研究会・出張報告(2008年度)
研究会- グループ1/「スーフィー・聖者研究会」共催講演会(2009年1月20日・26日上智大学)
第1回
日時:1月20日(火)17:15~18:45
場所:上智大学2号館510号室
講師:Mohamed Kacimi El Hasani(アルジェ大学教授)
テーマ:「アルジェリアのスーフィー教団:イスラームの文化的遺産」
第2回
日時:1月26日(月)17:15~18:45
場所:上智大学2号館510号室
講師:Mohamed Kacimi El Hasani(アルジェ大学教授)
テーマ:「ラフマーニー教団:その歴史と発展」→報告②
報告①
カシミ氏の報告の目的は、近現代アルジェリア社会におけるスーフィズムの役割を述べることにあった。特に、その中心的な存在がザーウィヤ(Zawiya:修道場)であったことを通して、ザーウィヤがフランスによる植民地支配下でどのような立場にあったかに報告者は着目した。
1830年から1962年までのフランスによるアルジェリア植民地支配期、ザーウィヤの特徴はどのようなものだったか。占領初期、フランスが自国の教育制度をアルジェリアに導入したことで、アラビア語による、イスラームを取り扱う伝統的な教育は、アルジェリアで事実上の禁止となった。しかしザーウィヤは、その伝統的な教育を維持した。またフランスによる本格的な植民地政策の過程で、アルジェリアのワクフ制度は廃止され、所有者不在の財産の多くは没収された。しかしザーウィヤは、ワクフ財をシャイフの私有財とし、経済基盤を維持した。
このように、フランス植民地下で、アルジェリアに従来見られた文化が消え去る中、ザーウィヤは従来と変わらない社会的機能と経済的基盤を維持することができた。植民地期のザーウィヤが備えた、教育を中心とした多機能性は、デュポン(Pierre Dupont)やコッポラーニ(Xavier Coppolani)といった研究者によってこれまでに明らかにされており、国家の中の国家と言い表されたほどである(Louis Marie Rinn)。
しかしそれによってザーウィヤには、「取り込み」の対象としてフランス植民地政府から白羽の矢が立った。これには、アルジェリアで起こった対植民地政府運動の多くに、ザーウィヤが関与していたという背景がある(例:1871年のムハンマド・ムクラーニーによる大蜂起とラフマーニー教団との関係)。ザーウィヤの大衆動員力を無視できないものと判断した植民地政府は、アルジェリア民衆の支配を目的にザーウィヤへ経済援助を行い、またザーウィヤのシャイフを地方官吏に登用した。
そしてそのことによってザーウィヤは、植民地政府の協力者とみなされるようになった。そのザーウィヤを批判した急先鋒が、1931年に設立された、イブン・バーディース率いるアルジェリア・ウラマー協会(Association des Ulemas Musulmans Algeriens)である。同協会は「サラフィー主義」の立場から、ザーウィヤのシャイフたちをイスラームから逸脱した存在だと非難し、その対立は植民地期の間、続くことになった。
その結果、アルジェリアの独立後、ウラマー協会はナショナリズム形成、独立への貢献を果たしたというポジティブな評価を受け、一方でザーウィヤは脱イスラーム的で、植民地政府に擦り寄った存在として、ネガティブな評価を受けるに至った。そして独立後のアルジェリアでは、ザーウィヤの活動は公的に制限されている。報告者は最後に、従来見られたそのような評価を再検討する必要性を指摘した。
以上、報告者は近現代アルジェリアにおけるザーウィヤの機能とその推移について概観した。カシミ氏には、このテーマについて、ラフマーニー教団に話を絞って1月26日に再度報告をしてもらう。それに向けての補助線が、第一回の報告で述べられた概論には多く含まれていると思われる。
(高尾賢一郎・同志社大学大学院神学研究科博士後期課程)