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第13回研究会報告

日時:2002年9月29日(土)10:30-19:00
場所:上智大学四ッ谷キャンパス10号館3階322号室
出席者:10名

1. ジャウィ・テキスト"Al Munir"講読

レジュメ担当者:西 芳実(東京大学大学院),服部美奈(岐阜聖徳学園大学)

前回に引き続き,4ページ17行から5ページ4行までの翻字案の検討,和訳を行った.創刊号の最初の主要な記事を読み終えたので,Al Munirの講読はここでいったん終了することとし,今後しばらくの間は,1950-60年代のジャウィ誌やイスラーム思想書,パタニのウラマーの著作,ジャウィ綴りの研究書など,異なる種類の文献の一部を,1回ずつ読んでみることになった.

2.「ジャウィ文書研究の可能性」基調報告の構想 川島 緑(上智大学)

本報告は東南アジア史学会岡山大会の会員自由企画として行われるジャウィ文書研究をテーマとしたパネルの基調報告の構想案である.報告の主要な目的は,これまでのジャウィ文書研究の問題点を指摘しつつ,ありうる研究の方向性を示し,この研究の重要性と可能性を指摘することである.

まず,最初に「『見えない仕切り』としてのジャウィ」と題し,報告者個人の経験をふまえて,研究者にジャウィで書かれた資料を軽視したりその利用を躊躇したりする姿勢があることを指摘しつつ,ジャウィ文書研究の必要性を強調した.

報告の前半は,ジャウィ文書についての研究を始める上で必要不可欠な知識を提供する目的から,ジャウィの定義,ジャウィが作成された時期,ジャウィ文書の種類の多様性,ジャウィの表記方法,に分けて報告がなされた.まず,ジャウィの一般的な用法は「マレー語のアラビア文字表記」であるが,ジャウィ文書研究会では広義のジャウィを採用する.すなわち「東南アジアにおけるオーストロネシア語系現地語のアラビア文字表記の総称」を意味し,マレー語のみならずジャワ語やタウスグ語など諸言語のアラビア文字表記がこれに含まれる.報告者はペルシャ語圏やトルコ語圏などを視野に入れたアラビア文字ネットワークの中に「ジャウィ・ネットワーク」が存在し,他の諸語圏との相互関係があることを指摘した.

次に,ジャウィが作成されたのは,東南アジアのイスラーム伝来以降であり,14世紀初頭のトレンガヌ碑文に遡ること,その種類は碑文や王統譜から,外交や商取引の文書,イスラーム学の本(キターブ),護符やロゴにいたるまで,非常に多様であることが指摘された.さらにジャウィの表記方法には母音記号をつけるもの(ジャワ語,ブギス語,タウスグ語など)とつけない(マレー語,インドネシア語)に分かれることが指摘された.なお,本研究会ではすでに共通理解となっていることだが,東南アジア史学会では,アラビア語にない子音の表現方法やアラビア文字に工夫を加えた文字が使用されていることを説明する予定である.

報告の後半は,ジャウィ文書研究の5つのありかた,を説明して研究の方向性を指し示した.列記すると,
(1)「宝探し」型ジャウィ文書研究
(2)ジャウィ文書を他の資料と併用して,個別の地域社会の研究を深める
(3)個別社会においてジャウィ文書が占める位置についての研究
(4)ジャウィ文書という筆記コミュニケーション手段を共有する人々のつながりに注目する研究
(5)(2)-(4)のための基盤を整備する活動

(1)はやみくもに文書を収集し「解読」するような研究であり,報告者はこうした研究の姿勢を批判した.重要であり,発展させられるべきなのは(2),(3),(4)であり,ジャウィ文書を相対化し,ジャウィ文書の研究意義を明確にする必要がある.そしてこれらの研究を実り多いものにするために,研究工具や資料所在の情報収集と公開や研究者のネットワーク形成が必要である.

以上の報告に対して活発な議論がかわされた.まず質問とコメントが集中したのが「ジャウィ・ネットワーク」についてであった.報告者はアラビア語を囲むペルシャ語圏,ウルドゥ語圏,トルコ語圏,マレー語および他のオーストロネシア諸語圏などを円で図示し,アラビア語との関係を実線で,その他の語圏同士の関係を点線で結んだ.これに対して,トルコ語とウルドゥ語はペルシャ語の影響を強く受けており,同心円的に描かれるべきであること,報告者がスワヒリ語・ハウサ語・ベルベル語などアフリカ諸語を等閑視していることが指摘された.母音記号の有無についても,インドネシア語であっても宗教書では母音記号がついている例があり,その意義に疑問を投げかける意見がだされた.報告後半のジャウィ文書研究のあり方については,(1)について報告者が問題視しているのは主に倫理的な側面であることが指摘された.

本報告は東南アジア史学会における発表の「たたき台」であったが,それ以上に研究会参加者がジャウィ文書研究の位置づけを再確認し,今後それぞれがジャウィ文書講読や論文執筆をする上で基礎となるような知識と議論を共有する絶好の機会となった.<見市 建>

3. ジャウィ文書から見た1955年の総選挙(仮)・中間報告窶煤wカラム』誌のインドネシア情勢分析を中心に窶煤@山本博之(東京大学)

マラヤとインドネシアの1950年代は植民地統治から議会制民主主義へと移行する時期であり,最初の総選挙もともに1955年に行われるなど共通点が見られる.しかし,ムスリム住民の政治参加のありかたという点では,インドネシアで全国規模の反乱や最大のムスリム政党の非合法化などが起こった一方で,マラヤでは議会制民主主義の枠組みが受け入れられたという違いが見られる.山本氏はこの点に着目した.本報告は,こうした違いがなぜ生まれたかという問題について,マラヤのムスリム住民がインドネシアのように反乱に向かわなかった理由を探ることによって考察することを試みる山本氏の研究の一部として報告されたものである.山本氏は,マラヤのムスリムがインドネシアにおける選挙とその後の一連の動きを参照していたことが彼ら自身の政治参加のあり方に重大な影響を与えていたとの仮説を立て,これを踏まえて,マラヤのムスリムがインドネシアの状況をどのように認識していたのかという観点から,シンガポールで発行されていたジャウィ誌『カラム』に掲載されたインドネシア総選挙関連の記事(1953年4月-1958年5月)の分析を行った.本報告はその結果についての中間報告である.

山本氏はまず『カラム』誌の記事を総選挙前,総選挙直後,戒厳令布告後の3つの時期に分け,インドネシアのムスリムの置かれた状況やとるべき道についての『カラム』誌の認識が時期によって変化していることを確認した.ついで,関連する記事のなかで山本氏が注目している議論として,①「民主主義」のあり方,②イスラム国家を実現する方法,③政治指導者の責任の対象,④「胞民」概念についての議論を紹介した.

質疑応答では「胞民」概念をめぐって質問が集中した.

「胞民」は『カラム』誌の編集人であり主要な執筆者であるEdrusが使用する用語umatを山本氏が説明したものである.山本氏はEdrusの記事の中で使用されるumatについて分析し,umatが,これまで一般に使われてきたような特定の宗教と結びついた人々のまとまりを指すものとしてではなく,政治的にせよ文化的にせよ宗教的にせよ,何らかの有機的なつながりをもった人々のまとまりを想定して使われており,限りなく国民に近い概念であること,その一方で,国家との結びつきを必ずしも前提としていない概念として使われていることを見出し,これを「胞民」という新しい概念として呼ぶことを提唱した.質疑応答を通じて,Edrusのumat概念が,bangsa Indonesiaに代表されるbangsa概念や,境界を持たずにつながることを強調するような「同胞」概念とは異なる特質を持っていることなどが説明された.

また,山本氏はジャウィ誌『カラム』の特質として①マラヤやインドネシアのムスリムが寄稿し,政治共同体の枠を超えて互いの地域についての意見を交換する場になっていた,②ジャウィで書かれたマレー語が使用されることによって,事実上,読者がムスリムに限定されることになった,という点を挙げ,ジャウィ・メディアが持つ,境界を乗り越える側面と境界をつくる側面を指摘した.こうした側面は,それがどのような意味を持っているのかも含めて,ジャウィ・メディアが持つジャウィ・メディアゆえの特質として,12月に開催される東南アジア史学会研究大会会員自由企画「ジャウィ文書研究の可能性」でさらなる議論が期待されるテーマである.<西 芳実>