研究会報告
- 「アジア・アフリカにおける諸宗教の関係の歴史と現状」研究会2014年度第2回研究会 (2014年12月13日(土)上智大学)
報告者::黒田 祐我(信州大学人文学部 准教授)
コメンテータ:渡邊 祥子(アジア経済研究所 研究員)
報告題名「信仰を替えることの意味―中世スペインの事例―」
概要:
黒田氏は、『七部法典』の改宗に関する規則や『オリウェラ編年史』『諸身分の書』、各都市の議事録およびグラナダ大宰相の書簡などから、14-15世紀スペイン南部アンダルシア辺境地域において改宗することへの対応やムスリムマイノリティへの扱いについて報告を行った。
12世紀前後には十字軍が形成され、16世紀以降、近世になると異端審問所が作られるなど、異教徒への扱いが厳しさを増していくが、中世後期のスペインはそれほど異教徒に厳しくなく、イスラーム王朝であるナスル朝も南部には健在であった。
カスティーリャの国法である『七部法典』には「モーロ人条項」があり、キリスト教徒への改宗を強制しない一方、キリスト教徒からイスラームへ改宗した者の財産を没収し、またその後再度キリスト教に戻った場合や異教徒同士で男女の交渉をもった場合についての罰則も定められていた。必ずしも実効性を伴っていたとは限らないが、死罪とされるユダヤ教への改宗に比べればそれほど厳しいものではなかった面もあった。
一方、ムスリムの臣民はムデハルと呼ばれ、アンダルシアには数多くのムデハル共同体が形成され、ムデハル建築と呼ばれる様式の建築物も残された。また、改宗は双方向で行われ、一定の手続きのもと容認され、自発的なものも含まれ、改宗者にはナスル朝への移住も認められた。ただし、内地と異なり辺境部では、生存のためには改宗を迫られることもあり、アラゴン王国のバレンシア南部などではムスリムが敵視されることもあった。
コメンテータは、まずイスラーム世界から見た改宗や、イスラーム化の過程での改宗について触れた。また、近現代には公私の区別が分かれ国民国家の役割が大きくなったのに対し、中世スペインは寛容とみなせるのかどうか、近世はなぜ強制改宗がされたのかという論点が出された。それに対し、黒田氏は、異なる時代の問題について、どちらが寛容かと比較することは難しいとした。
参加者とも、活発な質疑がおこなわれた。まず、なぜ改宗が問題になり記録に残されたのかという質問については、境界地域において人さらいとの疑惑を避ける必要があるとされ、市民権についてはどのようであったのかという問いについては、異教徒は市民とは別枠であり、独自に裁判権などを有していたとされた。また、引用された部分の根拠に関する質問では、托鉢修道会の影響もうかがえるとし、辺境におけるムスリム扱いについてはバレンシアの場合と異なる傾向があることが示された。
文責:荒井康一(上智大学アジア文化研究所・客員所員)