研究会・出張報告(2008年度)

   研究会

第1回
日時:1月20日(火)17:15~18:45
場所:上智大学2号館510号室
講師:Mohamed Kacimi El Hasani(アルジェ大学教授)
テーマ:「アルジェリアのスーフィー教団:イスラームの文化的遺産」→報告①

第2回
日時:1月26日(月)17:15~18:45
場所:上智大学2号館510号室
講師:Mohamed Kacimi El Hasani(アルジェ大学教授)
テーマ:「ラフマーニー教団:その歴史と発展」

報告②
 カシミ氏の報告の目的は、近現代アルジェリアにおけるラフマーニー教団の役割を、同教団の起源と展開をもとに整理し、述べることにあった。氏は、報告を通して、アルジェリアのスーフィー教団が最早機能していないという従来の評価を再検討することを目論んだ。
 ラフマーニー教団は、18世紀後半、ムハンマド・イブン・アブドゥッラフマーン・アル=アズハリーを開祖として起こった、スーフィー教団である。アブドゥッラフマーンはその後アイ・スメイルの村にザーウィヤを建設、そこからラフマーニー教団はハルワティー教団の名で広がった。
 ザーウィヤは、当時のアルジェリアでアラビア語教育、クルアーン教育を普及させることに多大な貢献を果たした。また、都市部、農村部へと広がったザーウィヤは、教育活動だけでなく、ラフマーニー教団の教義や組織の形成のための、重要な場所となった。ラフマーニー教団は、シャリーア教育を重んじるウラマー的姿勢と、宗教体験を重んじるスーフィー的姿勢の融合を主たる目的に掲げ、アルジェリア全土に広がった(1897年の時点では、実にアルジェリアのザーウィヤの半分以上が、ラフマーニー教団のものであった)。
 そうした同教団の規模、組織力が示された一つの例が、1871年の仏植民地政府に対する蜂起であった。ラフマーニー教団は、1847年のアブドゥルカーディル・ジャザーイリーの降伏の後の対植民地政府運動を請け負う存在として、1850年代から行動を開始した。幾つかのザーウィヤが植民地政府によって壊滅させられ、決して少なくない犠牲者を出しながらも、シャイフ・ブーズィアンヌやムーサー・ダルカーウィーといった人物の指導の下、教団の抵抗運動参加は止まなかった。最終的に1871年、一連の蜂起は植民地政府による抵抗勢力により鎮圧させられた。
 植民地政府が一連の蜂起によって学んだことは、ザーウィヤやそのシャイフの持つ大衆動員力であった。植民地政府はザーウィヤの閉鎖に着手した(その後ザーウィヤが経た歴史は、第一回の講演会で述べられた通りである)。
 さて、独立後のアルジェリアでは独裁政権が続いたが、1988年10月の大暴動を経て、ザーウィヤはアルジェリア社会で新たな役割を請け負うことになった。それは霊的教育、クルアーン教育、シャリーア教育であり、アルジェリアにおけるイスラームのアイデンティティー普及に努めるものである。1989年の議会により内務大臣に選出されたアメル(Hamel)のザーウィヤのシャイフ・ハリールは、1990年にザーウィヤ再興のための協会を設立し、伝統的なイスラーム教育や宗教実践を行なう、文化遺産としてのザーウィヤ制度確立に尽力した。それによってアルジェリアのザーウィヤは、アルジェリアでの社会復帰に向けた「リハビリ期間」に入ることができたのである。
(高尾賢一郎・同志社大学大学院神学研究科博士後期課程)