日系アメリカ人のアジア太平洋従軍経験

2019.04.03

個人の戦争経験から、大きな歴史を問い直す

 私はハワイ日系アメリカ人の戦争経験、特に従軍経験について研究してきました。1941年12月に日本軍が真珠湾を攻撃したとき、ハワイの人口の3分の1以上が日系人(日本人移民とその子孫たち)で占められていました。日系人にとって、かれらの住むハワイがかれらのルーツである日本によって傷つけられたことは、何を意味したのでしょうか。ハワイの日系人は真珠湾攻撃や第二次世界大戦をどのように感じ、どのように対応したのだろうかという疑問から私の研究はスタートしました。

 ハワイの日系人のなかで、第二次世界大戦中にヨーロッパ戦線で多くの犠牲を出しながら戦った第100歩兵大隊、アメリカ本土出身者とともに構成された第442連隊戦闘部隊の二世兵士は有名です。ヨーロッパ戦線で戦った二世は戦後アメリカ軍や政府、そして社会からアメリカへの貢献を広く称賛されました。一方で私が注目したのは、日本語通訳・翻訳のためにアジア太平洋に従軍した日系二世についてです。大戦中は捕虜尋問や投降呼びかけ、戦後は戦争裁判などで直接日本人と対峙することになったかれらの経験は、私の上述の疑問をさらに深く考えさせ、また悩ませるものでした。

 このテーマに取り組むにあたり、実際にアジア太平洋に従軍した二世の方々にハワイでインタビューをおこないました。そこで明らかになったのは、従軍した個人の語りとアメリカの「ナショナル・ヒストリー」との関係性です。両者は接近することも多々ありますが、必ずしも合致するわけではありません。すなわち、アメリカの「ナショナル・ヒストリー」においては、第二次世界大戦はファシズムに勝利した「よい戦争」であったがゆえに、その勝利に貢献した二世兵士は「英雄」として称賛の対象となるわけですが、従軍した個人のなかに「英雄」というイメージに違和感を抱いているという語りに出会ったのです。たとえば山崎豊子の小説『二つの祖国』では、アジア太平洋に従軍した二世がアメリカへの忠誠と日本への愛着の間で揺れ動く姿が描かれています。アジア太平洋戦線や日本占領において、二世が日本人を助けたというしばしば聞かれる美しい話と同様に、「日本人を助けられなかった」という語りや、確証もなく共産主義や反米思想の疑いがある日本人を調査しなければならなかったという語りにも耳を傾ける価値があります。アメリカの「英雄」としての二世兵士のイメージは、二世が日本人と敵対し、戦後は戦勝国として日本を裁く立場になったことの苦悩を覆い隠すようにして構築されてきたと言えるでしょう。

 アジア太平洋の従軍において、日系人が日本人と対峙したということはとても重要です。しかし、かれらが従軍において関わったのは日本人だけではありませんでした。朝鮮半島は35年もの間日本帝国に支配されていたという背景から日本語が話せる人がおり、朝鮮戦争においてアメリカ軍は北朝鮮軍捕虜に対し、日系二世を使って日本語で尋問させたのです。この状況を理解するには、もはやアメリカへの忠誠と日本への愛着の間で揺れ動く日系二世という「二つの祖国」観ではなく、日本帝国の植民地支配や冷戦におけるアメリカの軍事介入というより広い文脈を視野に入れる必要があります。朝鮮戦争に従軍した二世の語りや体験記には、協力関係にあった韓国軍の兵士と友好を育んだ例もありますが、北朝鮮軍の兵士から日系二世が「日本人」として憎悪のまなざしを向けられたことも述べられています。このことは、アメリカ兵のなかにかつての支配者と同じ顔を見た北朝鮮軍兵士の植民地支配のトラウマや、アメリカのマイノリティとして統合のプロセスにある日系人が依然として日本帝国の影から自由ではなかったことを教えてくれます。

 二世兵士を扱ったこれまでの研究は、戦争において二世兵士が果たした役割や、日系アメリカ人の従軍を国民包摂の観点から明らかにすることなどに大きく貢献してきました。私の研究では、従軍した日系二世個人の語りに寄り添いながら、「ナショナル・ヒストリー」や戦争記憶という大きな物語を問い直すことに寄与していきたいと考えています。

氏名:松平 けあき(2018年度国際関係論専攻満期退学)
所属:グローバル・スタディーズ研究科特別研究員
紹介した研究:日系アメリカ人のアジア太平洋従軍経験)