研究会・出張報告(2009年度)

   研究会

日時:2009年9月26日(土)13:30~18:00
場所:上智大学2-630a号室

発表:
マイケル・ウィンターMichael Winter(テル・アヴィヴ大学)
 “Sufism in Ottoman Egypt: Religious and Social Aspects”
ヴァレリー・ホフマンValerie Hoffman(イリノイ大学)
 “What Role Can Sufism Play in Contemporary Egypt?”→報告②

報告①:
○Michael Winter, “Sufism in Ottoman Egypt: Religious and Social Aspects”
 ウィンター氏はまず議論の前提として、オスマン朝期エジプトにおいてスーフィズムは決して異端的な思想や実践とみなされていたわけではなく、むしろイスラームの正統的信仰(orthodoxy)として認知されていた事実を確認した。ただし、このことはスーフィズムがオスマン朝期を通じて不変であったということを意味するものではなく、むしろそれは絶えず変化しながら展開していた点にも注意を促した。そして、氏の発表は、その変化の様相を数多くの事例を提示しながら詳細に明らかにするものであった。
 まず、16世紀のスーフィズムの特徴として氏が取り上げたのが、オスマン朝期エジプトを代表するスーフィーの一人であるシャアラーニーであった。シャアラーニーの著作は当時のエジプトにおけるスーフィズムの多様な側面を反映した内容となっており、彼は基本的には正統的な立場にあったが、他方で民衆的スーフィズムにも密接に関わっていたことが知られている。また、多くの「正統的」ウラマーが異端として攻撃したイブン・アラビーの思想についても、シャアラーニーはこれをシャリーアに沿った正統的な思想として擁護していたことも特徴的である。なおイブン・アラビーに関するこうした評価はシャアラーニーに限らず多くの「正統的」スーフィーたちにも共有されており、また後にオスマン政権はイブン・アラビーの思想をその「公式見解」に採用した。
 17世紀に入るとスーフィズムは支配者との強い結びつきのもと、エリート社会の中に確立することになる。これを象徴するのがバクリー家であり、この一族は高い社会的地位と経済力を享受し、その後20世紀半ばまでエジプト社会において強い宗教的影響力を及ぼすようになった。
 18世紀以降スーフィズムはアズハルのウラマーたちの間に根付き、正統的信仰としての地位を揺るぎないものとした。これを象徴するのがハルワティーヤであり、このタリーカには当時の著名なウラマーの多くが入信していたことが知られている。一方でリファーイーヤやイーサウィーヤといった民衆的タリーカも活発な活動を行っていたが、ウィンター氏は、こうしたタリーカはあくまでも土着の農村的信仰の担い手であって、例えばカランダリーやベクタシーのような反シャリーア・反正統的信仰といった対抗的な特徴を見出すことはできないとした。
 質疑応答では事実関係に関する質問のほか、イブン・アラビーの思想がどのように評価されてきたのかという問題について議論がなされた。一般に彼の思想は異端として正統派ムスリムから攻撃されることが多いが、ウィンター氏によれば、オスマン朝期においてはイブン・アラビーはむしろシャリーア遵守のスーフィーとして評価されており、異端とされる思想については後世に付け加えられたものと考えられていた事実を指摘した。
 (高橋圭)