研究会・出張報告(2008年度)

   研究会

日時:2008年7月30日(水) 13:00~17:00
場所:上智大学四谷キャンパス第2号館6階2-630a(アジア文化共用会議室)

発表:
 横田貴之(日本国際問題研究所)
  「エジプト・ムスリム同胞団とスーフィズム」→報告①
 飯塚正人(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
  「「イスラーム主義」「サラフィー主義」の意味するもの―自称なのか分析概念か」

報告②:
 2008年7月30日、NIHUイスラーム地域研究SIASグループ3の第一回研究会が行われ、サラフィー主義と、ムスリム同胞団に関する二本の研究発表が行われた。本報告書は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の飯塚正人氏による「「イスラーム主義」「サラフィー主義」の意味するもの-自称なのか分析概念なのか」という表題の発表に関するものである。
 一般的に「サラフィー主義」は思想としてはビドア(逸脱)を排して、ムハンマドやその教友たちが生きた時代の状況(サラフ)に回帰するものとして理解されている。また歴史的には、「イスラーム世界」が西洋近代と接触したことで生じた自己改革運動であり、18世紀のワッハーブ運動、20世紀初頭のアフガーニー、ムハンマド・アブドゥ、ラシード・リダーらによる理論構築、及び彼らや彼らに追従するものたちによる一連の運動を指すものとして理解されている。
 発表は「サラフィー主義」について論じている欧文、邦文の代表的な研究を取り上げて、個々の研究において「サラフィー主義」なる用語がどのような定義で用いられているのかを検討することで、「サラフィー主義」が自称としても分析概念としても何ら一致した見解がないことを明らかにすることを意図したものであった。
 発表者は始めに『アジア経済』誌上での見市健、大形里美両氏による「サラフィー主義」を巡る論争を紹介し、1)「サラフィー主義」は20世紀初頭の改革運動と、2)1970年代以降サウジアラビアのワッハーブ主義者たちの影響下によって拡大された運動との二つの潮流を含むものであるという言説があることを説明した。この言説は例えば大塚和夫他編『岩波イスラーム辞典』「サラフィー主義」の項目にて前者の用語法しか記載されていないものとは明らかに異なる。
 次いで発表者は英語辞書、英文、邦文研究書のなかでの「Salafi(yya)」「Salafism」「サラフィー主義」「イスラーム主義」等の語の説明文を取り上げ、「サラフィー主義」という語を巡って、ワッハーブ派を含めて用いているもの、ラシード・リダーのみを理論構築者としてアフガーニー、アブドゥを含まないもの、19世紀の改革者をSalafist、20世紀の改革思想をSalafiyyaとしてSalafismとSalafiyyaという語を別のものとして扱い、更にターリバーンを含む近年の運動についてNeofandamentalismの語を用いることを提唱するものもあることを説明した。また発表者は途中でアブドゥが自著の中で「サラフィーヤ」を自称せず、他称にのみ用いていたことに言及したが、この点は「サラフィー主義」についてよくしない報告者には少なからぬ驚きであった。
 質疑応答では活発な議論が展開されたが、「サラフ」はイスラームにおいて極めてオーソドックスな概念であり、「サラフィー・スーフィー」を自称したアフマド・クフターローのように、誰であれ「サラフィー主義者」を自称しうる。超時代的、空間的に「サラフィー主義」を定義することは困難であり、時代、空間で区分した上で思想、運動、組織をそれぞれ評価することが肝要である。最大公約数的に「サラフィー主義」という語の示す範囲を定義してゆくと、「サラフィー主義」という語を用いる意義を失う、等の指摘がなされた。
 少なくとも、我々研究者が定義した「サラフィー主義」という分析概念について、現在「サラフィー主義者」を自称する人々に対して、その正当性を主張することは極めて困難である。今後も見解の一致が図られた「サラフィー主義」という語が用いられることは難しいであろう。
 (小倉智史・京都大学大学院西南アジア史専修)