日時:2001年11月24日(土)11:00-18:00頃
場所:上智大学四ツ谷キャンパス 7号館11階第2会議室
出席者:15名
山本氏は1950年からシンガポールで(マレーシア独立後はクアラルンプールで1960年代末まで)発行された月刊誌『Qalam』の内容,およびこの雑誌から明らかになったシンガポールにおけるムスリム同胞団の活動を紹介した.さらにこの『Qalam』研究の持つ意義と広がりを明らかにした.
『Qalam』はバンジャルマシン出身で,カイロのアズハル大学に学んだアフマド・ルトフィによって発行された.アフマド・ルトフィは1920年代後半にエジプト留学生によって発行された『アズハルの号呼(Seruan Azhar)』や『東方の選択(Pilehan Timoer)』にも関わり,『Qalam』も留学生の寄稿があるなどカイロやメッカとの繋がりを常に持っていた.あえてジャウィ(アラビア語表記)で書かれたのが何よりの証拠であるように,汎イスラム性が強調された.
シンガポールからマラヤ在住のマレー人向けに発行された『Qalam』の内容にはさらにいくつかの特徴がある.まず第一に,ナショナリズムとの関連から,インドネシアについての記述が非常に多いことである.第二に,西洋近代に取り残される怖れを抱き,科学技術を重視すること,第三に共産主義思想の浸透を警戒していることである.インドネシアについてはスカルノ大統領に関する記述が多い.スカルノ個人の人気に加え,マラヤのナショナリズムを喚起するためであったと思われる.しかし,スカルノがイスラーム政党であるマシュミ党と対立し,共産党と接近するにつれてスカルノに対して批判的な立場をとるようになる.
前述のように中東との繋がりは『Qalam』の特徴であり,1956年6月には誌上でムスリム同胞団の結成を表明,読者に会員を募っている.56年6月号から11月号まで毎号100名程度の会員登録者が記載されている.会員名簿によれば,マレー半島はシンガポールから国境を越えてタイ南部まで,さらにボルネオ島の登録者もいる.『Qalam』による「祖国(Tanahair)」とはまずシンガポールを含むマラヤであり,マラヤから北と東に広がった.他方で,インドネシア政府に禁止されたためか,『Qalam』はインドネシアには配布されていない.
山本氏は最後に,『Qalam』に表れている汎イスラム主義が北ボルネオ(サバ)におけるマレーシア連邦構想の論理に影響を与えたという分析を示した.すなわち,サバにはスルタンがいないため,イスラムの権威を持つマラヤのスルタンの監督下に入ることで,サバの自治の正当性を得ることが可能になるというのである.
コメンテイターの飯塚氏は,他国の例を引きながらエジプトのムスリム同胞団との関係について質問した.またムスリム同胞団などによるイスラーム主義は近代性を否定せず,『Qalam』の科学技術志向は,これと矛盾しないことを指摘した.フロアーからはシンガポールのムスリム同胞団におけるアラブ人の関わりや,マレーシア連邦の論理形成におけるブルネイへの影響などについて質問がよせられ,活発な議論が交わされた.
(文責:見市 建)
講読テキストRahasia Belajar Jawi(ジャウィ学習の秘訣) p.3の途中からp.10の終わりまで講読を行った.(川島 緑)