研究会・出張報告(2015年度)

   研究会報告

【日時】2015年7月19日(日)13:30~18:00
【場所】上智大学四谷キャンパス2号館6階615-a会議室

 2015年7月19日、上智大学四谷キャンパスでスーフィズム・聖者信仰研究会第1回研究会が行われた。報告者は山本直輝氏(京都大学大学院・一貫制博士課程)と二ツ山達朗氏(京都大学大学院・一貫制博士課程)の二人で、これらの報告に対し、前者には鎌田繁氏(東京大学・教授)、竹下政孝氏(東京大学・名誉教授)から、後者には大川真由子氏(神奈川大学・助教)から、それぞれコメントがなされた。
 第一報告者の山本氏は、「前近代オスマン朝における神学のイブン・アラビー的展開―アブドゥルガニー・ナーブルスィーの自由意志理解」と題する発表を行った。
 まず、山本氏は、先行研究によって15世紀以降に「停滞期」を迎えたとされるイスラーム神学のなかでも、オスマン朝期のものが未研究で、特に、アラブ地域には関心が及んでいないと指摘した。そのような背景のもと、18世紀頃のアラブ地域のウラマーであり、イブン・アラビー思想を背景に持ちながら様々な著作を残したイブラーヒーム・クーラーニー(1690年没)とアブドゥルガニー・ナーブルスィー(1731年没)の二人に焦点を当て、オスマン朝期のアラブ人神学者、思想家の神学思想の研究の必要性が述べられた。
 報告では、主にナーブルスィーの思想が、クーラーニーへの批判の書簡を基礎史料として詳細に論じられた。まず、両者の行為論について、クーラーニーにおいては、人間の力はそれ自体によってではなく、アッラーの許可によって影響(ta’thīr)を与えるとされた。それに対してナーブルスィーは、その説が不明瞭で、かつアッラーと人間の力を混同しているとして批判を行う。つまり、ナーブルスィーの行為論においては、影響を持つ主体はアッラーであり、人間の力は、永遠であるアッラーの力が個体化した偶有なものであるとし(個体化論)、影響者(mu’aththir)はアッラーのみに帰されるとした。一方で、人間は、存在論的には転義的(比喩的)存在であるが、規範的には(シャリーア上において)本義的行為者であるとして、主体性が規範(シャリーア)への応答を通して保証されるという。  このような自身の見解の中で、ナーブルスィーは、個体化論においてはイブン・アラビー思想の用語を、人間の主体性を説明する際には自身の言語論を使用することで、従来のイスラーム神学の行為論とは異なった主張を提出している山本氏は述べる。さらに、ナーブルスィーは、人間の行為を本義ととるか転義ととるかで見解の相違のある、アシュアリー神学派とマートゥリディー神学派の統合を試みていると結論付けられた。
 質疑応答では、様々な意見や質問が出されたが、主に関心が集まったのは、ナーブルスィーによる「主体」概念と、オスマン朝下における神学の「衰退」に関してであった。特に、後者に関しては、様々な分野の立場から、何をもって「停滞」とするのかなど、多くの意見が提出された。
 第二報告者の二ツ山氏は、「イスラームの信仰実践に物質はどのように関わるか-チュニジアにおけるオリーブと室内装飾具の事例からー」と題する発表を行った。
 はじめに二ツ山氏は、人類学において宗教的な物質がいかに扱われたかを解説した。そこでは、ギアツとアサドが、それぞれ象徴体系と物質性に焦点を当てた研究者として整理され、それを基盤として、物質と象徴体系の二元論を超えた、民衆のイスラームの信仰実践の理解はどのように可能か、という研究課題がたてられた。
 その研究課題に対して、二ツ山氏は、チュニジアのタタウィン県シシェニ村(事例1)と、チュニスとドゥーズ(事例2)における調査結果を用いて説明を行った。まず事例1では、オリーブとバラカの密接な関係が述べられた。それによると、オリーブと人の関係性はクルアーンの枠組みに基づいており、また、オリーブの収量やその生態的特質は、バラカという概念によって解釈され、さらに、そのような関係性、つまり物質的関与―解釈―関与は村人によって異なっているという。
 事例2においては、はじめから象徴的目的によって作成されたものとみなしうるクルアーングッズについて、具体的な対象をオリーブグッズ、クルアーン装飾具、クルアーンカレンダーに絞り、それらの制作意図や使用に関して説明がなされた。ここで印象に残ったのが、クルアーンカレンダーについて、それに対して、すべてのインフォーマントが「捨てるinṭaīsha」という返答をしなかった、ということであろう。そして、彼らは、古くなったクルアーンカレンダーのクルアーンが書かれた部分を切り取って保存するなど、様々な配慮が行われていることが報告された。  以上の事例をもとに、二ツ山氏は、樹木としてのオリーブ、オリーブグッズ、クルアーン装飾具、クルアーンカレンダーには、人による物質性への関与が行われており、その関与は一方で、象徴的な枠組みに基づいて行われていることを指摘した。そして、ギアツも考察したその相互行為と循環を、物質を研究する際にみていくことが必要であると結論付けた。
 質疑応答では、発表で述べられた事例をとりあげることの必然性が必要であるという意見や、ヒトとモノだけではなく、モノと環境の関係も考察の対象に入れるべきではないかなどの意見が出された。また、トルコの繊維が中国産であることと関係して、宗教グッズがほとんど中国産であることに現地の人々はどのような認識をもっているのかなど、経済やグローバル化とも関係のある質問も提出された。


文責:近藤文哉(上智大学グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程)