: Institute of Southeast Asian Studies (ISEAS). 1992.を見ると,新聞に限定されているが,ジャウィ表記の新聞を確認することができる.この他に京都大学東南アジア研究所所蔵のArkib Negara. Katalog suratkhabar dan majalah bahasa Malaysia. Arkib Negara. 1985.も有用と思われる.この他,インドネシアに関しては,未入手であるがインドネシア国立図書館が発行したWartini Santoso. Katalog majalah terbitan Indonesia: kumulasi 1779-1980 (A-Z). Jakarta: Perpustakaan Nasional. 1984.およびWartini Santoso. Katalog surat kabar: Koleksi perpustakaan nasional 1810-1984. Rev. ed. Jakarta: Perpustaakan Nasional. 1984.が有用である.京都大学所蔵本およびインドネシア国立図書館発行本については見市氏と菅原氏がそれぞれ入手に協力することが決まった.このほか,まだ情報が集まっていない分野としてタイのパタニ,ベトナム・カンボジアのチャム人社会などがある.今後,リストを作っていくにあたっては,印刷方法(活版,謄写版),発行所,所在地,判型などの情報も含めていくことが確認された.

2)講読用テキストとして,新井がAl Hudaの完全なPDF版をあらたに用意することが確認された.

3)川島氏から「サイドナ文書」のコピーが紹介された.アラビア語とマレー語で書かれた18世紀のミンダナオの文献である.川島氏が一部をコピーし,次回研究会で配布することが確認された.

4)『歴史と地理』No.576:50(2004)に掲載された川島氏の「ジャウィ表記を有する東南アジアの主な言語の分布(概略)」地図をジャウィ文書研究会のウェブサイトに転載してもよいことが川島氏により認められた.

3. 今後の活動

次回は,アジア・アフリカ言語文化研究所との共同プロジェクトが始まった時点で研究会を開催することが決まった.開催月は4月とし詳細は後日決めることになった.

(文責:青山 亨)