研究会・出張報告(2015年度)
研究会報告- 「イスラーム運動と社会運動・民衆運動」研究会 2015年度第2回研究会(2015年7月19日(日)上智大学)
【日時】日時:2015年7月19日(日) 13:00-17:30
【場所】上智大学四谷キャンパス2号館5階510会議室
報告書(個別)
白谷望(上智大学大学院)
「モロッコにおける国王とイスラミスト政権の「win-win関係」の模索」
白谷氏は、モロッコにおける国王と首相の関係に注目し、イスラーム主義政党の政権獲得後の政治状況を明らかにすることで、王制下における国王―首相―議会の関係を示唆する報告を行った。
モロッコでは、2011年、大規模な抗議デモの直後、憲法改正および国民議会選挙の前倒しを国王が発表した。改正後の憲法では、国王の権限が縮小して首相の権限が拡大したが、改正後も国王は国家元首であり、その不可侵性が規定されている。先行研究では、国王にとっての首相は、国王を批判・攻撃から守る役割、あるいは国王の優位・権威を保持する役割のいずれかを果たすための存在であるとされており、白谷氏はこの議論を中心に考察をしていく。
モロッコでは、国王の正統性に異議を唱える可能性のあるイスラミストは長らく非合法となっていたが、1997年の公正開発党の合法化により、一部のイスラミストが初めて公的な政治領域に参加することとなった。政治運営に関わることとなった公正開発党はシャリーアを最高法源とすることを主張していたが、2003年のカサブランカ連続テロ事件以降、社会・経済問題に特化し、生存政略としてプラグマティズムを採用している。2011年の選挙においてもイスラーム色は封印し、他政党の政策との明確な違いは見られない。こうして変容した公正開発党は、体制の脅威になることがなく、ある程度の人気と政治運営を行うモチベーションを持つ政党として国王側に認識されることとなった。改革の実行による国王との関係のレッドラインの存在はあるものの、公正開発党と国王には、既存の政治体制を維持するという点で共通の利益がある。
以上のことから、イスラミスト政権への国民の支持があれば国王は政権へ協力し、政権もまた国王に配慮した政策を実行することから、現時点ではイスラミスト政権と国王とはwin-winにあるといえる。また、「アラブの春」以前には、政治的な問題に直面した際、国王が首相に責任を負わせて首をすげかえるということが行われていたが、これは国民の政治離れにつながってしまった。現在では、国民からの支持を得た上で国王にとっても都合のよい政治改革を行う首相が好ましいとして、国王にとって望ましい首相像が変化しているのではないだろうか、と白谷氏は指摘する。
質疑応答においては、ヨルダンとの比較の可能性、公正開発党の支持基盤、政党合法化のプロセスにおいて国王に挑戦する政党が排除されている点などに関して議論が交わされた。
金谷美紗(中東調査会)
「政変後エジプトにおけるイスラーム主義運動の分裂:周辺化と暴力化」
金谷氏は、アラブ政変によって地域で台頭したイスラーム主義勢力の変遷の1パターンとしてエジプトを事例とし、ムスリム同胞団が権威主義政権の最大反対勢力から政権党となり、野党と対立したのちクーデタで排除され、現在の周辺化・暴力化に至る過程を分析した。
権威主義体制下における最大反対勢力として機能していたムスリム同胞団などイスラーム主義勢力は、政治活動を継続するため、暴力主義を放棄して体制に受け入れられる形での政治活動に戦略を変更した。イスラーム主義政党は政治参加する上でイスラーム色を少しずつ政治目標から外していき、「穏健なイスラーム主義」として「トルコ・モデル」の可能性も指摘されていた。
同胞団は2011年の体制崩壊後の出発選挙で議席の過半数を獲得し、大統領職も掌握した。同胞団は軍暫定政権期において、軍政の早期終結という点でリベラル派と協力していたが、政権を獲得したのちには宗教を政治に反映させるかどうかという点でリベラル派と暴力を伴うまでに激しく対立した。加えて、同胞団が権力を独占していると批判するサラフィー主義者、そしてシナイ半島の情勢悪化によって同胞団への不信感を増した軍・警察との対立も激化した。その後の軍によるクーデタにより、それまで意思決定者の立場にあった同胞団は周辺化され、徹底的に弾圧されることとなった。こうした軍の徹底弾圧は、同胞団の一部を再び暴力主義へと向かわせ、このことがテロとの闘いを名目としたスィースィー政権による権威主義体制を復活させることにつながった。
同胞団はリベラル派やサラフィー主義との交渉と妥協に失敗し、エジプトの民主化移行過程において暴力が拡散した。また、ムバーラク体制崩壊後に治安が悪化したことでイスラーム過激派の活動が活発化し、結果的にクーデタののちテロとの闘いを名目とした権威主義体制が復活することとなった。政治に介入する軍の性質もまた、上記に加えてエジプトの民主化失敗の要因の1つである。
質疑応答では、政権獲得以前に同胞団がどれほど支持を集めていたかどうかに関する質問や、エジプト以外にも民主化失敗のプロセスが適用できるかといった質問、また政治的自由がない社会における世論調査を分析に反映させることの困難さに関する指摘がフロアからなされた。
髙岡豊氏(中東調査会)
「アラブの春の後に来た問題」:「過激な」武装勢力と「穏健な」武装勢力」
髙岡氏は、「アラブの春」を経験した国の多くでイスラーム過激派が勢力を伸ばした原因を明らかにするための報告を行った。「アラブの春」の勃発と拡散により、アル・カーイダなどイスラーム過激派が衰退するのではないかとの見通しが描かれたにも関わらず、実際には「イスラーム国」などイスラーム過激派組織の活動は活発化している。イスラーム過激派が勢力を伸張したことには、彼らによるヒト・モノ・カネなどの資源の調達が活発になったことに示される。特にヒトの調達に関しては、「イスラーム国」への大量の外国人戦闘員の流入が推定されており、イスラーム過激派を危険視したアメリカ軍などが軍事行動を開始したにも関わらず、資源調達の動きは衰えていない。
髙岡氏は、イスラーム過激派の活動の活発化を、社会運動の観点からも分析する。すなわち、民主化への幻滅と生活水準低下への不満といった動員構造、取締りの弛緩と欧米などによる「反体制派」支援、「燃えるがままにせよ」“戦略”といった政治的機会構造、そしてSNS利用の拡大と「正義の」反体制派という幻想というフレーミングにより、イスラーム過激派を社会運動としてとらえた場合、「アラブの春」によって彼らに有利な環境が醸成されたのである。
イスラーム過激派の伸長とその可視化は、シリア紛争が契機となった。シリアでは、「アラブの春」や紛争に関与する様々な当事者が、自らの政策や外交上の目標に応じて、本来一律に取り締まるべき戦闘員を団体ごとに異なった取り扱いをしている。こうした当事者たちは、シリア紛争における戦闘員を「『過激な』武装勢力」と「『穏健な』武装勢力」という恣意的な分類を用いた多重基準のもとに彼らを扱っている。しかし、シリア紛争に参加している戦闘員には所属の重複や移籍があり、過激なイスラーム主義を採用している背景にはイデオロギーではなく資金調達のしやすさがあることから、彼らを「過激派」「穏健派」として峻別することはできない。こうした多重基準による峻別はイスラーム過激派にとっての政治的機会構造が強化されることにつながっており、このことが過激派の勢力伸長の最大の要因である。
質疑応答では、社会運動論における動員構造に関する指摘や、「イスラーム国」に流入する戦闘員以外の人間を戦闘員と同じ構造でとらえることへの指摘、インターネット上の勧誘における不信感の問題、イスラーム過激派の定義に関する質問などがなされた。
文責:齋藤秋生子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程)
報告書(全体討論)
2011年のアラブ政変後の中東各国のイスラーム主義運動は、一定の枠組みの中で理解することが可能なのだろうか。今回の研究会では、アラブ政変後のモロッコ・エジプト・シリアにおけるイスラーム主義勢力の政治的役割の変容、および現況が報告された。
まず白谷望氏は、アラブ政変後のモロッコにおいて、連立与党のイスラーム主義勢力が国王と利益を相互に分有する関係(win-win関係)を構築し、政権が安定していることを報告した。さらに、今後もイスラーム主義勢力が国民から一定度の支持がある限り、国王は政権に協力することが予想されるという考察もなされた。一方金谷美紗氏は、現在安定しているモロッコと事情が異なるエジプトの事例を報告した。アラブ政変後、選挙によって政権与党となったイスラーム主義勢力(ムスリム同胞団)は、他勢力の懐柔に失敗し、2013年7月のクーデタによって政権の座を奪われた。現在、権威主義化するスィースィー政権下で、同胞団は周辺化および暴力化しているとの報告であった。最後に高岡豊氏により、内戦が激化しているシリアのイスラーム武装勢力についての報告がなされた。外部アクターが行なったイスラーム主義勢力の「穏健」「過激」の峻別の結果、イスラーム国(ISIL)等過激派にも人的・物的資源が流入し、過激派にとって有利な状況が整ったということが丁寧に説明された。
全体討論では、まずモロッコ・エジプト・シリアにおいて「アラブの春」と呼ばれる政変が、抗議のフレーミング等その手法において連動性を持っていたことが確認された。また、現在内戦状況であれ、安定政権であれ、「アラブの春」という現象は、これら政治変動の端緒であったということも報告者は賛同した。その上で高岡氏は、2011年のシリアにおいての抗議運動は「春」と呼ぶには貧弱なものであり、また他国においても抗議行動は2011年夏には早々に終焉を迎えている事を指摘した。そして、いつまでもこの「アラブの春」という文脈で現在の政治情勢を説明する安易さについて疑問が呈された。
次に、これらの事例報告に何か共通項はあるのかとの議論が交わされたが、今回は結論を得ることができなかった。報告者は、既存の政治体制の相違、外部アクターの関与の度合いなど多くの要因の存在が、異なる現在の状況に繋がっているのではないかと説明した。また全てに共通するという点では、イスラーム主義の政治的役割を議論する上で、イスラームという宗教そのものも、特に原理主義的な側面から再検討する必要があるのではという意見があった。
以上の討論から浮かび上がるものは、「アラブの春」という文脈から一旦離れ、アラブ政変以後のイスラーム主義運動の政治的役割を検討する重要性である。より多くの事例を議論の俎上に載せ、これらに一定のフレーミングが存在するのか否か、改めて議論することが望ましいのではないかと思えた。
文責:田中友紀(九州大学比較社会文化学府国際社会専攻・博士後期)