研究会・出張報告(2007年度)

   研究会

日時:2007年11月23日 14:00-18:30
場所:名古屋大学大学院教育発達科学研究科1階大会議室
テーマ:「東南アジア島嶼部におけるイスラーム学写本伝統とキターブ」
     Workshop "The Islamic Manuscript Tradition and "Kitab" in Southeast Asia"
参加者:8名

報告:
1. 菅原由美(天理大学)"Javanese Islamization in the Late 19th and the 20th Centuries Seen from the Published Islamic Textbooks" →報告①
2. エルファン・ヌルタワブ(Ervan Nurtawab)(Syarif Hidayatullah State Islamic University)"New Light on the Study of 'Abdurra'uf's Turjuman al-Mustafid"

報告②
○エルファン・ヌルタワブ(Ervan Nurtawab)(Syarif Hidayatullah State Islamic University)"New Light on the Study of 'Abdurra'uf's Turjuman al-Mustafid"

 翻訳と解釈という概念を用いて、初めてマレー語で書かれたタフシール(コーラン解説)であるとされているアブドゥルラウフ・シンケル(Abdurrauf ibn Ali al-Jawi al-Fansuri al-Singkili /Syiah Kuala)のTurujuman Mustafid研究を再考する。この作品について、これまで分析を試みているのは次の2人の研究者、Peter RiddelとAnthony Johnsである。Johnsは「翻訳」ではなく、解釈であると結論付けているが、Riddelはこの作品を「翻訳」とする。Riddelによれば、アラビア語のコーランを翻訳することに対する否定的な議論を避けるために、ジャラライン(Jalalayn)を参考に、逐語訳をおこなったものであるとする。
 発表者は、まず、翻訳か解釈という議論に対し、翻訳こそが二つの文化の解釈行為の最上位に位置するものと考える。しかし、完全な翻訳は不可能に近い。ローカルな言葉を用いて、外国語の正確な意味を理解しようとする行為を解釈の試みと我々は呼ぶ。その意味で、Turujumanも、またその他のコーランの解釈・解説も、解釈行為であると考えられる。また、 翻訳はこうした解釈行為より成り立つものである。
 東南アジア島嶼部で17世紀より数多く見られるコーランの写本には、多くの逐語訳が、時にはローカルの文字を用いて、時にはアラビア文字の現地語で挿入されている。インドネシアではJalalayn以外にタフシールはほとんど存在していないと一般に説明されているが、上述の立場でインドネシアの写本伝統を見直した時、東南アジア島嶼部においても、コーラン写本伝統のなかに、すでに20世紀以前に、多くのコーラン解釈が存在したことが確認できる。
 (菅原由美・天理大学)