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第16回研究会報告

日時:2003年1月26日 (土) 1:00-18:30
場所:上智大学四ッ谷キャンパス9号館354号室
出席者:15名

1. ジャウィ文書講読「ヒカム」(警句集)

テキスト提供者:東長 靖 (京都大学), レジュメ作成担当者:西 芳実 (東京大学大学院).

13世紀中ごろ,アレキサンドリアで生まれたイブン・アター・アッラーが著わしたスーフィズムの思想書,「ヒカム」 (警句集).マレー語 (ジャウィ) 訳 (Kota Bharu, Kelantan: Pustaka Aman Press, 1983),本文1-2ページのローマ字翻字,和訳を行った.テキストの内容はクルアーンの章句を引用しつつ,日常の道徳を述べたものである.ごくさわりの部分しか読むことができなかったが,講読会でイスラーム思想書を取り上げるのは初めてであり,このような思想書がどのような形式やことばで書かれているかを知る貴重な機会となった.<川島 緑>

2. 南タイ,ソンクラーのサムロン橋のタイ語,漢語,ジャウィ・マレー語碑文 (1847) について

報告:黒田景子 (鹿児島大学), コメント:崎山 理 (滋賀県立大学)

マレー半島中部のタイ世界とマレー世界のはざまに位置する港市ソンクラーのサムロン橋には,3つの言語とそれに対応する文字で書かれた碑文がある.本報告では,この碑文資料の紹介と,3つの碑文の比較が行われた.この石碑は橋の建設を記念して作られたものである.ソンクラーは華人色が強い町で,当時の国主も華人であり,碑文には橋の建設に献金した多数の華人の名が記されている.タイ語碑文には,橋の開通祝いが,仏教の僧侶を招いてにぎやかに行われ,華人,タイ人,ケークも祝いに駆けつけた様子がいきいきと描かれている.ジャウィ・マレー語碑文については,架橋に寄付した人名リストの中に,タイ人,華人と並んで,インド人,アラブ人らしい名前も出てくる.ジャウィ・マレー語で書かれているが,その内容にはイスラームにかかわる要素はみられない.碑文が磨耗して読み取れない部分もあり,ジャウィ碑文の完全な訳はできていないということであったが,近代国家によって明確な国境線が設定される以前,マレー半島中部に存在した多民族共存状況を伝える貴重な資料である.

コメンテーターの崎山理氏は,東南アジア島嶼部の言語の専門家としての立場から,本報告へのコメントに限らず,ジャウィ資料や研究状況等についての知見を提供した.これらの中には,中国語で書かれたジャウィ表記タウスグ語の語彙集,マダガスカルのソラベ (マダガスカルの言語のアラビア文字表記) に関する文献情報など,これまで研究会参加者が把握していなかったものが含まれている.ジャウィ綴りの時代,地域による差を検討する場合には,綴りのみでなく,音韻変化についても注意を払う必要があるという指摘もあった.<川島 緑>

3. 東南アジア各地のジャウィ表記の比較検討

表作成担当者:奥島美夏 (神田外語大学)

東南アジア史学会岡山大会のシンポジウムで配布したジャウィ表記対照表について,今後,どのような方針で地域・時代間の比較を行ったらよいかを議論した.カン・キョンスク氏のマレー語ジャウィ綴りの発展に関する著作を講読し,その知識を共有した上で,それぞれが専門とする地域・時代のマレー語ジャウィ資料の表記を比較することになった.<川島 緑>