日時:2002年7月13日(土)10:30-20:00
場所:上智大学四ッ谷キャンパス9号館4階458号室
出席者:16名(午前の部:10名)
本年5月から開始した初心者向け勉強会「ジャウィ入門」の最終回として,ジャウィ綴りの読み書きの基本を学んだ.報告者は,マレー語文法の父といわれるZainal Abidin bin Ahmad (Za'ba) のマレー語綴りの指南書や,本研究会で昨年度勉強会に用いたBelajar Tulisan Jawiなど,マレーシアで発行された主要なマレー語ジャウィ綴りの教科書や研究書にあたり,20世紀のかなりの期間,広く用いられていた綴りの法則性を抽出し,その要点をコンパクトにまとめた説明書を作成した.勉強会では,これを教科書として用い,練習をまじえながら学習した.この教授法の特徴は,ジャウィ綴りの書き方,読み方の法則性を抽出し,論理的かつ効率的にジャウィの読み書きの基礎を習得することを目指している点にある.具体的には,子音・母音の組み合わせによって場合分けし,それぞれの読み方について考えられる可能性を論理的に導き出し,接辞や文法などの知識を用いて蓋然性の高い読み方に絞り込む,という方法をとっている.
実際にジャウィ文書の講読を行うときには,ひとつのジャウィ綴りに思いのほか,いろいろな読み方が考えられるので,それらについて辞書で意味を確認しながら,文脈にもっとも適したことばを探し出さなければならない.非常にやさしい文章で,内容も単純な場合には,もっとも適当な読み方に比較的容易にたどりつくことができるが,内容的に難解な文書を読むときには,読み方がわからないとそのことばの意味がわからず,わからないことばが多いと,文脈もわからなくなり,次に出てくることばについても,もっとも適切な読み方と意味が何であるか判断しにくくなり,収拾のつかない事態に陥ってしまうことがある.そのような場合,綴りの法則性にもとづいて,可能性のある読み方に絞り込み,さらにもっとも可能性の高い読み方のことばから優先的に辞書で確認することにより,かなり労力を節約することができる.
このようなジャウィ綴り学習方法は,ジャウィ資料の利用における大きな障害を取り除くことによって,関連分野の研究の発展に大きく貢献するといえる.<川島 緑>
本報告では,マレーシアのイスラム政党,「汎マレー・イスラム党(Party Islam Se Malaysia:以降PAS)」の副党首であり,現トレンガヌ州主席大臣であるハーディ・アワン(Hadi Awang)の政治思想,特に彼が行った「タクフィール(takfir,無信仰者(kafir)であると判断すること,マレーシア語ではmengafir)」という行為の,イスラム法学から見た位置づけを中心に発表がなされた.
まず,資料としてハーディー・アワンが書いた「ムスリム信条序説 Muqaddimah ‘Aqidah al-Muslimin」という本が紹介された.この本は,普段はローマ字で執筆しているハーディー・アワンがジャウィで書いたというところに特徴があると指摘された.中田氏によると,「ムスリム信条序説」が出版されたトレンガヌでは,今でもローマ字表記よりもジャウィの方が簡単に読めるという人がたくさんいるとのことである.
次に,PASの歴史,イデオロギー,組織について簡単な説明がなされた.PASは1951年に設立されたイスラム政党である.その目的は,イスラム国家建設,イスラム法(シャリーア)とムスリム信条(アキーダ)のための戦い,アラビア語の普及などである.国政のレベルでは野党であるが,1959年にはクランタン州とトレンガヌ州で第一党となり,一時は両州で政権を失うも,1990年代には再び政権を取り,現在に至っている.イスラム政党としての特徴はウラマーの影響力が強いことであり,1983年にウラマーによる指導が確立した.ハーディー・アワンは1947年にトレンガヌに生まれ,1964年にPASに加わった.その後,マディーナのイスラム大学(シャリーア学部),カイロのアズハル大学(シャリーア政治学修士)で学び,1977年にはABIM(マレーシア・イスラム青年会議)のトレンガヌ支部長,1983年にはPASの副党首就任と順調に出世し,1999年にトレンガヌ州主席大臣となった.
本発表で取りあげられたハーディ・アワンの声明(Amanat)は,ハーディー・アワン自身がしゃべったことを,別の人物がまとめて出版したものである.ハーディー・アワン自身は,その出版について知らされておらず,突然印刷された物が出てきて驚いたとのことである.その本は20年前に執筆されたものであるにも関わらず,2001年に突然新聞の一面で紹介され,問題となった.その内容は,一読するとマレーシア与党のUMNOと国民戦線(Barisan Nasional)を無信仰者として非難し,彼らに対する戦いをジハードと位置づけているように理解できる.またその戦いの中で死んだものは殉教者(シャヒード)となるとも述べられている.UMNOの側はこれを根拠に,PASがUMNOや国民戦線を無信仰者だと決め付け,それに対するジハードを呼びかけているとして批判した.さらに,2001年9月11日のテロ以降,PASはタリバンと同じであるとする言説も見られるようになった.
しかし,中田氏は,上記の声明を正確に理解するためには2つの点を考慮する必要があると指摘している.まずは声明がなされた時の状況である.マレーシア北部では,UMNOとPASの関係が悪く,お互いのモスクで礼拝することはないし,お互いの墓地に埋葬されることもないという.件の発言がなされるにいたった直接のきっかけは,過激だと言われていた説教師(PASのメンバー)が治安部隊に包囲され,投降を拒否したために戦闘が起き,最後に殺された事件であった.ハーディー・アワンは彼を殉教者だと言ったため,UMNOの怒りを買い,それが20年たった時点でまた蒸し返されたというのが騒動の発端であった.
さらに重要なのは,ハーディー・アワンの声明の,イスラム法学から見た位置づけである.中田氏によると,イスラム法学においては「これこれしかじかの行為を行ったものは無信仰者である」という言説と,特定の個人を指して「・・・は無信仰者である」と決定することの間には本質的な差がある.通常,ムフティーは,ある事象に関する法的見解を述べるものの,裁判官の任務を負わされない限り,具体例の判断は避けている.つまり,上記の声明も,よく読むとUMNOや国民戦線を無信仰者と特定しているわけではないことがわかる.
実際,この声明が発表された後でもPASから戦闘としてのジハードが行われたこともなく,執筆から20年も経った時点で突然新聞で発表されたこと,問題となった発言だけが前後の文脈から切り離されて独り歩きしてしまったことなどから,ハーディー・アワン自身が迷惑しているということが指摘された.
しかし,ウラマーのレベルでは上記の違いが明確に理解されているとはいうものの,イスラム法学に通じているわけでもない一般のPAS党員がその違いをどの程度認識しているのかわからないという問題も同時に指摘された.その意味では,新聞で取り上げられて問題にされる妥当性があるとも言える.
次に,ハーディー・アワンのタクフィールに関する歴史的背景について,いくつかのコメントが与えられた.まず新しい時代では,エジプトのジハード,ジャマーア・イスラーミーヤ,イフワーン・ムスリミーン,更にインド亜大陸のジャマーアト・イスラーミーなどと思想的に通ずるものがある.更に遡るとアラビア半島のワッハーブ派,そして,13-4世紀の法学者・神学者であり,現在のイスラム急進派の思想的背景となっているイブン・タイミーヤまでたどり着く.
またマレーシアの文脈で考えると,ムハンマド・ハヤー・シンディー,ムハンマド・サンマーニー,ダーウード・ファタニーと続くウラマーの思想の影響を受けている可能性があることが指摘された.パタニ,トレンガヌ,クランタンというのは昔からタクフィールなどの思想が強く,反植民地運動もここから出たものが多いとのことであった.ここで発表者が強調したのは,アラブ世界から影響を受けてタクフィールその他の思想が東南アジアに出てきたということではなく,ウラマーの広いネットワークの中で共時的に現れたということである.
最後に,PASの現在のありかたは,イスラム系野党が,自らが無信仰者と認識している政権と平和的に共存できる例として,イスラム地域研究にとって重要であるとの指摘がなされた.
質疑応答
川島氏からはKafirとMenafik(偽善者,偽ムスリム),JihadとPulang Sabilの違いについて質問があった.
東長氏からは,ハーディー・アワンの思想背景となったつながりが,PAS全体の傾向を表しているのかどうかという質問がされた.それについては,PASの中にはデオバンド派,伝統的なシャーフィイー派の流れを汲むウラマーも多いとの指摘がなされた.
西尾氏からは,PASの中でジャウィ文書(Kitab Kuning)がどの程度使われているのかについて質問があった.それに関しては,ジャウィの本はウラマーの勉強会などでは使用されているが,中田氏がPAS有力メンバーにインタビューなどを行う際にはまったく言及されることはなく,ジャウィ文書はあまり大きな位置を占めていないとのことであった.
新井からは,ハドラマウト出身者とウラマー・ネットワークについてコメントがなされた.それによると,ハドラマウト出身のウラマーでもそのほとんどがヒジャーズで教育を受けており,やはりメッカ・メディナを通したウラマー・ネットワークが重要であったとのことである.<新井和広>
レジュメ担当者:菅原由美(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員),西 芳実(東京大学大学院)
前回に引き続き,第1号3ページ25行から4ページ16行まで,翻字案の検討,和訳を行った.