日時:2001年10月20日(土)11:00-18:00頃
場所:上智大学四ツ谷キャンパス7号館12階第4会議室
出席者:14名
西尾氏は,ジャウィの綴りの変遷に関する先行研究を挙げた後,Kang Kyong Seockの "Perkembangan Tulisan Jawi dalam Masyarakat Melayu" およびAmat Juhari Moainの "Perancangan Bahasa: Sejarah Aksara Jawi" によってジャウィの歴史の時代区分を示した.すなわち,14世紀から16世紀(アラビア語式の表記法の影響が強い時期),17世紀から19世紀(表記の安定の時期),20世紀(標準化の時期)に区分し,後の時代になるほど母音を明示する傾向にあると指摘した.
続いて,14世紀から16世紀のジャウィ文献と表記の特徴が検討された.現存する最初のジャウィ表記である,1303年のトレンガヌ碑文(マレー半島東海岸のトレンガヌで発見)では,この段階で既に,アラビア文字にはないマレー語の音韻,ca,nga,pa,ga,nyaを表記するために,ジームやガイン,ヌーンの点を三つにしたりカーフに点を一つ加えたりした,ジャウィ独自の文字が使われているという.次に,紙に記されたものとしては最古の,テルナテのスルタン・アブー・ハヤットの書簡(1521,1522年)では,gaの表記にカーフ(k)の下に点を打つなど,現代行われている表記と異なっている.
本の形で残るものとして最古の「アカイド・アル・ナサフィ」(1590年)では,gaには点を記さないことが多く,記す場合も下に打つ,アラビア語のシャッダ記号を用いる,などの点で現代の表記法と異なる.
ジャウィ表記の統一化に貢献したのは,1511年のポルトガルのマラッカ占領により,マレー系住民が各地に避難し,ディアスポラが起こったこと,17世紀にアチェにおいて大量のイスラム文献がマレー語に訳出されたことが要因として挙げられる.また,マレー語のローマ字表記は,すでに16世紀に宣教師がマレー語で布教するために行われていたことが触れられた.(石澤 武)
これまで教材A,B,Cを併用してジャウィ綴りの学習を行ってきたが,マレーシアにおける現代マレーシア語ジャウィ表記の標準的法則にもとづく教材A,Bと,インドネシア(西スマトラ)で一般的な綴り方を示した教材Cの間には,同じジャウィ綴りといっても,かなり違いがあることが明らかになった.本研究会参加者のジャウィに対する関心は,ジャウィ資料を読んで研究に用いることにあるので,そこに焦点を絞り,読み方を中心にした学習方法を確立する必要がある.本報告は,このような研究上の必要性に応えるべく,教材A,B,および,教材Cによるジャウィ綴りの読み方の法則を分析し,比較検討したものである.3つの教材のエッセンスを凝縮した密度の高い報告であったが,報告時間が限られていたため,参加者がやや消化不良であったのが残念である.(川島 緑)
黒田景子氏(鹿児島大学)より,マレーシアで発行されたジャウィの出版物が紹介された.特に,カセットつきの幼児向けジャウィ絵本や,ジャウィとローマ字の二つでマレー語が表記され英単語も添えられている子供用のイラスト事典が注目された.また,政府系出版社のデワン・バハサ・ダン・プスタカからは,ジャウィについての学術書をはじめ,ジャウィの絵本,ジャウィ表記の小説,ジャウィの正書法が発行され,政府の政策としてジャウィの普及が図られている事がうかがえた.
討論では,ジャウィの本はクアラルンプールでは北部諸州ほど出回っていない,東マレーシアではジャウィの教育は普及していない,などの指摘があった.(石澤 武)
マレーシアの小学生用ジャウィ教科書 Rahsya Belajar Jawi(ジャウィ学習の秘訣)の第1回目の講読を行った.参加者が順番に,ローマ字への翻字と和訳をし,検討した.p.3のわずか数行の講読を終えただけであるが,これまでに学んだ法則を用いながら,実際にジャウィ文書を読む作業は,大変楽しいものであった.文章や内容は単純であるが,講読の過程で,インドネシア語とマレーシア語の語彙の微妙な差を知ることができるなど,副産物もあり,大変有益であった.(川島 緑)
水上浩氏(東京外国語大学大学院)より,東京外国語大学府中キャンパス図書館所蔵のジャウィ文書7点が請求番号付で紹介された.内訳は,マレーシアの出版物が5点で,子供向けの読み物または教科書である.他の2点はインドネシアで出版されたSejarah Melayuであった.(石澤 武)