研究会報告

報告者:飛内 悠子 (日本学術振興会特別研究員PD、大阪大学)
コメンテータ:吉田 早悠里(名古屋大学高等研究院・特任助教)
報告題名「暫定期間と南スーダン独立後のハルツームにおける移住者地区:『宗教』の役割を巡って」



飛内氏の報告概要:
 南スーダン共和国を含む南北「スーダン」研究では、北のムスリムと南のキリスト教徒という二項対立的な枠組で社会をとらえることがしばしば批判されてきた。確かに歴史的にスルターン国のもとで非ムスリムに対するムスリム優位社会が続き、イギリスの植民地期においては北部スーダンに住む「アラブ・ムスリム」の優遇政策によって、北とそれ以外の地域の格差が拡大していった。独立後、南部人議員はムスリムとキリスト教徒の平等な権利を主張し、連邦制を提唱した。そして1958年から第一次内戦が、1983年からスーダン人民解放軍/運動(SPLA/M)による第二次内戦が始まった。
 しかしながら北部政権においてイスラームは政治の方向性を決める基盤とはならかなかった。たとえば1969年からはじまるヌマイリー政権は経済政策の失敗と同時に強権化しイスラームの一部を利用してきたが、全面的に優遇してきたわけではない。1989年に起こったオマル・バシール率いる革命評議会(RCC)による軍事クーデター後も、政党間でもイスラーム対イスラームやそれにキリスト教を加えた政治的対立が起こってきた。すなわち南北の対立は、単に人種や宗教の差異に端を発しているとは言えず、それらと政治・経済的関係の絡まり合いに大きな原因があった。
 ムスリムが主流マジョリティを占めるハルツームの移住者地区では、みっつのカテゴリーに分けられる人びと、アラブ・ムスリム、南部人・ムスリム、南部人・キリスト教徒がお互いの差異を強調しながらも認め合い共生している。これらの人びとの関係は、必ずしも政治レベルのものとは重ならない。キリスト教教会がムスリムとキリスト教徒の関係構築のための場として機能し、「調停者」としての役割を果たしている。そして移住者地区での生活をとおして住人同士は宗教の違いを認め合っているのである。




吉田氏のコメント概要:
 吉田氏はエチオピアのカファ地方において、国教であり多数派民族が信仰するエチオピア正教に加えて1920年代に流入したプロテスタント諸派のキリスト教会の動向とその影響を受ける民族間関係に関する研究をおこなってきた。プロテスタント諸派キリスト教会はそれまでの社会関係や民族関係を越えた、新たな社会関係を形成する役割を果たしている。
 そこで「スーダン」におけるキリスト教への改宗の過程、政府が北と南の経済格差を宗教の問題に転化した要因、教会内部の民族構成、運営者や意思決定者の詳細に関する事実確認がなされた。そして国家と人びとが語る言説としてのキリスト教徒/ムスリムについて、それが実体化し相互に影響を与え合う可能性を指摘し、民族論の地平から宗教の差異を検討することの意義を提示した。つまりそれは、人びとが語るキリスト教、ムスリムという語りは、民族論における民族の語りと同様ではないかという問いであった。

会場からの質疑:
 スーダンの政治史に関する詳細な指摘があり、議論が進んだ。

文責:川口博子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・一貫制博士課程)