私の研究テーマの1つは国際政治経済学と呼ばれる分野に属するもので、その中でも国際経済の問題を政治的な観点から分析するものです。経済の問題を考えるというと、「経済的合理性の観点からはどのような対外経済政策が望ましいか」といった問いがまず思いつくのではないでしょうか。これは、経済問題を経済的な観点から分析していると言えます。これに対して、政治的な観点から分析するとは、「経済的な観点からは望ましい(あるいは望ましくない)対外経済政策をなぜ政府は選択するのか」というような問いの立て方になります。どのような対外経済政策がとられるかを、政治のメカニズムから考えるのです。
取り組んでいる研究内容の具体的な一例として、「経済のグローバル化はどのような選択を迫っているのか」という問いを紹介しましょう。この問いに対してトリレンマというアプローチで迫ることで、政策選択の前提を問い直すということを考えています。この研究の意味を理解して頂くために、まずその背景から説明しましょう。経済政策を考えるというとき、我々はとかく以下のように問いを立てがちです。どのような国が自由主義的な対外経済政策を選択するのだろうか。どのような国が良好な経済状況を実現できているのだろうか。世界各国の自由化政策の影響で経済がグローバル化する中、どのような国が経済政策を自律的に選択できているのだろうか。このように、実現できた方が望ましい(あるいは望ましくない)政策目標について個別に考えがちです。もちろん各々の問いはとても重要ですし、興味深いものです。しかし、ここで挙げたような政策目標群はそもそも同時に実現可能なのでしょうか。もし可能でないとすれば、問いの立て方を再考する必要がありそうです。つまり、政策群を個別にではなくセットで考えることが重要ということです。
経済のグローバル化についてもこのような発想で考える必要があることは、先行研究によってトリレンマという概念を用いて考察されてきました。トリレンマというのは、3つの目標のうち2つしか同時に実現できないような状況のことを指します。先行研究が指摘してきたトリレンマとして著名なものを2つ挙げましょう。1つは経済政策に関するものであり、国境を越えた資本移動の自由、為替レートの安定、そして金融政策の自律性という3つの目標は各々望ましいものの、そのうち2つしか同時に実現できないことが著名な経済学者たちによって明らかにされています。もう1つは、政治体制に関連するもので、経済のグローバル化、国家主権、そして民主主義体制という3つの目標は各々望ましいものの、やはりそのうち2つしか同時に実現できないことが著名な経済学者によって論じられています。
私の研究でもこのトリレンマに着目して、経済や政治だけでなく、社会的な側面においてもトリレンマが存在することを示唆しました。それは、財政負担の小さな社会、格差の小さな社会、そして生き方・文化の多様な社会という3つの目標から成り、やはりこれらのうち2つしか実現できないというものです。そして、上に記した経済、政治、そして社会的な側面に関する3つのトリレンマを用いて、過去の国際経済体制を概観してみました。これまで国際経済体制が自由主義であるとされる時期は3つあり、第一次世界大戦前の時期、第二次世界大戦後の冷戦期、そして1980年代以降現在に至る時期です。3つのトリレンマという観点から比較してみると、自由主義という同じラベルで語られがちな3つの時期でありながら、実は各々異なる選択を迫られている(異なる目標を断念している)ことが分かりました。
以上をまとめると、目標群を個別にではなくセットで考えることが重要であり、トリレンマという観点からみると過去の国際経済体制の違いが見えてくるということが分かりました。ここから、どのようなインプリケーションが得られそうでしょうか。その1つは、特定の目標を単独で取り上げて議論することには慎重になる必要があるという問題提起です。「小さな政府か小さな格差か」という二者択一型の論争を耳にしたことがないでしょうか。この問いの立て方に基づけば、仮に財政負担の小さな社会と格差の小さな社会を両立させた国があったとすると、それは素晴らしいことに思えます。しかし上述の社会的な側面に関するトリレンマからすれば、必ずしもそうとは言えないかもしれません。それは生き方や地域文化における多様性を犠牲にした結果である可能性に留意する必要があるからです。このような研究を通じて、政策選択の前提を問い直していきたいと思っています。
氏名:藤田泰昌(2008年 国際関係論専攻博士後期課程修了)
所属:長崎大学
紹介した研究:「グローバル経済化―3つのトリレンマからのアプローチ―」吉川元他編『グローバル・ガヴァナンス論』法律文化社2014年)