研究会・出張報告(2015年度)

   研究会報告

日時:2016年3月8日(火)13:30~15:30
会場:上智大学四谷キャンパス2号館6階615a教室

 本報告は、ボスニア出身の思想家Abdullah Bosnawiに焦点を当てながら、オスマン朝におけるイブン・アラビー学派の伝統とその中での特にボスニア出身の知識人たちの位置づけや役割を考察するものであった。
まず報告の前半部分で、オスマン朝治下のボスニアの言語状況と学問教育、写本の保存状況、ボスニアにおけるオリエント研究の歴史と現状、オスマン帝国におけるイブン・アラビー思想の受容など歴史的背景の全般的な説明がなされた。ボスニアではボスニア語(Alhamijadoと呼ばれるアラビア文字表記のボスニア語)に加えて、アラビア語、トルコ語、ペルシア語が文語としての役割を果たしており、知識人たちは特に後者の三言語で書かれた古典を学び、また自らもこれらの言語を用いて著述活動をおこなった。こうした知識人たちの残した中東諸言語の文献はその後ボスニアの文化遺産と位置付けられ、これがボスニアのオリエント研究を特徴づけることになる。他方で、内戦の際には、まさに文化遺産として位置づけられていたがゆえに、オスマン朝期の写本の多くが狙われて破壊されるという悲劇にも見舞われることになる。現在ではこの経験を教訓として、写本のデジタル化が進められ、またあえて国外に分散して保管するという措置が取られているという。
 後半部分ではAbdullah Bosnawiの経歴が検討された。従来必ずしもその詳細が明らかでなかったBosnawiの経歴について、報告者のAhmed Zildzic氏はBosnwaiの著作を始めとして書簡やその他の資料を細かく検討し、そこから本人の足跡の解明につながる情報を一つずつ洗い出す作業に現在取り組んでおり、本報告ではその具体的な作業の様子と現時点までに明らかになったいくつかの事実や仮説が紹介された。そのうえで、Zildzic氏はBosnawiの特に人的なつながりを手がかりとして、オスマン帝国におけるイブン・アラビー学派の思想家間の関係性の中に「ボスニア出身の知識人」がどのように位置づけられるのか、このようなカテゴリー自体の可否も問いつつ考察をおこなった。
 質疑応答では、Zilczic氏が提示したBosnawiの経歴に関する専門的な立場からの質問に加えて、アラビア文字表記のボスニア語であるAlhamijadoについてや、知識人がアラビア語・トルコ語・ペルシア語をどのように使い分けていたのかといったより一般的な質問、あるいはボスニアのオリエント研究の現状についてなど様々な質問やコメントがなされた。高度に専門的なテーマを扱いつつも、歴史的背景から研究を取り巻く政治状況に至るまで丁寧な解説がなされ、分野を異にする参加者たちもそれぞれの立場から関心を持てるように工夫された報告であった。

     文責:高橋圭(上智大学アジア文化研究所客員所員)